時を超えて 伝わるもの | ミラコーの軌跡

ミラコーの軌跡

自分の観察。

 

私、ちゃみさんが好きです。

今は改め、CAMIさん。

本名、可美さん。

(今、リンクが貼れないので、後日貼ります)

 

 

ご本人に、会ったこと無いけど、

ブログを拝見してます。

 

 

数カ月前、

私が住む浜松市の“可美”にいらしたことがありました。

 

可美は、車で20分くらいの距離なので、

会いに行ってみるチャンスだったハズなんだけど、

その時、自分の諸事情的に、

『行かないことを選んだ』んだけどね。

 

 


可美さんの最近のブログで、

じわじわ沸き起こる感情があって、

 

その話題について、

自分のブログ記事にしたかったけど、

 


それよりも、今日のFBの投稿が、

私に響いて“横入り”してきたので、

こっちについて、先に書く(笑)

 

 

 

【今日ちょと泣いたこと】


東寺に一歳のお子さん連れで来てくれた人がいました。

 

その方は次の赤ちゃんがお腹にいて、つわり中。

 

だけど、わたしに会いたくてと
その子をおんぶして来てくれました。

 

お顔を見ると、具合はお世辞にも良くは見えません。

 

来てくれたのは良いけど、一歳の子がじっとしていられるわけもなく
会話に混じったかと思うと
その子のお世話で座ってもいられない状態で。

 

そのうち、よそのお店にまで出張し出して笑

 

商品を触り出したりしたから
ママはまたおんぶをしたりして。

 

もう、見ているだけで
その大変さがわかり
胸がきゅーんとしていました。

 

わたしもそれ、何度も経験済み。

 

もうね、無理しないでねって言葉すら
かけられないのよ。

 

だってね、無理するなって言っても
その言葉こそ、刃となってしまうくらい
ママにしか出来ないと思って頑張ってる姿とか
わかるから。

 

そんな彼女に
うちの夫は
今度、わたしと遊びに行ってきたらよい、と。

 

今度の大阪リッツ企画に興味を持ってくれてるのを知り
その時は自分が仕事を休んで娘ちゃんを見てあげるから
1人でゆっくり自分の時間を持っておいでと
提案してくれました。

 

預け先を迷っていた彼女が
その時、今日初めての心からの笑顔を見せたんです。

 

わたしはそれを見れて
すごく嬉しかった。

 

たぶん、パンが売れたことより
そのことが一番嬉しかった。

 

悪い体調を押して
会いにきてくれても
わたしには
結局
つわりを変わってあげることも出来ないし。

 

またここから駅まで、そして家まで
おんぶをして帰っていき
家に帰ったからといって寝てればよいというわけでもなく
家事したり、寝るまで続くお世話とか
そう、一時、頑張って楽しみを得たって
休みなく続く子育てとつわりの日々。

 

だから
せっかく体力振り絞って来てくれた彼女に
なにを渡してあげられるのかな?と
すごーく気になっていたのだけど
あの安心しきって喜んでいる笑顔を見れた時
心からよかったぁと思ったのでした。

 

帰りにそのことを夫に話すと
※あ、ここからオノロケです笑
『ワシ、あんなん見たら、ほんま泣きそうになるわ』って言うから
『わたしもー。めっちゃ、わかるしなぁ。』
と答えたら
『お前もあんなんやったんやろなぁと思ったら、ワシ、ほんま泣きそうになるねん』
と言って、ほんとに涙ぐんでいるのでした。

 

それ見て
わたしも涙がわっと湧きました。

 

当時は
子育ての大変さは残念ながら伝わってなかったのだけど
時を超えて
伝えようとしなくても、伝わっていること。
そんな気持ちに触れ
当時の想いも浄化されてように感じました。

 

 

 

ママという立場について、

ずっと考えている私としては、

もうホント、泣けてしまうわ。

 

 


私は、つわりも辛くなかったし、

娘のKはビビリで、

あちこち走り回る子じゃなかったし、

その後生まれた息子Aは穏やか君だし、

実の両親と同居してるし、

「あんまり苦労してなくてゴメンナサイ」だけど(笑)

 

 

でも、
うんうん、そうなんだよ。
 
お世話は寝るまで休みなく続くし、
楽しみも一時的なものだし、
やっぱり子育てが『終わることなく続いていく』ということに、
途方に暮れてしまうんだよ。。。
 
 
私は、

出先で、小さい子や妊婦さんを見ると、

当時の自分を思い出して、未だに傷つく(?)ことがあるので、
「乳幼児の育児は終わったよ」
「妊娠出産の経験も終わったよ」
「頑張ったね、その時期は終わったよ」
って、今でも自分をなだめたりするんだけど、
 
