http://sankei.jp.msn.com/sochi2014/news/140226/soc14022614560003-n1.htm


名古屋市にあるフィギュアスケートの名門「グランプリ東海クラブ」に通うようになったのは、6歳のときでした。自宅から電車を乗り継いで40~50分はかかりました。兄姉の影響を受けて、3歳から近所のリンクで滑っていましたが、知人の紹介で山田満知子コーチが指導する、東海クラブで本格的に学ぶことになりました。


 当時の所属で最も有名だったのが、後の1992年アルベールビル冬季五輪で銀メダリストになる伊藤みどりさん。「日本のトップスケーターなんだ」とあこがれのまなざしで見ていました。みどりさんが曲をかけて練習するときは、選手全員がリンクから上がって見学します。力強いジャンプなどを見て、「練習すれば、いつかあんなふうに滑ることができるんだ」と目標にしていました。


 みどりさんの最大の武器が、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)です。世界の女子で成功させた2人目のジャンパーで、3人目が私で、4人目が浅田真央選手(中京大)。3人ともこのクラブの出身者なのです。


 正確に説明すると、公式戦で成功した選手という注釈が付きます。実は、満知子先生のところでは、多くの選手が挑戦していて、練習では跳んでいる選手がほかにもたくさんいたのです。真央ちゃんのお姉さん、舞ちゃんも跳んでいました。


 目の前でみどりさんが跳ぶのを見て、「トリプルアクセルは女子でも練習すれば跳べるんだ」という潜在意識が染みついているのでしょう。まさに「みどりさんのDNA」が、脈々と受け継がれているのです。私もみどりさんの映像や、満知子先生が「みどりもよく見ていたよ」と教えてくれた男子選手の3回転半を何度も見て、タイミングなどを勉強して成功に至りました。


 ◇    ◇ 

   

 浅田選手、鈴木明子選手(邦和スポーツランド)、村上佳菜子選手(中京大)のソチ五輪女子の代表は、みんな名古屋やその周辺で生まれ育ちました。ほかにも、安藤美姫さんや小塚崇彦選手(トヨタ自動車)ら多くのトップスケーターを輩出しているのは、読者の皆さんもご存じだと思います。「なんで、名古屋出身の選手が多いの?」とよく聞かれます。1つには、子供たち以上に熱心な親の存在があるからなのです。


 真央ちゃんも美姫ちゃんも、私も、母が本当にたくましかったです。朝早くから起きて、朝練のためにリンクへ付き添い、そのまま学校へ送り届けて、放課後になると迎えにきてまた練習へ連れて行ってくれるのです。ただ厳しいだけでは続きません。精いっぱいの愛情を注ぎ、一緒に世界を目指していたのだと思います。


 貸し切りの練習時間帯が遅く、帰宅時間は日付が変わる直前なんて日も少なくありませんでした。夕方5時ごろから夜までずっとリンクにいて、学校の宿題も休憩時間の合間にしていました。


 私や真央ちゃん、今は佳菜ちゃんがいる名古屋の大須にあるリンクでは、その光景が当たり前でした。小さいころは、とにかく練習を積めば積むほど上達し、大会で好成績をあげられたと思います。子供たちももちろんうまくなりたいのですが、それ以上にお母さんたちは熱が入るのでしょう。


 先生との個人レッスンは、長くても30分くらいで、後は自主練習です。実質的なコーチはそれぞれの母親であり、リンクサイドに並んだ母たちが自分の子供にジャンプの跳び方などを指導するのです。


多いときでは、30人近くの選手が夜遅くまで練習をしていました。周りの選手たちに刺激を受けながら練習するので、レベルが上がるのは当然です。


 なかでも、舞ちゃんと真央ちゃんの浅田姉妹は、一番リンクに長くいたのではないでしょうか。それだけ、亡くなられた匡子さんが2人に愛情をかけていたのだと思います。


    ◇    ◇  

  

 そんな“名古屋勢”の強みは、どんなリンクでも普段通りに滑れることです。


 リンクには、フィギュアスケートの選手だけでなく、夕方などの時間帯は「一般滑走」の愛好家たちもいます。リンクの表面の氷はガリガリと削られていて、整氷作業も間に合いません。そんなときに、「リンクの状態が悪いからジャンプが跳べない」などと嘆いていては練習にならないのです


 たくさんのリンクがあり、貸し切り状態で滑ることができるような北米の選手たちと比べれば、練習環境は雲泥の差です。それでも、こうしたハンディが、実際の大会では強みに変わるのです。氷の硬さや状態は会場によってさまざまですが、厳しい環境で育ってきたからこそ、対応できるからです。


 切磋琢磨(せっさたくま)した同級生の中には、名古屋で指導者になった人たちもいます。彼女たちが教える子供たちの中から、また世界のトップスケーターが誕生する日が待ち遠しくもあり、「真央ちゃんの次にトリプルアクセルを跳ぶ選手も名古屋から出てほしいな」と、胸の中で思っています。