ほとんどの学校が明日から新学期!夏休みお疲れさまでした!!!!
保育園組みの私もへとへと〜〜〜〜〜〜(笑)
送り出す親としては、ほっと一安心なことでしょう。
とは言え、喜び勇んで学校に行く子がいれば、憂鬱に行く子がいたり、行きたくないという子もいるでしょう。
憂鬱そうな子、行きたくない子は無理に行かせず、学校以外の方法もあることを一緒に考えてあげてくださいね。
先日、5歳さんが今の保育園に入る前に一時保育で通っていた保育園に久しぶりに行ってきました。
そこは、給食・おやつは園独自の献立で添加物など不使用の調味料と食材を使い、おやつもすべて手作り。
園舎は木を多用してあり、少人数制のほっこりした保育園です。
本当はそのまま年少さんからそこに入れたかったのですが定員で希望が叶わず。
落ちたときは泣いたし(笑)しばらくは転勤などで空きが出たらと転園待ちもしたんだけどねー
久しぶりにお邪魔して、「ああ〜〜〜〜〜やっぱここ入れたかったな〜〜〜〜」と思いました。
じつは私、入園の申込みのときに他の保育園をほとんど調べていませんでした。
条件からして希望の園にまず入れるだろうと目論んでいて、第2希望(今の園)と第3希望は距離で決めてたんです。
保育園が決まって失意の中(笑)確認した時に、一番近い第2希望の園よりちょっと遠い第3希望の園の方が保育の内容は私の希望に近かったことを知りました。
後悔しましたよ〜〜〜〜私はバカかと。
申込みまでの時間はあったのに、なぜチラリとでもホームページ見ておかなかったんだろうと。
あそこの保育園は特別って聞いてたし、他はそうたいして変わらないだろうという思い込みと、無知だったがゆえの選択でした。
でもそんな親の希望や失望は関係なく、本人は今の保育園での生活を楽しみ広い園庭を駆け回り、今や好きな子もいるし、あっという間に残り半年。
「保育園好き?楽しい?」と聞けば笑顔で即答です。
結局は親の希望よりも、本人が安心できたり楽しんだりできることが大事なんですよね。
もし私の希望の園に入れたとしても本人にとって居心地が良くなければ、尊重すべきは親の希望よりも本人の安心です。
保育園や幼稚園は「行って当たり前」ではありません。
もし保育園や幼稚園に行きたがらなかったら、他の方法を考えなくてはいけないと思ってきました。
さいわい今の保育園が居場所になってくれたので安心して通わせることができました。
来年から小学生で、今のところ学区の公立小学校に通わせる予定ですが決定ではありません。
その予定ではいるけれど、本人次第だな、と思っています。
もし来年の今、学校に行きたがらなかったら、話し合って他の方法もとることもありえます。
保育園と同じように、小学校・中学校も高校も行って当たり前ではありません。
もし行って当たり前だと思っていたり、学ぶ場所は学校しかないと思っていたらそれはあなたの「知覚が狭い」ことに気づいてください。
いわゆる義務教育は学校に行かせる義務ではありません。
「国民のすべてが教育を受ける権利があることにもとづいて、教育を受けさせる義務が親にある」ことであって学ぶ場所は学校でなくてもいいのです。
そして「権利」に対する「義務」です。
受けたがらないものを無理やり受けさせる義務はありません。
「学ぶ」「勉強」も「教科」がすべてではありません。
教科を学ばなければいけないとは決まっていません。
国語算数理科社会英語が絶対必要ではありません。
教科を学ばなければ立派な大人にはなれませんか?
では教科を学べば立派な大人になれるのでしょうか?
学校にすら行けなければ社会では通用しないでしょうか?
では学校に通った人は社会で通用する人になるでしょうか?
勉強をしなくてはいけない
学校に行かなくてはいけない
それ以外の選択肢はない
親の知覚が狭く、そう思い込んでいたら、子どもの世界は親以上に狭いものになってしまいます。
※知覚が狭い、というのは「知っていることが少ない」ということです
子どもの世界が家と学校と塾しかなかったら
もしそこに居場所を見出せなかったら、子どもの逃げ場はどこにあるのでしょうか。
子どもが学べる場は、いくらでもあります。
教科も教科以外のことも、学びです。
それを親が知り、認めなければ、時には子どもの命を脅かすことにもなりかねません。
私自身、学校も家庭も生きづらい場だった時期がありました。
生きづらさと自己陶酔から自殺を考えたことも自傷をしたこともありました。
当時の私も世界が狭かった。
どうか、明日の朝お子さんが学校に行きたくなさそうだったら、とりあえず今週は休んで、なぜ行きたくないか話し合って、どうしたらいいかを一緒に考えてください。
今こそ文明の利器を駆使して、調べてください。
学べる場所、学べること、学べる方法は探せばいくらでも出てきます。
世界は広いことをお子さんに伝えてください。