昭和20年(1945年)8月6日、月曜日 広島で原子爆弾による大量虐殺
被爆当時、広島には約35万人の市民や軍人がいたと考えられています。
原爆によって死亡した人の数については、現在も正確にはつかめていません。しかし、放射線による急性障害が一応おさまった、昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が死亡したと推計されています。
爆心地から1.2キロメートルでは、その日のうちにほぼ50%が死亡しました。それよりも爆心地に近い地域では80~100%が死亡したと推定されています。また、即死あるいは即日死をまぬがれた人でも、近距離で被爆し、傷害の重い人ほど、その後の死亡率が高かったようです。
昭和20年(1945年)8月9日、木曜日 長崎で原子爆弾による大量虐殺
長崎に投下された原爆「ファットマン」は広島に投下されたウラン235の原爆「リトルボーイ」(TNT火薬15,000t相当)の1.5倍の威力であった。長崎型の原爆は、威力として広島型の1.5倍と言われ、また長崎型はプルトニウムの物性に由来する毒性の強い原爆と言われています。
長崎では当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約14万9千人が死没、建物は約36%が全焼または全半壊したようです。
原爆で犠牲になられた全ての人々に鎮魂の祈りを捧げます 合掌