『上杉神社』
昨日、仕事では初めて山形県に行きまして、帰りに直ぐ近くの上杉神社と上杉家廟所(お墓)に寄ってみました。
上杉神社は、上杉謙信を祭神としていますが、深見先生は、とくに参拝を推奨している神社ではないことを予め付け加えさせていただきます。
『上杉家廟所』
上杉家廟所は、上杉謙信公の亡骸が鎮まっています。
深見先生によると、謙信公のお墓の上には、天に向かって真っすぐに神気の柱が立っているのが天眼で見えるそうです。
Keiは、最近、NHKの大河ドラマ『天地人』を携帯DVDプレーヤーで、ずっと見ていました。
そして、やっと最終話まで見終わったばかりだったのです。
とてもビックリしました。
なにしろ、DVDを全て見終わった直後、たまたま調べたら、近くに上杉神社があったのです!
天の計らいとしか思えませんでした。
こんなことをするのは、物事の運行を司る『あの方』かもしれませんね・・・
実は先週末に仕事で白山市に行き、帰りに白山ヒメ神社に参拝したばかりなので、こういうこともあるとは思いますが、さすがにビックリしました。
この大河ドラマ『天地人』は、上杉謙信の志を最もよく受け継いだと言われる、上杉家の家臣『直江兼続』を主人公にした物語です。
『ドラマ天地人を記念して造られた銅像(上杉神社境内)』
直江兼続を妻夫木聡君が演じていて、その他、イケメン武将だらけで、女性は萌えるでしょう。
野心や欲望や裏切りが交錯する戦国の世で、直江兼続の愛と義を掲げて生きる清々しさは、上杉謙信のそれそのものでした。
『直江兼続の兜』
上杉謙信は生涯の七十余度の戦で無敗であったといわれています。
実際には撤退もあり、正確には無敗とは言えないかもしれませんが、撤退した意図があったのではないかと思います。
いずれにせよ、大敗は一度もないのですから、軍神と恐れられていたのも頷けます。
上杉謙信は、本来は神仏の道に生きたかった人です。
それが家督を継ぐために仕方なく武将となった人で、お坊さんが武将になった人だと言えます。
戦の前には何日もお堂にこもり、ひたすら祈り続けていました。
戦の神『毘沙門天』に祈りを捧げ、毘沙門天と一体化していたのです。
だから自らを毘沙門天の化身だと言っていたのです。
毘沙門天と一体化していたので、敵の出方が手に取るように分かり、また祈りの霊力で一人一人の兵に神がかり、だからこそ上杉軍は、無類の強さをほこり、無敗だったのです。
また己の信念を貫き、義を重んじ、宿敵であった武田信玄の窮地にも塩を送り届け、そこから『敵に塩を送る』という言葉が生まれました。
武田信玄は臨終の時、遺言として『わしの死後は謙信を頼れ』といわしめた程、敵にも信頼されていたのです。
宿敵の一人、北条氏康は『信玄や信長は表裏常なく、頼むに足りぬが、謙信のみは請け合ったら骨になっても義理を通す』と語っています。
『境内にある上杉謙信公家訓16ヶ条の碑』
一、心に物なき時は心広く体泰なり
一、心に我儘なき時は愛敬失わず
一、心に欲なき時は義理を行う
一、心に私なき時は疑うことなし
一、心に驕りなき時は人を教う
一、心に誤りなき時は人を畏れず
一、心に邪見なき時は人を育つる
一、心に貪りなき時は人に諂うことなし
一、心に怒りなき時は言葉和らかなり
一、心に堪忍ある時は事を調う
一、心に曇りなき時は心静かなり
一、心に勇みある時は悔やむことなし
一、心賤しからざる時は願い好まず
一、心に孝行ある時は忠節厚し
一、心に自慢なき時は人の善を知り
一、心に迷いなき時は人を咎めず
・・・謙信公の人柄がうかがえますね。
『境内にある上杉鷹山の像』
鷹山は謙信の生まれ変わりであると、たしか深見先生がおっしゃっていました。
・・・実は、また今から仕事で山形県に行かないといけません。
( ̄□ ̄;)
なんということでしょう。
一度、縁ができると引っ張られますね。
初めて仕事で行った山形県に二回も連続で行くことになるとは・・・
もう少し記事を編集したいですけど、時間もかかるので、とりあえずちょっと行ってきま~す。
(;´▽`A``
※深見東州さんのTV番組は『HANDA.TV』でご覧いただけます。
応募者全員にプレゼント!
現在290名以上の方が申し込みされています。
『スーパー開運シリーズ全10冊の中から、2冊選択して貰えるプレゼント!』
詳しくは過去の記事をご覧下さい。
深見東州さんの活動内容の資料も同梱しています。
申し込みフォームはコチラ。
↓↓↓↓↓(クリック)
★申し込みフォーム★