京伝は一休をして遊女に対しこう言わせている。
「儞(なんぢ)が輩(ともがら)は五尺の體(からだ)を売つて一切衆生の煩悩を安んず。法を売つて衆生をまどはす邪禅賊僧にははるかにまされり、営(いとなみ)と形(かたち)とに拘(かヽは)るべからず。唯(ただ)自然の情をまもりて、別に道を求むべからず。」
いつの時代も確かめることもできぬ妄念を振りかざし人を惑わし、己が利益をあげんとする邪禅賊僧のたぐいはいるか。そんなものに惑わされず、じぶんの自然の情に基づいて、我が営みとスタイルを守りたい。
別の道を求め始めるときは大概、法を売る者たちの餌食になって、このことを忘れているものだ。