【学生は無料です!】
  今月15日(日)午後1時半から、都内文京区で講演をさせて頂きます。主催は「英霊の名誉を守り顕彰する会」、演題は、
『明治中期に陽明学が何故見直されたのか』
 です。
 明治時代といえば、文明開化の時代ということで、どちらかと言えば明るいイメージの方が強くありますが、実態はというと、まるで先の大戦の敗戦直後のように、明治期の特に前半は乞食が急増した大混乱の時代でした。
 明治時代を語るときに忘れてはならない人物が二人います。一人は、拙著『渋沢栄一と陽明学』(ワニブックス)に書かせて頂いた『論語』大好きの渋沢栄一、もう一人は儒教・漢学嫌いで知られた福沢諭吉です。
 ちょっと見は、まるで真逆の二人ですが、西郷隆盛を尊敬する点、実学や実業学校を重んじた点では一致していました。これは余談ですが、一万円札の顔になった点も共通しています。そして、二人は面識があり交友もありました。

 私は、今回、江戸時代に盛んに学ばれて、さらには幕末・維新期の志士たちの行動力の源泉となった陽明学が、何故、文明開化の時代に復活するのか、について話をさせて頂くのですが、福沢諭吉と渋沢栄一についても触れさせて頂きます。
 教科書には勿論、書店頭に並ぶ本にも載っていない話です。もちろん、陽明学の教えについても、中学生にも分かるように、分かり易い話をさせて頂きます。
 私の話は、禅や老荘思想に興味をお持ちの方にもきっと喜んで頂ける筈です。お楽しみに。

 

3人、テキストの画像のようです

私が陽明学及び日本陽明学に学んだこと!

 

 以下、私が18歳で陽明学に興味を持ち、そして7~8年前頃から日本陽明学を学ぶようになった訳について話させて頂きます。
 私が「三島事件」をきっかけに陽明学に興味を持つようになったという話は、これ迄にもブログや講演等で披露させて頂いてきましたが、20歳前後頃の私は、当時、行動哲学などと称される陽明学を学んだら、幕末の志士ではないけれど、行動力がアップして、俗にいう成功者の仲間入りができるのではないだろうか、といったような、若者にありがちな世俗的な動機がメインだったのです。
 言い忘れましたが、私は19歳頃から、ルドルフ・シュタイナーの人智学も学び始めていました。当然、陽明学、人智学以外に、カーネギーに代表されますが、よくある成功哲学とやらの本も乱読したのです。

 そんな私でしたが、陽明学を学ぶうちに、次第に動機に変化が現れてきたのです。
「それが何であれ、独りでできることはたかが知れている、人間性を高めない限り、身内はもとより他人からの支持を得ることはできないし、こんな私でも良い、と言ってくれる良き伴侶と出会い、幸せな家庭を持つことも出来ない」
 ということに気づいたのです。
 では、人格を高める、人間性を高めるためにはどうしたらいいのか、と考え始めて、若い頃は、自己流で禅をやったり、瞑想や静坐をしたり、心理学の本や宗教書を読んだのですが・・・、何と言っても決定的だったのは「日本陽明学」との出会いでした。
 平成16(2004)年12月に二松学舎大学で「陽明学に学ぶ『小信を重んじる』生き方」(「二松学舎大学東アジア学術総合研究所集刊」第35集に掲載)と題して講演をさせて頂いた頃には、すでに日本陽明学に影響を受け始めていたのですが、本格的に学び、かつ実践体得に努めるようになったのは、繰り返しになりますが、今から7~8年前頃からのこと。

 江戸初期の中江藤樹を先駆とする「日本陽明学」は、王陽明の一の高弟の王龍渓(おう・りゅうけい)の思想に多大な影響を受けていたことを知り、東洋大学名誉教授の吉田公平先生や同じく東洋大学の小路口聡(しゅじぐち・さとし)先生らの研究に助けられて、王龍渓や江戸期の日本陽明学の偉人賢人たちの実用的な教えに、目からウロコが落ちる思いを何度も味合わされたのです。
 というわけで、そんな今の私だから言えることがあります。

