動揺 茫然 | **日々の記録**

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日記帳
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最近は落語にハマっていますが、かつては多摩zooライオン群れの記録や、登山記録もあります。ぜひお立ち寄りくださいませ

それなりに、毎日に満足しています^^
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たぶん何を言ってんのかわかんない記事です。

自分でもまとまらないし、何言ってんのかわかりません。

記事と言うより記録です。


地震後。

人さまのブログにコメントを入れさせてもらったときは、変なテンションでした。

いまは茫然としていてコメ入れるに至りません。


めんどくさい方はスルー推奨です↓

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地震が起きたとき、私たまたますぐ近くの銀行に行った帰りで

歩道を歩いていました。


最初はたちくらみ?めまい?と思っていたら、近くの飲食店や

ビルから人がたくさん飛び出してきて


それが地震だと気づくまで少し掛かりました。


ガラス張りのビルが並ぶので歩道では危ない。

車道側に出る人もいました。



ドコモショップの看板がぐらんぐらん揺れいて

なんだか飛んでもないことが起こってしまった・・・と生まれてはじめて思いました。



揺れがおさまって職場のビルに戻るとたくさんの人が外に出てきて

たまたま、よく呑みでご一緒する女性とばったり。


しばらくビルの前の広場にいましたが

私の上司も、うちの部署の人も見当たらないことに気づきました。


建物に入るのは気持ち悪い気がしたけれど、確認のため戻ってみると

うちの部署はもくもくと通常業務を続けていて


上司は三半規管が人一倍弱いんだと言ってダウンしていました。



そのうち、本社から外への避難を求められて、ふたたび外へ。


私もみなさんと同じようにすごかった揺れの話をしていた気がしますが

ちょっと頭の中は茫然としてしまっていて、ちょっと変なテンションでした。


電車が不通となり、外出中の社員の安否確認などをしていたので

私は自分が普通だと思っていたのですが


字を書くときに震えてうまく書けないことで、自分の動揺に気づきました。

上下の歯もなんだか合わないような感じでした。


余震もちょくちょくありました。


上司が食糧調達に出かけ、私は壁に広がったひびを確認しました。


電話はつながらないけれど、

PCも壊れていないしネットもつながるので業務を続けようと思いましたが、

まったく集中力がはたらかず結局なにもできませんでした。


うちの部署にテレビはないので、個々にワンセグで観たりしていましたが

なんだか観る気になれなくて私ははかどらない業務をしようとしていました。


1時間半歩いてやっと職場まで帰ってきた方や、マンキツに滑り込めた方、

たまたま隣県に行っていて避難所である学校の体育館に泊まることを

決めた方もいました。


都内ではおそらく都営地下鉄が最初に運行再開し、

それである程度まで帰ることのできる方は連れだって帰りだしました。


私はこのくらいから急にリウマチの痛みが出てしまって、

しかもなぜか謎の腹痛まで出てしまって、意味がわからん。


実家とはさいわいにも早い段階でメールを送りあうことができました。


東京メトロも段々再開してきましたが、すごく混みあっているとか

入場制限で改札に入るまで一時間かかるとかいう情報を見ると

運行再開しても帰らない方もいました。


翌日は休日ですし、泊まることにはなんの問題もないのですが

ただ仮眠室のようなものはないので、どうするかなーと。


私が帰宅できるルートも運行再開しましたが、かなり混みあっている様子。

寒いとこに一時間も並ぶくらいなら職場にいたほうがいいけど・・・


そのうち、こんな職場の椅子に座って朝を迎えるくらいなら

居酒屋でも行って朝を迎えるかな、と思いだす始末。


腹痛もおさまってきたし、みなさんが連れだって夕食をとりに外出したときには

気が進まなくてご遠慮したので、そういえば何も食べていませんでした。


そんなことを考えていたら

「電車動いてるぞ、今日はもう帰ったほうがいいぞ」と言われて

なんでか素直に帰ることにしました。



無事帰宅。


ガスファンヒーターがつきません。

なんで?


同じくガスファンヒーターを使っていると言っていた方が

同じくらいの帰宅時間だと思ったので、使えるか聞いてみました。


ガスがロック?されてるから復旧の操作をしないといけないことを

教えてくださいました。


そういえば越してきたときにそんな説明を聞いた気がします。

扉をあけてみましたが、暗くてよくわからないし、

説明書を引っ張り出す元気はなかったのであきらめました。


寒い。

お湯も出ない。



6缶セットになってるビールを3段くらい積んであったのですが

それが派手に崩れてました。


寝室の壁掛けの姿見が落ちていました。

割れなくてよかった。


本棚の部屋は倉庫なので、色々落ちてはいましたが

奇跡的に本は一冊も落ちておらず。


少し前に背の低いほうの本棚をL字金具でとめたばかりでした。

よかった。


背の高いほうの本棚は突っ張りタイプですが、全体的にななめになっていて

これは全部一度出して立て直さなくてはいけません。

この前整理したばかりなのに・・・。


キッチンはコップが1つ落ちて割れていました。


洗面所は洗濯機ラック?が倒れていました。


観葉植物がひとつ倒れていました。


ドレッサー周りの細かいものがあちこち散らばっていました。



本棚以外は、その日のうちに修復。




翌朝。 ガスを復旧させて


ヒーターを入れる

食洗機をつかう

朝ごはんを食べる

シャワーを浴びる   ができました。



私、会社にいるとき津波の映像を一度見たきりでした。

なんか観ている人たちが野次馬的に騒ぎながら観ていたので

うっとおしくてご一緒しませんでした。



でもその観た一度、なんだか映画を観ているようでした。

9.11のときと同じ感覚。



帰宅して、朝方4:30くらいに眠りについて、でも余震の緊張からか

変に目が冴えてしまってなかなか寝付けませんし眠くもありませんでした。


なので翌朝も7時に目が覚めて。


起きてもテレビをつける習慣がないものですからそのまま午後をむかえ、

今日はトラブル対応で出社している方からメール。


「懐中電灯買っとけよ 運動靴も自宅用避難グッズに入れときなさい」


意味がわからなくいると


「福島の原発爆発しそうだぞ」


驚きました。


そうだった、昨日は地震だったんだった。

全然テレビ観てなかった。


びっくりしてテレビをつけると、地震・津波・原発の情報をどの局も流していて

その映像と、とんでもないことになってるということに驚いて、また茫然。



私、すごく動揺してしまいました。

目の焦点が合わなくて、動揺+茫然という感じ。

今もですが。


その3時間後にまた

「懐中電灯買ったか」ってメールをいただいて

あわてて買いにいったら、最後の一本でした。


帰りに寄った100円ショップでも売りきれていて

ドラッグストアのカロリーメイトも数個しか残っていませんでした。


なんだか知らないうちに、すごいことになっていて


私の動揺が伝わったみたいで、メールをくれた方は

土日の間だけでも実家に帰れば?と言ってくださったのですけど


ちょっと考えて自分のうちにいることにしました。



なんだか全然まとまらなくてすごく動揺してます。

怖い。



あんなに一瞬に

大切にしてきたものがなくなってしまっていいの?


なんのためにそんなことが起こるの?

神さまってこれを望んでいるの?



仙台にいる友人を思い出し、メールを送ると

絵文字満載の緊張感のない文面でしたが、添付画像は

津波でなにもなくなった景色でした。


自宅の前で撮影したのですって。



なんだかすごいことになってしまっていますね。

私、こんなの対応できません。

どうしよう。



被災者の皆さま、心からお見舞い申し上げます。


って自分の言葉が空虚に感じます。