==サンケイスポーツ7/25(月)配信==


漫画家・やくみつる氏が、コメンテーターとして出演した日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」で、
話題となっているスマートフォン向け人気ゲーム「ポケモンGO(ゴー)」について否定的な意見を述べた。
やく氏は、「都内で『ポケモンGO禁止』を言う候補者がいたら、すぐ投票してます」と、都知事選に準(なぞら)えて切り出すと、
公園に群がるトレーナーたちには「愚かでしかない。こんなことに打ち興じてる人って、心の底から侮蔑します」とバッサリ。
やく氏は現実に溢(あふ)れている面白いことに興味を持つべきと主張し、
「路端の植え込みだって、その中にいる虫に興味を示せばいいものを、そこを見ながら(スマホを介して)現実的じゃないものを探す…。
親はもっと楽しいことを子供に提供する義務がありますよ。一緒になって打ち興じたらアホな子にしか育たないですよ」と、否定的な姿勢を貫いた。

 

 

私は、やくみつる氏を支持します。

既に米国のテストマーケティングで、"危険歩行"と"危険運転"を実証しているにも拘わらず、

日本でも市場投入させることを放任する行政を許すことができません。

そればかりか、環境保全すべき鳥取砂丘への到来を、先駆けて煽(あお)るような、人気取り知事に怒りさえ覚えます。

 

 

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幽霊、見たことある?

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■ お題 「幽霊、見たことある?」

 


今まで、現実(リアル)でも夢(ドリーム)でも見た記憶がない。
ひょっとして子供の頃に見たのに忘れているのかもしれないが・・・。


殺人犯は繰り返し夢で魘(うな)されるらしい。

 


*

 


虚構(フィクション)の世界では、映画・テレビドラマ・歌舞伎などで数多く観て来た。

 


その中で、鶴屋南北の「東海道四谷怪談」の映画化作品には名作が多い。
新東宝版も大映版も、テレビの再映を観たんだと思う。

 


□ 映画「東海道四谷怪談」・・・日本の怪談時代劇映画の最高傑作。

 

製作・配給: 新東宝、公開1959年。
監督: 中川信夫、脚本: 大貫正義・石川義寛、出演・・・夫・民谷伊右衛門: 天知茂、妻・於岩(おいわ): 若杉嘉津子。

 


□ 映画「四谷怪談」

 

製作・配給: 大映、公開1959年。
監督: 三隅研次、脚本: 八尋不二、出演・・・夫・民谷伊右衛門: 長谷川一夫、妻・お岩: 中田康子。


 


*

 


洋画のホラー/オカルト映画では、先鞭を付けた「エクソシスト」を、新社会人3年目の1973年夏、帰郷の折りに金沢駅前のロキシー劇場で鑑賞し、衝撃的だった。

 


□ 映画「エクソシスト」(原題「THE EXORCIST」)・・・米国ホラー(恐怖)/オカルト(超常現象・悪霊)映画の代表作。


製作: ホヤ・プロダクションズ、配給: ワーナー・ブラザーズ。公開: 米国1973年12月、日本1974年7月。
監督: ウィリアム・フリードキン、脚本: ウィリアム・ピーター・ブラッティ、
出演・・・女優クリス・マクニール: エレン・バースティン、娘リーガン・マクニール: リンダ・ブレア、神父デミアン・カラス: ジェイソン・ミラー。


 

 

 

 

 

■ 「幽霊の日」の由来

 


1624年に、猿若勘三郎(後の初代・中村勘三郎)が江戸・京橋紅葉川の中橋南地(現在の八重洲通りと中央通りの交差点付近)に
「猿若座」(後に「中村座」と改称)を創設し、江戸歌舞伎を始めた。

 

 

その200年後の1825年7月26日、中村座で四世・鶴屋南北(1755~1829年)の原作、歌舞伎狂言・全5幕「東海道四谷怪談」が初演された。

 

 

※ 中村座

1624年、猿若座⇒中村座と改称・・・江戸・京橋紅葉川の中橋南地(現在の八重洲通りと中央通りの交差点付近)
1632年、禰宜町(ねぎまち、現在の中央区日本橋堀留町2丁目付近)
1651年、堺町(現在の中央区日本橋人形町3丁目)
1841年、浅草聖天町(しょうでんちょう)⇒猿若町と改称(現在の台東区浅草6丁目)
1884年、中村座⇒猿若座と改称・・・浅草西鳥越町(現在の台東区鳥越1丁目)
1893年、火災で焼失し再建されずに廃座。
2000年、平成中村座(仮設劇場)の再興・・・浅草の隅田公園山谷堀広場、浅草寺本堂裏奥山広場など。

 

 

 

雑司ケ谷四谷町(現・豊島区雑司が谷)在住の御先手鉄砲組同心の田宮又左衛門の1人娘・於岩。
備前岡山藩の浪人から婿養子に入った性悪な夫・民谷伊右衛門に、毒殺された貞淑なる妻・於岩(おいわ)の復讐話。

 


上司である与力の伊東喜兵衛の妾(めかけ)に横恋慕し、一方、喜兵衛もまた妊娠した妾を伊右衛門に押し付けたいと思い、2人は結託して邪魔になった於岩を騙し不義密通の濡れ衣を被せる。
騙されたことを知って狂乱した於岩を惨殺。死体を戸板に釘で打ち付けて川に流す。
だが、於岩の怨霊の祟りで、伊右衛門に関係のある者が、次から次へと死んで行く。伊右衛門は小さな寺に逃げ込み怨霊を祓おうとするが、於岩の恨みは強く不幸が続き断絶した。

 


モデルとなっている実話は---

 

1680年に、四谷左門町(現在の新宿区左門町)に田宮伊右衛門(31歳)と於岩(21歳)の夫婦が住んでいた。
伊右衛門は婿養子の身でありながら、隣家に住む上役・伊藤喜兵衛の娘・お梅と重婚して子を儲けてしまった。
於岩は発狂した後に失踪し行方知らず。その後は伊右衛門の関係者が次々と死んで行き、最終的には18人が非業の最期を遂げた。

 

田宮家滅亡後の1715年、山浦甚平なる人物が引っ越して来たところ、奇怪な事件が相次いで起きたので自らの菩提寺である、
法華宗陣門流長徳山「妙行寺」 [みょうぎょうじ、貧民街だった四谷鮫河橋南町(現在の新宿区若葉~南元町の一帯)] に、

「於岩稲荷田宮神社」(新宿区左門町17)を勧進して追善仏事を行ったところ奇怪な事件は止んだと言う。