 それが誰であれ、人生には、善いこともあれば、良くないこともあるし、「一寸先は闇」という言葉があるように、生きていくうえでこれから何が起きるか誰にもわからないのです。聖人と言われた孔子やキリストや王陽明でさえ、悪口雑言や災難から逃れることはできなかった。私が王陽明同様に私淑するルドルフ・シュタイナーしかりです。

 であるのでしたら、私たちは、辛いことを経験することを前提に、苦難困難に耐え、逆境を克服する強い心を養っておかなければならないのです。

 いみじくもR・シュタイナーは、こう述べています。
「わたしたちは、人生の苦しみに耐える力をそなえていなくてはならないのです。人生は、苦しみばかりではなく、喜びももたらします。しかし、ときとして喜びは苦しみよりもさらに危険なものになることがあります。喜びはわたしたちから思考する力を奪い、感覚を鈍らせます。このようなときに、学校はまた他方において中庸を守り、苦しみと喜びのあいだの道を進んでいくことをみなさんに学ばせるのです。」(ルドルフ・シュタイナー、松浦賢・訳『シュタイナー先生、こどもに語る。』イザラ書房)

 喜びは苦しみをもたらす、というのは、一例として、宝くじに当たって大金を手にすることを挙げることができます。実際、宝くじで大金を得て幸せになった人はほぼゼロに近いそうです。あるいは、バブルの頃に実際あった話ですが、仕事が順調に行き過ぎて、傲慢心が生じて、人間関係を滅茶苦茶にしてしまうとか・・・。

 

 話を戻します。シュタイナー学校では、中庸の道を教えてくれるのですが、日本にはシュタイナー学校はまだまだ少なく、戦後の日本学校は唯物論教育なので、シュタイナー教育を期待するのは無理というものです。
 ですが、江戸人が学んでいた「日本陽明学」なら可能なのです。シュタイナーが言うところの中庸の道、中庸の精神を学ぶことができるのです。
 王陽明や王龍渓、日本陽明学では、心の本体である良知(りょうち)を言い換えて、中庸、自然、明徳仏性などと述べています。上記私の話に興味をお持ちになられましたら、是非、6月4日(土)の私の講演会に是非、足をお運びください。この続きは、講演会で。

何故だか、案内状の画像が消えてしまっているので、以下に案内をさせて頂きます。

◆演題:「いまこそ日本陽明学を学ぼう! 江戸の日本陽明学に学ぶ自己修養の方法・やり方」
◆講師:陽明学研究家・作家・日本陽明学実践家・林田明大(あきお)

◆日時:6月4日(土)14:30~16:30

 14:15開場
◆会場:文京シビックセンター26階「スカイホール」
※シビックセンターへの問い合わせはご遠慮ください。
◆アクセス:三田線・大江戸線/春日駅(シビックセンター連絡口)徒歩1分

丸ノ内線・南北線/後楽園駅(5番出口直結)徒歩9分

JR総武線/水道橋駅(東口)徒歩9分

◆申し込み方法:大きな会場ですから、参加申し込みは不要です。
◆お問い合わせ:090-6709-9380(佐藤)

※シビックセンターへの問い合わせはご遠慮ください。

◆参加費:千円・学生無料
◆主催:英霊の名誉を守り顕彰する会

 

2人の画像のようです

◆過去4回の陽明学ブームが起きていたこと、なかでも2回目の江戸中期、4回目の明治後期から昭和初期にかけてのブームについては、全く知られてきませんでした。

 今月30日(日)、都内・品川の「きゅりあん」で、「日本陽明学」をテーマとする講演と、「江戸の生き方に学ぶ」と題して、文芸評論家をお迎えしての対談を開催させて頂くことが、急遽決まりました。
 詳細はアップさせて頂いたチラシに記してありますが、会場の都合で、当日は、20名余の席数しか用意できません。その代わりにオンラインでの視聴が可能です。

