あれから17日。


少しずつ日常を取り戻す気配が感じられるようになって、会社はほぼ通常業務。

計画停電や特別ダイヤの電車にも慣れてきて、たくさんの人の行動や言葉に、

”普通の日常”に、元気もらう日々です。


その一方で、マスコミでは伝えられない被災地の現状は想像を絶する

悲惨な話ばかりで、ただただ泣くことしかできない日々でした。



今日から実家に相馬の叔父と叔母が避難してくることになり、

両親と一緒に迎えに行きました。


私の知る東北の人たちは、先祖代々受け継いだ土地を愛し、

「自分のことよりみんなこと」という考えをごく当たり前の共通認識として持ち、

地域ごとに助け合いながら暮らしていました。


そんな叔父たちが、被災地に家族や知人を残し、

別の場所へ避難することになった孫とも離れ離れになり、

「年寄りが若いものの足かせになってはいけない」と辛く苦しい選択をして、

遠く離れた茨城へ避難することを受け入れてくれた。


落ち込むばかりいた母が、自分がしっかりしなきゃと元気を取り戻しつつあります。


しばらくは私も実家を行き来して、母を手伝いながら

少しでも力になれればと思っています。


原発から40km、瓦礫と混乱の中で格闘する従兄弟夫婦に安心してもらうためにも。



After hours


11日以降、地震の報道を見ては母がどんどん沈んでいく一方だったので、

数日後からはテレビはほとんど付けずにラジオを聞いていました。


そんなとき「避難所にいる子供たちを元気づけたい」とリクエストでかかった

アンパンマンのマーチ。


台所で片付けをしながら何気なく聞いているうちに、気づくとボロボロ泣いていました。



  そうだ うれしいんだ 生きるよろこび

   たとえ 胸の傷がいたんでも


  そうだ おそれないで みんなのために

   愛と 勇気だけが ともだちさ




どうかいつの日か、みんながかけがえのない日常を取り戻せますように。