 
そんな私でも、
未だに心を痛めたくなるのは、
こういうお母さんが、
今もいっぱいいるハズだってこと。
 
 
娘のKや、
息子Aのお嫁さんも、
そういう道を、通過するかもしれないこと。
 
 
だけど私は、小さい子が大大大好きという訳でもないので、
バアバになっても、
乳幼児の孫育児を、喜んで引き受けてるかどうかが、
分からないこと。
 
 
それでも何かしら、
私に協力出来ることが、
見つけられたらいい。
 
 
それがどんなことなのか、
今は当然分からないけど、
その時が来たら、きっと分かるよね。
 
 
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「無理しないでね」
「頑張ってるね」
「ちゃんと、お母さん出来てるね」
 
 
きっと当時も、
そういう言葉をかけてもらっていたハズだけど、
 
その瞬間に居るお母さんは、
受け取れないことの方が多いと思う。
 
 
無理をしてやっと、
毎日の生活が回るくらいだし。
 
それでも、決して“上手くは”行かないから、
「頑張りが足りない」と思ってしまうし。
 
 
でも、
時を超えて、私本人からも伝えたくなる。
 
「それって、頑張ってるんだよ」
「ちゃんと、お母さん出来てるよ」
 
 
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私ね、
主人との会話の流れで、
昔の不満(?)を思い出す機会があると、
今更なのに、あれこれ言ってるの(笑)
 
 
主人:「『この椅子、当時のレベルで、よくここまで作れたなぁ』と、
     我ながら、感心する」
 
ミラコー:「ホントだね、木工教室のレベルなのに、
      とーたんは『よくもこんな収まりを考えられたな』って、
      さっき椅子のお手入れしながら、そう思ってたよ」
 
ミラコー:「でもさ、コレを作ってるくらいの時期ってKが1歳くらいでさ。
      私、言ったよね。
      『Kがまだ手がかかる時期なんだから。
      平日は仕事で遅く帰って来るし、
      土日も木工教室ばっかり行ってないで、
      もう少しお世話を手伝って欲しい。
      せめて、通うペースを半分に戻してよ』って」
 
主人:「・・・ホントだね。最悪なお父さんだね(笑)」
 
ミラコー:「でも、とーたん、こう答えたよ。
      『家族の為に、早く木工の仕事にシフトして行く為にも、
      2倍のペースで頑張りたいんだ』って」
 
主人:「ふぅん、そんなこと言ったんだね。。。」
 
ミラコー:「でも、その決意を聞いても、
      こんな立派な椅子を作って、持ち帰ってきても、
      私はあの時『とーたんなら木工で独立してもやっていける』って思ってやれなくて、
      あの時は、ごめんね。
      むしろ『独立する夢なんて、諦めてくれたらいいのに』って思ってた」
 
主人:「それは、そう思って当然だと思うよ。
    一般的な奥さんなら、そう思って当然だよ。」
 
 
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当時は
子育ての大変さは残念ながら伝わってなかったのだけど
時を超えて
伝えようとしなくても、伝わっていること。
そんな気持ちに触れ
当時の想いも浄化されてように感じました。

 

 

 

これ、

私の育児に関しても、

そっくりそのまんま当てはまるんだけど。

 


それと同時に、

主人の仕事に対する夢に関しても、

そっくりそのまんま、当てはまる話で。

 

 

当時の私には、

主人の想いが伝わらなかったんだけど、

 

それが今、私は何か事あるごとに、

「あの時、信じてやれなかった」ということを主人に謝りたくなり、

今になって、何度も泣いたりしてる。。。

 
 
だって、
妻に信じてもらえないまま、
仕事を頑張らなきゃいけないだなんて、
辛すぎるよ。。。(泣)
 
 
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乳幼児を育てていた時の自分に、
「時を超えて、伝えたいことがあった」
という話だったハズなのに、
 
「私、子育て頑張ってたんだからね!」
って言いたかったハズなのに、
 
 
いつの間にか、
「とーたん、あの時、頑張ってくれてたんだね(ToT)」
の話で終わってしまった(笑)
 
 
時を超えて、
私は主人に、
「あの時、ごめんね。あの時も、ありがとう」って、
伝えることが出来てると思う。
 

そして、
つくづく、
夫婦は鏡だと思う。
 
 
 
 
本当に座り心地が良くて、
自慢の安楽椅子なんだよ (#^^#)