 日本陽明学については、戦前までは盛んに研究もされ、講演会も開催されていましたが、戦後は、ほとんどゼロと言って過言ではないほど、全く知られていません。

 一つその証を挙げておきます。
 江戸中期頃から誰からともなく「近江聖人」と称されるようになった中江藤樹(1608~48)を開祖とする「日本陽明学」は、明代中期の思想家で政治家の王陽明の教えである陽明学を神道に接ぎ木したものです。 
 この「日本陽明学」、実は中江藤樹の弟子たちによる江戸前期のブームを第一回目とすれば、その後江戸中期、幕末・明治維新期、そして明治後期から昭和初期にかけての、合計4回の陽明学ブームがありました。
 そういう意味で、本当は、「日本陽明学」を抜きに、日本の近現代史は語れないはずなのです。また、日本にあって、中国や韓国にないものこそが、陽明学なのです。それ故、中国や韓国の人々の道義心(他人を思いやる気持ち)が日本人より圧倒的に低レベルなのです。

 話を戻します。
 3回目の幕末・明治維新期の陽明学ブームについては、比較的によく知られていますが、未だ、その事実を詳説した一般書は、実は、拙著『志士の流儀』(教育評論社)ただ一冊という状況です。
 過去4回の陽明学ブームが起きていたこと、なかでも2回目の江戸中期、4回目の明治後期から昭和初期にかけてのブームについては、全く知られてきませんでした。
 2回目の江戸中期は、1回目のブームとひとくくりにして考えても良いかもしれませんが、江戸中期のときには、二見直養(ふたみ・なおかい)(1657~1733)という大商人が江戸に登場、日本各地にその影響力を発揮したのですが、全くと言っていいほど、知られていません。
 映画『殿、利息でござる!』の穀田屋十三郎(1720~77)らも、日本陽明学を奉じた人で、この江戸中期の人です。
 ちなみに、つい昨年末に故人となられた九州大学名誉教授の故・中野三敏氏は、江戸中期の江戸文化を高く評価した方として知られているのですが、江戸文化の根底には陽明学があるといった趣旨のことも語っておられたのです。
 そして、問題は4回目の陽明学ブームにあります。

◆4回目の陽明学ブーム、実は過去3度のブームを超える、我が国最大規模の全国規模のブームだった。

 4回目の陽明学ブーム、実は、過去3度のブームを超える、我が国最大規模の全国規模のブームだったのです。この事実は、東洋大学名誉教授・吉田公平先生が説き続けて来られたことなのです。私はただ、吉田公平先生の説をなぞっているにすぎません。
 4度目の陽明学ブームについては、昨年刊行させて頂いた拙著『渋沢栄一と陽明学』(ワニプラス)にも触れさせて頂きました。渋沢栄一は、「儒商」として、4度目の陽明学ブームの渦中で、儒学の復興に努めたのです。
 であるにもかかわらず、昭和の陽明学者として名高い安岡正篤(まさひろ)翁が亡くなられてからというもの、我が国では、特に政財界では、儒学、陽明学を学ぶ人が減少する一方なのです。
 私は、ある時から、在野の学術者になることを断念、思想を血肉にする、つまり実践体得に努める道を選んで今日に至っています。その成果の一つと言っていいでしょう、小事大事を区別するという悪癖からも解放されつつあります。というわけで、今回の講演では、私の実体験も交えた話をさせて頂きます。

◆第2部での文芸評論家の小川榮太郎先生との対談は、初の試みです。

 第2部での文芸評論家の小川榮太郎先生との対談は、初の試みです。小川先生には、大変有難いことに、昨年、『新装版・真説「陽明学」入門』と『渋沢栄一と陽明学』(いずれもワニプラス)の両著書に、解説文を寄稿して頂きました。長年の私の体調不良から、今回の小川先生との対談は、最初で最後になるかもしれません。

 現在は、日々、断捨離(特に蔵書と書類)に努めながら、『伝習録』下巻の口語訳の下書きの加筆修正に力を尽くしています。この『伝習録』下巻の口語訳についても、まさか手掛けることになろうとは、10年前の私には、恐れ多くて、思いもつかないことでした。ですが、実践体得に努める日々の中、次第に良知(本当の私)を実感するようになり、今から5年ほど前から、口語訳にチャレンジする勇気を持てるようになっていたのです。
 
 最後になります。
 皆様お誘いあわせのうえ、奮ってご参集くださいますよう、お願い申し上げます。m(_ _"m)


陽明學チラシ (004)  林田明大 小川榮太郎 講演と対談チラシ


























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