デリバティブなんてもうオワタ、と思う人がどんなにナイーブかについての考察 | 紺ガエルとの生活 ブログ版日々雑感 最後の空冷ポルシェとともに

デリバティブなんてもうオワタ、と思う人がどんなにナイーブかについての考察

私は90年代半ばに、デリバティブ(金融派生商品)の技術で当時最先端の会社で、金利系デリバティブ商品開発の仕事(というと偉そうだが)をしていたのだが。

オプショントレーダーに最初に教わったのは、「Far Out of the Moneyのオプションをモデルバリューで売ってはいけない」、ということだった。

といっても、業界関係者以外には何を言っているか分からないと思われるので。
いつも通り、くだけた言い方をすると。

「絶対起こらなさそうなことが起きると損をする保険を、価格をはじき出してくれるモデルが示す値段通りに売っちゃダメ」、ということ。

つまり。
イチローが今シーズン打率5割を記録したら、1万円払わなければならないという賭けに、いくら貰えたら乗る?と言われたら。

過去の歴史からすると5割の打率を記録した人はいないので。
過去のデータを用いて確率論的にモデルで計算すると、可能性はゼロに近く。
貰えるはずのお金1万円の、千分の1の10円でその権利を売っても。
モデル上は収益を認識できるはず。

だって、モデルでは確率ゼロだから、その権利はタダ。
10円貰えるなら、モデルが正しいとするとまるまる10円儲かっている、と認識される。

でも、15年前の時点でオプションのトレーダーはそれが間違っていることに気付いていた。

つまり。
「発生確率が著しく低い事象についてのオプション」を、(対数)正規分布の考え方に基づいたプライシングモデルのはじいた価格で売ってはいけない、という経験知。

すなわち釣り鐘型、ベルカーブ状の確率分布を前提としているモデルの欠陥をトレーダーたちは大昔から直感的に理解していた、ということである。

だって、金融の世界は。
大数の法則がワークする世界、すなわちサイコロを無限回振るとそれぞれの目が出る確率が限りなく6分の1に正確に近づく世界、のような世界ではないので。

過去の値動きからは想定できないファットテール事象(=ブラック・スワン)が起こり得て、その際大量の損を出すポジションは持ってはいけない、というのはオプショントレーダーの不文律だった。

だから、イチローがシーズン打率5割を達成すると5兆円貰える権利を50億円(5兆円の千分の一)で売って、俺は(モデル上)50億円儲かった(から給料1億よこせ)、なんてバカなこと言うトレーダーは基本いなかったわけだ。

ところで話は変わるが。
デリバティブのような金融工学が大嫌いで。
デリバティブ悪玉説大賛成、すぐにデリバティブなんか違法化しろ、なんて人も最近またぞろ出て来ていて。

「私はデリバティブなんていう不埒な商品に、一度も手を出したことがないのが誇りだ」、なんて言う人がいても全く驚かないご時世だが。

そんな人たちって。
家や車を買うときにローンを組んだことはないのだろうか?
あるいは人に金を貸して金利を受け取ったことってないのだろうか?

多分、というか間違いなくあるよね。

でも、借金あるいは誰かに金を貸すことって。
気がついていないだけで、実はOut of the Moneyのプットオプションを売買していること、なのだ。
デリバティブが分からない人は、実はこのことが全くといっていいほど分かっていない。

なんで金を貸したり借りたりするのがオプション取引になるかって?

ある会社に年率3%の金利で5年間、1億円貸すとすると。
その企業価値を原資産とするストライク1億円のプットオプションを。
ざっくり15%(3%×5年分)というプレミアムで売ったことになる。

(正確に言うと、無リスク金利を考慮しなければならないのと、プレミアムが5年間の延べ払いで、いつオプションが行使されるか分からない(=会社がいつ潰れるか分からない)から、厳密には15%よりも少ないプレミアムで売ってしまっていることになるが)

企業価値が1億円を下回ると、5年後には1億円返してもらえなくて。
債権者として、そのときの企業価値しかもらう権利はないので。

逆に、会社が予想以上にがんがん儲かったとしても。
最初に決められた金利以上のものがもらえるわけではないので。

まさに、原資産の価格がストライクを下回ったときにやられて。
上回っていてもアップサイドはプレミアムのみ、という。
プットオプションのペイアウトと全く同様。

つまり。
人に金貸すのって、プットオプションの売りと同じですから。
デリバティブ取引と知らずに、デリバティブやっているわけですから。

自分が何取引しているのか分かっていないのが、一番危険。

(もっと言うと、コミットメントラインなんかさらに複雑なデリバティブ商品ですから。
一定の金利で金を貸し出す権利の売り、なので。
プットオプションを売る権利の売り(プットオプションを原資産とするプットオプション)、というすさまじい商品。)

で、この金融危機の局面で起きたこととは。
投資家が、自分がしていることの本質をちゃんと理解せず。
リターンの低い高格付の商品に、すさまじい額を投資して。
結果的に、ボロカスにやられた。

それってまさに、金利のオプショントレーダーが絶対やってはいけないこととして真っ先に挙げたこと。
超多額の、Far Out of the Moneyのプットの売り。
つまり、損失の確率が著しく低い(ように過去の統計から思われる(=高格付))オプションを、超安い価格で大量に売ること。

過去の統計では、決してロスが出ることは考えられなかった保険を大量に売っていた人が、死ぬほどやられたり。
(たとえば5年累積ロス率の予想の最大値が5%だから、劣後水準20%あれば絶対損失が発生することはない、といって死ぬほどプロテクション売っていたAIGとか。
さっきのイチローのオプション(というかバイナリだが)の議論を見よ。
AIGFPのトレーダー(に限らないけれど)は、まさに先ほどの5兆円/50億円の議論を確信犯的にやっていた連中だから。)

絶対損失が出ないと思って、高格付の商品にばりばりレバレッジを掛けたABCPやABSCDO買っていた人たちとか。

つまり、みんなFar Out of the Moneyのプットオプションを、全力でショートしていたってこと。

だから、今回の金融危機を「バカじゃねえの?」あるいは「起こるべくして起こった」って思っている金利・為替系のオプショントレーダーは、タレブ以外にも結構多い。

(口の悪い金利・為替系デリバティブの専門家である私の友人は。
クレジットバブル華やかりし頃「クレジットのトレーダーなんて金利のトレーダーで成功しなかったやつがやる商売だ」と放言してはばからなかった。
OTMオプションのボラティリティスマイルのあり方について議論したのに、クレジットのトレーダーと全く話がかみ合わなかったそうだ)

というわけで。

デリバティブなんか自分には関係ないよ、と思っていると。
自分が気づかないうちにデリバティブポジションを抱えてしまって。

周りの人から見れば超危険に見える綱渡りを。
ヘルメットもセーフティネットも命綱もなくてやっているのに。
本人だけは気づかずにこにこしている、なんて恐ろしいことになりかねないのだ。

世の中で一番怖いのは。
無知の無知、すなわち自分が知らない、ということを知らないことだ。

(勿論全員が全員、全く分かってなかったなどという極端なことを行っているわけではないので。
いい意味でも悪い意味でも確信犯はちゃんといた。念のため。)

恐ろしくなった人は。
「ブラック・スワン」を今すぐ読んでください。
(霊感商法みたいだな)

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