千葉県我孫子市から、放射能汚染による移住、または母子疎開をした方々にアンケートをとりましたメモ

項目は以下の通りです目


是非ご参考になさってくださいビックリマーク


1、前住地

2、移住地
3、移住検討から実際に移住に至るまでの日数
4、前住地と移住地はそれぞれ持ち家か、借家か
5、移住にかかった費用(任意)
6、どのようにしてこの場所を選んだか。
7、家賃・光熱費の無料支援を受けているか。
8、移住して一番良かったことは。
9、移住して起こった問題は。
10、移住前と後とでは体調の変化があったか。
11、自由記入(熱く語っちゃってください!)


【Aさん】

1、我孫子市東我孫子

2、千葉県習志野

3、1年
  →子どもの卒業をまって引越し。

4、どちらも貸家

5、約120万

6、職場を変更せずに低線量

7、なし

8、放射線の心配が食べ物に絞り込めること。

9、引越し費用が思いのほか大きかった。
   貸家なのに傷だらけにしてしまい修繕費が高額となるようである。
   誤算だった。

10、鼻血、下痢などの症状がでなくなった。


11、我孫子の自宅周りは0.4~0.6であったが、現在の場所は
0.08。自宅内は0.06。側溝や垣根でも0.12ほどまで。
洗濯物が外に干せることが快適。
子どもの転校が心配であったがなんとかがんばってくれている。
給食は1食分の全体線量測定。産地公開。当初は気にされている
家庭が多かったようであるが、現在は話題にもならないようである。
個人的にどこにいても放射線を意識し続けるためカウンターは
常に身に着けて累積を計測し続けている。
自宅の空間線量も常に計測し続けており、不測の事態も個人で判断
できるようにしたいと考えている。
車の内装クリーニングはトヨタのディーラーメニューで3万弱と高額だが
是非やっておいたほうが良い。


【Bさん】

1、我孫子市根戸

2、千葉市稲毛区南部

3、4か月

4、前住地 持ち家   移住地 借家

5、

6、主人の勤務地が近く、線量が比較的低い

7、受けていない

8、特になし

9、瓦礫受け入れ問題など

10、結膜炎が治った


11、千葉市は、移住地としてお勧めできません。失敗しました。放射能にたいする市長・市議会の意識が極めて低い。(我孫子以下では?)震災瓦礫を国の基準で焼却するつもりです。一部の市民(私も)反対していますが、市長は常に上から目線で、放射能を話題にする市民を小馬鹿にしています。市民団体(子どもを放射能から守る会in千葉)も今ひとつです。未だに公園の線量・土壌汚染測定や食物などの市民測定所を始めたばかりです。常総生協は進んでいた!瓦礫焼却問題などほとんど手つかずです。中学校の野外学習地が群馬県です。ここで、食事やキャンプファイヤーで、薪を焼却するつもりです。又、市民の意識も一部を除いて放射能に無関心です。生協もいくつかありますが、常総生協のように意識が高くありません。今、子供は中2ですので、一年以内に再度移住するつもりです。


【Cさん】
1、我孫子市

2、福岡県

3、約3ヶ月

4、どちらも借家

5、約40~50万

6、親戚がいるから。

7、受けていません。

8、屋外活動を気兼ねなくできること。食材選びのストレスが軽減されたこと。給食をみなと同じように食べられること。

9、母子での生活なので、基本的に母親だけで子どもを守らねばならないこと。それゆえに、仕事と家庭の両立が大変なこと。二重家賃、二重生活。

10、特になし。(子どもの一人の目の下のクマがなくなったようなそうでもないよな・・・?)


