■「利益(財物)や名声を追い求める生き方は、真の幸せにつながらない。真の道に覚醒せよ。道は心だ」

 25日(金)である。
 日中は、なんと20度もあり、ポカポカ陽気であった。
 それが、夜は10度である(笑)。

 原稿執筆のために、王陽明の漢詩
睡起偶成(すいきぐうせい)」 
 を、文字の確認もあってネット上を調べてみた。
 いやはや惨憺たる状態である(苦笑)。
「睡夢」が「酔夢」になっていたり、「懵懵(ぼうぼう)」が「儚儚」や「茫々」になっているのはまだ良いとしても、「亭午」が「停午」になっていたり・・・(苦笑)。
 ウイキペディアも含め、ネット上の情報はあくまでも参考程度に受け止めるしかないことは、私でなくても、多くの人たちが了解済みのはずなのだが、それにしても・・・、と思い、
『王陽明全集第六巻・詩』「江西詩」
にあるものを以下に掲載させて頂くことにした。
 まずは、意訳である。

「過去四十余年、道理に目覚めなかった。今やっと醒めたが、まだぼんやりしている。昼を過ぎたのも知らず、暁の鐘を撞きに行く。
 鐘を鳴らすのが遅かったかもしれない。それも耳に入らず眠りこけている者が多いだろうが、まさか人々皆が聾者(耳が聞こえない人)でもあるまい」

 この漢詩で陽明が言いたいことというのは、

「利益(財物)や名声を追い求める生き方は、真の幸せにつながらない。真の道に覚醒せよ。道は心だ」

 ということで、まさしく世を憂う陽明の心の叫びなのである。
 陽明学の陽明学たるゆえんは、乱暴な物言いを許して頂くなら
「道は心だ」
 にある。
 これが分かれば、大感動である。
 
 話を戻す。
 高杉晋作が好んだことで知られる「睡起偶成」と題されたこの詩は、もともと漢文で書かれているので、参考までに、原詩も掲げさせて頂いた。
 『王陽明全集』の説(457p)によれば、王陽明四八歳頃の作と言われている。
 50歳説もあるようだが、詩の中で「四十餘年」と述べているので、48歳説が妥当だろう。「餘」は「余」に同じ。

 陽明四八歳の年といえば、正徳一四(一五一九)年ということで、王陽明にとって生涯の大事件と言っても過言ではない皇族の
「寧王宸濠(ねいおうしんごう)の乱」
 を平定した年である。


 睡起偶成 二首

 一

 四十餘年睡夢中
 而今醒眼始朦朧
 不知日已過亭午
 起向高樓撞曉鐘

 二

 起向高楼撞暁鐘
 尚多昏睡正懵懵
 縦令日暮醒猶得
 不信人閒耳盡聾


 四十余年 睡夢(すいむ)の中
 而今(じこん) 醒眼(せいがん) 始めて朦朧(もうろう)
 知らず 日已(すで)に亭午(ていご)を過(す)ぐるを
 起(た)ちて高楼(こうろう)に向かい 暁鐘(ぎょうしょう)を撞(つ)く

 起ちて高楼に向かい 暁鐘を撞く
 尚(な)お多く昏睡(こんすい) 正(まさ)に懵懵(ぼうぼう)たり
 縦(たと)ひ日暮るるも 醒猶(な)お得ん
 信ぜず 人間の耳 尽(ことごと)く聾(ろう)なるを


  四十数年、まるで夢を見ていたようだ
  今やっと目が覚めたが、まだぼんやりとしている。
  もうお昼を過ぎていることに気づかず、
  起きて高楼に向かい、夜明けの鐘を撞く。

  起きて高楼に向かい、夜明けの鐘を撞く。
  まだ多くの人々は眠りこけている。
  たとえ日が暮れようとも、目覚める者は必ずいるはずだ。
  人々の耳が聞こえないなどということがあるはずがない。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 東洋思想へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ

ランキングに参加しました。
クリックしてください。