パソコン教室で

出来の悪い生徒の 私

 

 

どんな アホな質問にも

優しく応えてくださる 先生は

 

出来ないことは 何もない

マルチな方だと

私は 勝手に 思い込んでいたんだけど

 

 

その先生が お料理教室に通って

 

お料理は難しい

 

とおっしゃる

 

 

 

70歳を迎えた年代で

パソコンを ものに している人が

お料理なんて 屁の河童でしょ

 

と 思ったが

 

 

でも よくよく考えてみれば

誰にだって

不得手なことは あるワケで

 

 

 

 

 

私の親は 転勤族だったので

私は 小学校を 4回

中学校を 2回 転校した

 

 

1~2年で転校していく 私は

学校では

いつも お客さん扱いだった


 

 

いいじゃない 転校生

みんなから 注目浴びて

ちやほやされて

 

と 転校経験のない 友人に

言われたりもするけれど

 

そんなの

最初の1週間だけだし

 

先生方も

すぐに去って行く 子どもよりは

卒業までその学校にいる 子どものほうに

気が向くのは 当然のこと

 

 

来年 再来年の 成長を期待して

 

例えば 学芸会で

大きな役をやらせる

 

何かの役員を やらせる

 

などの

教育的配慮も あるだろう

 

 

だから 私は

学校の学芸会や 音楽会では

いつも その他大勢の役どころだったし

 

委員や 役員も

殆ど やったことがない

 

 

突出した 運動能力でもあれば

転校生でも

ヒーローに なれただろうけど

 

あいにく スポーツは

そう 得意ではなかったし

 

 

別に 陰キャってワケじゃないよ

 

みんなと 適当にうまくは

やっていたハズ

 

 

 

 

 

小3の時 担任だった先生は

贔屓が激しい人だった

 

 

色白で かわいい女の子のことは

めちゃくちゃ かわいがるくせに

 

ちょっと障害のある子には

ツラく 当たっていた

 

 

私は

そんな先生が キライだった

 

 

 

ある時 その先生が

上から目線で 言った

(ように 私には 思えた)

 

 

先生が 家庭訪問をすれば

短い時間でも

その家がどういう家か わかります

 

たとえ 高級なお椀で お茶を出されても

その底を見て 汚れていたら

だらしない家庭

 

反対に

粗末なお茶碗でも

底がきれいなら

きちんとした家庭です

 

 

 

私は

 

先生のくせに

おかしなことを 言うなあ

 

と 思った

 

 

だって

お茶碗の裏で

すべてを 判断するなんて

 

ひとには 得手不得手がある

 

すべてが カンペキな人なんて

いるワケない

 

 

 

その時の 先生への 批判的な気分は

今でも 鮮明に 思い出すことができる

 

 

 

 

でも

 

今になって 思う

 

 

きっと 私は 寂しかったんだな

 

 

先生から

ちょっとでも

目を 向けてもらいたかったんだな

 

かわいがってもらいたかったんだな

 

 

 

 

 

私は

自分の子どもたちに

自分と同じ思いは させたくなかった

 

 

だから 転校は

子どもの学校の 切りのいいところで

1回だけ

 

その為に

ずいぶん 余分な出費も したけれど

 

 

 

たぶん 子どもは

そのことを 知らない

 

 

別に 知らなくていいこと

 

子どもは ただ 子どもとして

幸せであれば