タッコさんは父方の祖母の名前。もうすぐ3回忌を迎えます
母方の祖父母は私が生まれる前に亡くなっていたし、
父方の祖父も早くに亡くなったので、私にとっては唯一のおばあちゃんでした。
でも、うちのおばあちゃんって、みんなのおばあちゃんとちょっと違うかも?
と気づきだしたのは、小学校に上がる頃・・・
バサバサするのが嫌で、常に刈り込んだ短い髪。
悪いことをすれば自分の孫・お友達関係なく、威勢のいい下町言葉で叱り飛ばし、
面白いことがあれば涙を流して大笑い。
趣味は庭の手入れと釣りで、甘いものとお酒が大好き。
うーん、やっぱりいわゆる「おばあちゃん像」じゃないよなぁ・・・
20代前半に満州にいたタッコさん。よく当時の武勇伝を聞かされたものです
曰く、男の人でも音を上げる砂糖の90kg袋を担いでいた とか。
曰く、憲兵と飲み比べ勝負して負けたことがなかったとか。
タッコさん、どうやら憲兵さんにも一目置かれる存在だったらしい
そして、過去の武勇伝を語るときは、いつも片手にウイスキーのロック
もう、ダンディズム全開(笑)
そんなタッコさんだけど、実はヤマトナデシコな一面もありました。
満州で出会ったおっとり大らかで優しいおじいちゃんのことが大好きで、
いつも気を配り、全てにおいておじいちゃん優先!
そして、そんなタッコさんのことをおじいちゃんもとても大切に思っていて、
子供の目から見てもそれはそれは仲睦まじかったのです。
どこへ行くのもいつも一緒だった二人のお別れはあまりに突然で・・・
旅先の伊豆で心筋梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまったおじいちゃん。
このことを一番受け入れられなかったのは、タッコさんでした。
わんわん泣きながら「医者がちゃんと看てくれなかったんだ」と訴える姿は
本当に痛々しくて、何かに怒っていないと自分を保てないことはみんな分かっていたから
「そうだね」って聞くしかなかったあの頃。
初七日の席で般若心経を暗唱したときは、親族だれもが驚きました。
きっとおじいちゃんの側で毎日毎日語りかけながら、唱え続けていたんだろうな・・・
ちょっと口は悪くても、家族に惜しみない愛情を降り注ぐ
でっかい愛のカタマリのようなタッコさんが、私は大好きでした。
もうすぐタッコさんの命日。
タッコさんの大好きだった羊羹とお花を持って会いに行こう
一年で一番暑いこの季節は、太陽みたいだったタッコさんにぴったりだよ。