95歳の入江一子さんの画業はカラフルでパワフル
色彩の洪水とはこういうことをいうのか。赤、青、黄など原色、あるいは原色に近い色彩が、ところ狭しと架けられた150号、200号という大キャンヴァスの上に躍っているのだ。
会場に一歩足を踏み入れたとたん、脳天を強く殴られたかのようにくらくらっとなった。
『入江一子展シルクロード色彩自在』(1月25日~31日、日本橋三越・特選画廊)に出掛けたのは、この女流画家が、1916年生まれ、95歳の高齢にもかかわらず、今もって現役で、毎日、絵筆をとると聞いたからだ。
しかも、この40年間、入江さんが書き続けて来たのはシルクロードの風景、民族だというではないか。途方もない対象と向き合って来たわけだ。その間、当然ながら中国初め中近東やヨーロッパ諸国を隅なく踏破したそうだ。
2009年、ニューヨークで大々的な個展が開かれたおり、colorfulでpowerfulという讃辞が寄せられたそうだが、彼女の画業を讃えるのにこれ以上ぴったり来る言葉はちょっと見当たるまい。
色鮮かだけでなく、そこに活力がみなぎっていることに気づくだろう。
色彩の衝撃が収まり平静な気持になると、改めて構図のダイナミズムに目を奪われる。自然や建造物、それらと人物との配置が実に大胆なのだ。
それでいて絵のどこかにやさしさが滲み出ている。とくに人物の顔つきやたたずまいなどに、、、、、。
もとより童画ではない。しかし、それに通じるなにかがあり、それが私たちの気持をほっとさせてくれる。画家自身の心の温もりが絵筆を通じて私たちにまで届くのかもしれない。
とりわけ私が惹きつけられたのは、150号の大作「敦煌飛天」である。赤、黄などの鮮やかな色彩感、全体を覆う幻想的な雰囲気、中央の天女?の穏やかな表情に、この画家のすばらしい特色がよく表われているからだ。
入江さんのよき理解者のひとり日野原重明先生(聖路加国際病院理事長)は、この作品について「音楽的なものさえ感じられる傑作」とおっしゃっている。
確かに耳を澄ませば天上の妙なる音楽がどこからともなく聴こえて来るように思える。
1911年生まれの日野原先生から見ると、16年生まれの入江さんは5歳年下ということになる。日野原先生いわく「私のほうが若干お兄さん」。
日野原先生の日ごろの活躍ぶりといい、入江さんのエネルギッシュな画業といい、超々老人力というほかない。
(名古屋展、2月15~21日、名古屋三越栄店)
入江一子シルクロード記念館http://iriekazuko.com/
会場に一歩足を踏み入れたとたん、脳天を強く殴られたかのようにくらくらっとなった。
『入江一子展シルクロード色彩自在』(1月25日~31日、日本橋三越・特選画廊)に出掛けたのは、この女流画家が、1916年生まれ、95歳の高齢にもかかわらず、今もって現役で、毎日、絵筆をとると聞いたからだ。
しかも、この40年間、入江さんが書き続けて来たのはシルクロードの風景、民族だというではないか。途方もない対象と向き合って来たわけだ。その間、当然ながら中国初め中近東やヨーロッパ諸国を隅なく踏破したそうだ。
2009年、ニューヨークで大々的な個展が開かれたおり、colorfulでpowerfulという讃辞が寄せられたそうだが、彼女の画業を讃えるのにこれ以上ぴったり来る言葉はちょっと見当たるまい。
色鮮かだけでなく、そこに活力がみなぎっていることに気づくだろう。
色彩の衝撃が収まり平静な気持になると、改めて構図のダイナミズムに目を奪われる。自然や建造物、それらと人物との配置が実に大胆なのだ。
それでいて絵のどこかにやさしさが滲み出ている。とくに人物の顔つきやたたずまいなどに、、、、、。
もとより童画ではない。しかし、それに通じるなにかがあり、それが私たちの気持をほっとさせてくれる。画家自身の心の温もりが絵筆を通じて私たちにまで届くのかもしれない。
とりわけ私が惹きつけられたのは、150号の大作「敦煌飛天」である。赤、黄などの鮮やかな色彩感、全体を覆う幻想的な雰囲気、中央の天女?の穏やかな表情に、この画家のすばらしい特色がよく表われているからだ。
入江さんのよき理解者のひとり日野原重明先生(聖路加国際病院理事長)は、この作品について「音楽的なものさえ感じられる傑作」とおっしゃっている。
確かに耳を澄ませば天上の妙なる音楽がどこからともなく聴こえて来るように思える。
1911年生まれの日野原先生から見ると、16年生まれの入江さんは5歳年下ということになる。日野原先生いわく「私のほうが若干お兄さん」。
日野原先生の日ごろの活躍ぶりといい、入江さんのエネルギッシュな画業といい、超々老人力というほかない。
(名古屋展、2月15~21日、名古屋三越栄店)
入江一子シルクロード記念館http://iriekazuko.com/