11、移住、というか避難については、不安がつきものだと思いますが、案ずるより産むが安しです。なんとかなります。

熱意を持って行動すれば、周囲の人が助けの手を差し伸べてくれます。私も家族、親戚、幼稚園(入園に際して格別の配慮をいただいた)、近所の人、みんなに助けられました。
母子での生活は大変ですが、母子家庭になったと思えば、そういう方もたくさんいますので何ら特別なことではないと思います。仕事と家庭の両立も大変ですが、それは我孫子にいても基本的に同じことですね。生きていくってことは、地球上のどこにいても大変なことには違いないので、より安全なところで生活した方が私はいいです。
移住して本当によかったと思ったのは、子どもが思いっきり園庭で走りまわるのを見たとき。スーパーで並んでいる野菜がすべて九州産なのを見たとき。幸せを感じます。
経済的に負担はありますが、地方に行けば家賃も物価も安いです。我孫子でこの家賃では住めません。やりくりすれば何とかなる範囲だと思います。私は賃貸物件を、ネットの不動産協会の避難者向けの住宅で、敷金礼金仲介手数料ゼロ物件から探しました。洗濯機、冷蔵庫はレンタルです。
震災から1年経ちましたが、まだ遅くはないと思います。将来、子どもに対して後悔したくないんです。避難も杞憂だったというなら、その方がいい。こちらで過ごした有意義な生活はどちらにしろプラスになるでしょう。
あとは、清水の舞台から飛び降りるだけだと思います。私も目をつぶって飛び降りました!


【Dさん】

1、 我孫子市柴崎台

2 、さいたま市浦和

3 、半年

4 、前…賃貸マンション
  今…賃貸マンション

5 、100万くらい
…地震対策や 汚染のためカーテン絨毯など家具電化製品を買い換えた額も含む

6、家族で移住が条件だったため主人の勤務地の新宿を起点に検討を始めた。一番目長野の松本を考えたが
会社の規定の通勤二時間を越えるため断念。続いて甲府や青梅などの東京西部、飯能や所沢を見たが、検討中多摩や秩父などにも汚染があるのがわかり
西部にこだわるのをやめさいたま市に決めた。
神奈川は日頃から東名道の激込みが苦手で有事に脱出が困難そうなイメージがあり全く考えなかった。

7、 受けていない。

8 、少しだけ気が楽になったのと西の食材を買えるお店があり助かっている

9、小学校の水筒持参を認めてもらえなかった。

10、 特になし。我孫子にいた時も特に出ていなかった。


11、移住しても 原発で大事故が起こってしまった国に住んでいることや放射能将来の不安から逃れることは出来ない…震災が起こる10年以上前電磁波に興味を持って考え込んだ時期があったけれど知らないでいる方が幸せなことも世の中にはあるんだな…と当時は結論づけてしまっていた。

けれどこういう目にあって地震国なのに 国じゅうあちこちに原発があるという本当に不安定で不確実なところに自分が暮らしていた現実を思い知らされてしまい
それでも生きて子供を育てていかねばならない現実とどう向きあえばいいのか 思考が停止してしまう。


【Eさん】

1、我孫子市新木野

2、愛知県一宮市

3、昨年の秋頃に夫婦で話し合い家族で移住する決意をしました。主人の会社に異動希望を出し、今年の2月末に引っ越しをしました。検討から移住までの日数は半年くらいでした。会社の異動待ちだったので、思っていたより遅くなりました。

4、実家の二世帯住宅に住んでいました。

5、賃貸マンション

6、だいたい200万弱かかりました。親と二世帯住宅で暮らしていたので、家財や家電を一揃えしたので(涙)

7、

8、

9、

10、


11、引っ越し前は不安や心配事はいろいろとありましたが、のびのび子育てできる環境になるとストレスが減りました。


【Fさん】

1、我孫子市

2、鹿児島県鹿児島市

3、7ヶ月

4、前住地→持ち家  移住地→借家

5、日本各地を下見した旅費30万、引越し代10万、新居の電化製品・家具代20万。

6、放射能からなるべく遠い地域にしたかった。海外か沖縄か福岡か鹿児島で迷った。海外はビザの問題やら費用の面でのハードルが高く断念。実際に海外の学校見学もした。この費用は移住に掛かった費用には含めていない。保養も兼ねての旅行でしたので。沖縄へは子どもを連れて学校に数日通う体験までしたが断念・・知り合いが1人も居ない場所での生活は、やはり大変すぎると想像したから。結局、親戚が住んでいる鹿児島県に決めた。何かあった時に知り合いが居るというのは心強いから。

