タクシーで長浜駅に到着すると、予想はつくけれど秀吉さんが待っていた。長浜城も徒歩十分たらずで行けるらしいのだか、そこまではのんびりしてはいられない。
橋上駅に上がるとこのように長浜城が見える。
タクシーから行列の出来ているラーメン屋を見たけれど、駅付近には特に気になるお店もなく、反対側に行けば何かあるのかな?と様子をみる間もなく、ちょうど電車があったので慌てて改札をくぐり瀬田に移動してしまうことにする。
1時間で瀬田に到着。地図ソフトで目的地に近そうに見えた琵琶湖サイドに駅を降りると、住宅地の中に出てきたかのような駅前で、唯一隣に古そうな神社があるのみだった。
あとで調べると萱野神社と云い第9代開化天皇を主祭神とする古い神社であったが、やはり立寄り先のことは少しは下調べするべきかもしれない。ちなみに開化天皇は実存したのかしなかったのか両論分かれる欠史八代(2代〜9代)の一人。
そこからは地図を頼りに徒歩で約18分。簡単に考えて歩いて向かうと、かなりの汗をかくことになり、グダグダで目的地に到着することになった。
時間的に余裕があったので、手土産用のケーキを選んで取置きしてもらい、琵琶湖畔へと散歩に来てみた。正面に比叡山の西塔が僅かながら見えたが、すでにグダグダなので木陰に入らないととてもじゃないけど居られない。
シェ・ラ・メールでけっこう使ったね😓。ケーキの単価が結構良いお値段でした。
帰りはあまりに暑かったので、駅まではタクシーを呼んで戻った。タクシー会社の配車係にはシェラメールの場所を伝えるのに苦労したが、運転手さんは詳しくてすぐそばにも美味しいケーキ屋さんがあって人気を二分していると教えてくれた。
地図では石山駅の方が近そうだったので石山駅までお願いすると、道路が混んで時間がかかるから瀬田駅の方が良いと瀬田に向かった。戻った瀬田の駅の降りたのとは反対側の入口は、ロータリーもあり普通に開けていてお店もいっぱいあったのだが、宿で少しゆっくりしたくなったので先を急ぐことにした。暑さでちょっと疲れた。
宿は鴨川沿いの三福さん。
女将さんから京都の様子を伺うと、先斗町は客も増えて賑やかさが戻りつつあるという。つい先日も宿泊客から2日前に食事処の手配を頼まれたのだが、先斗町では思ったところは予約を取れなかったそうだ。一方、祇園町はまだ客足が戻っていないようで、食べに行くのは祇園町のほうが良いですよということだった。
先斗町には気楽に入れそうなお店が並んでいるので、若い人たちもお店を物色しながら大勢歩いている。敷居の高さを感じる祇園町はその辺が異なっていて、おそらくまだ客層となる人たちが動き始めていないのかもしれない。
いつもなら夕食は北大路に出かけるところだが、実はいつもの照月が2月に
の、となりの人間国宝さんで取材されたり、その時に口滑らかして(笑)、田村正和さんが昔、何回かお見えにならはりましたみたいな事を言ってしまったので、亡くなった時にまたまた取材が殺到したとかあったらしく、その影響かどうかは知らんけど、満席で予約が取れなかったのである。だがコロナ禍にあってそれはめでたい😊。
一休みしてから浴衣に着替えて街にでる。ぶらぶらと歩きながら、あまり空腹ではないので、軽く焼鳥でも食べようかということになる。
ビールは瓶になる。前回同様、おまかせ串いろいろコースをお願いする。
他に客はいなかった。焼くのは女性の板前さん。フロアは男性。姉弟なのだそうだ。
左の椎茸はなかなかジューシーで美味しかった。コロナ禍だからという訳でもなく、それほど積極的に客との会話をするタイプではないらしい。
以上、7本がセットの焼物の全容で、これにガラスープが付く。
これで小腹は満たせたので次なるお店へと移動となったが、ちょっと時間が早すぎて亜弥さんにはまだ燈が灯っていなかった。ぼーっとしていても仕方ないので、唯一の糸のような伝手を頼りに近所のホームバーを訪問してみた。
幸い顔見知りが居て入店できたので、小一時間をそこで過ごして支払いは亜弥さんに回して貰うことにした。花街には独特のルールがあるので、それに沿うことが望ましいと思う。
〆は亜弥さんで、以前ここでお会いしたUさん持ち込みの日本酒を頂戴した。ちょっと飲み過ぎただろうか。
蔓延防止対策は解除されたとはいえ、まだ21時までしか営業できないので、過ごせる時間は僅かである。夏のご挨拶の団扇を頂き、コンビニで軽く買い物をして部屋に戻ってテレビを見ているうちにあっさりと寝落ちしてしまった。
ね。