7、受けていない。

8、体調が明らかに良くなった。だるい感じが無くなってきた。あれだけずっと痛かった心臓が、移住して40日後くらいから無くなって来た。それから、給食の食材産地を調べたら、ほぼ完璧にゼロベクレル給食だったこと。

9、問題だらけ。子どもの教育環境、費用、精神面等等。私立中学を目指して勉強を頑張っていた子どもでしたが、鹿児島には近くに通える塾が見つからず受験を断念。一番の問題は費用。二重家賃を払うのはきつい。このまま何年も二重生活をする費用は工面できない。どうしたら良いのか、先が全く見えない。精神的にもかなり辛い。辛すぎですーーー(涙)でも頑張りますっ。子どもを引き剥がされて、汚染地に一人残された旦那は、もっと辛いと想像しています。

10、だるさが減ってきた。移住して40日後くらいから心臓痛がなくなってきた。引っ越して1週間で頭痛が無くなった。事故後、頻繁に下痢をしていたが最近は全く無くなった。


11、我孫子に居る時は、移住できたら良いなぁ、移住できる人はうらやましい!早く我孫子を出たい、と思っていましたが、我孫子を出ても辛いのは同じです。我孫子に居ると健康に影響がある(かもしれない)、移住すると精神面に影響がある。どっちをとるか?!という感じです。私の判断で、天秤に掛けて移住を決断しましたが、それが正しいのかどうかなんて分からない。旦那は移住をすぐに受け入れてくれましたが、実際に心では受け止めきれていない気がします。すごく辛そう。
家を購入して2年しか経っていない、ローンはどうなってしまうのだろう。日々、迷いの連続です。移住するまでは、戦いモードで頑張ってきたけれど、移住が終わって落ち着いた途端に、緊張の糸がプッツリと切れちゃいました。もう二度と家族と一緒に住む日は来ないのではないか・・とも思えます。本当に難しい。辛いけれど、子どもが健康に成長してくれればそれで良いかな。子どもが育ったら、私は我孫子に帰るかも。自分は健康被害があっても良いと考えているから。家を失ってすっからかんの無一文になるよりは、健康被害があっても家と仕事がある方が良いから。
思い出したので書きますが、移住に掛かった費用がトータル60万ですが、放射能対策で掛かった費用(ガイガーカウンター、ミネラルウォーター、西の食材、保養の旅費、空気清浄機、掃除機、etc)を含めるとその倍は使ってます(涙)


【Gさん】
1、我孫子市並木

2、広島市

3、転勤の打診は夏頃からで、転勤の話がなかったら実家の山形(安全か微妙ですが山形の日本海側)に帰る計画がありました。

4、我孫子市並木は持家(購入して約1年)
広島は借家。

5、10万くらいだと思います。引越し費用や、赴任手当などが出たので、しかし、並木の家を賃貸に出しているが一向に決まる気配がないので、広島の家賃の自己負担分に加え、並木のローンもあるので、大変です。

6、転勤の為。

7、受けていない。

8、毎日のように公園に遊びに行ける事。

9、住居費の負担が増えた事。
医療費が幼稚園児までの為、医療費の負担が増えた事。
コウサが酷いのでアトピーが悪化。

10、まだよく解らない。


11、熱く語れる程、知識はないのですが、とにかく、不安を取り除くでも、なんでもいいから、安心して生活できる我孫子になって欲しいです。


【Hさん】

1、我孫子市我孫子

2、静岡県熱海市

3、4ヵ月半

4、前住地 持ち家
  移住地 借家

5、引越し費用22万円、不動産仲介等費用50万円、ハウスクリーニング20万円(2件分)、その他下見費用や購入・処分費用等15万円
トータル約110万円、今後我孫子の家の売却費用約100万円

6、震災当初放射線の専門家である兄の助言を受けて熱海の親戚の別荘に避難した。熱海に行くのは初めてだったが新幹線で東京まで45分ほどでアクセスできること、自然食品店などがあり常総生協と同じような食材や西の食材が手に入りやすいこと、今後新たな避難が必要になった時に西に移動しやすいことが分かり移住することにした。

7、受けていない。が、事情を知った大家さんが家賃を1万5千円値引きしてくれた。

8、とにかく子どもが楽しそうに毎日外をのびのびと走り回っていること。
また副産物として、海と山がすぐ側にあり、自然の美しさ、雄大さを感じられること。我孫子では見たことのない植物も多数生えていて、子どもたちはほったらかしておいても楽しそうに遊んでいます。子どもの数が少ないので公園や海でも他の子どもに迷惑をかけないかとか気にせずにのびのびと遊べる。空気が良いのか温泉が良いのか、子どもの喘息の発作が全く起きなくなった。難病の夫も体調がよくなった。

9、問題山積。すぐに売れると言われ続けている我孫子の家が全く売れない。内覧に来る人の数は多いのに、決まらない。
熱海は基本的に賃貸物件がほとんどない地域で、今の家は仮住まいなので住み続けるには家を建てることが必須になるが、我孫子の家が売れない限り建築に踏み出せないのが辛いところ。今の家は古く雨漏り(修理しても直らない)はするはエアコンは壊れるは網戸は付いていないはで別荘としては良いかもしれないが、居住するには向かないので余計にストレス。また、冷蔵庫がキッチンの所定の場所に入らず(昔の規格なので高さが合わない)、リビングに置いてある状態。子どもが小さくキッチンに柵を設けているので、調理中何か欲しいときにいちいち柵を乗り越えて冷蔵庫に行かなければならないので非常に面倒。またオムツの取れない子を毎日階下の温泉大浴場に連れて行かなければならないのも、ストレスの一因。これらも我孫子の家がすぐに売れ、家を建てるまでのホンの「仮住まい」のつもりで入ったので我慢しようと思っていたが、思いのほか長引いているのでストレスになっている。


10、長男→我孫子では倦怠感、口内炎、のどの出血斑があったが全て消滅
   長女→我孫子では血便、消えない湿疹があったが全て消滅
   私→我孫子ではひどい倦怠感、口内炎、口の中の粘膜の異常、心臓の違和感があった。倦怠感などは3週間で消滅。心臓のみまだ時々脈がおかしい時がある。


11、極初期に熱海に避難できていたのは良かったが、我孫子に帰ってからはどうやって子どもを放射能から守るかということで頭がいっぱいだった。我が家の場合夫が私より知識があり、6月頃どうやらホットスポットらしいと分かってからは夫のほうが移住に積極的だったので比較的スムーズに移住できた。それでも熱海の物件を探すのにしばらく時間がかかったのと、私の退職などもあり、6月に思い立ってから実際移住できたのは11月になってしまった。震災後から11月までは飲料水、炊飯などは全てミネラルウォーター、野菜も生協の母子野菜セットができるまでは全て西日本から取り寄せていたのでかなり被曝は防げているだろうと思う反面、7月に線量計を購入してから想像以上に自宅マンション敷地内の線量が高いことに愕然とし、恐怖を感じた。
移住してから分かったことは、移住先の自治体の放射能に対する考え方次第で住みやすさが大きく変わるということ。熱海市の場合、とにかく子どもの数が少ないということもあり、子どもをとても大切にしてくれる。学校給食も放射能ゼロ宣言で、どの学校に行っても給食の放射能対策は万全。幼稚園の先生方も、「放射能は、子どもにとって有害で心配」というスタンスでいて下さるので助かっている。瓦礫受け入れもNG。ただ、熱海市はそれなりに汚染のある地域なので、心配がゼロではないところが痛いところ。