キモチをカタチに|´▽`)ノ☆。・:*:・゚'★,。・:*:・'。・:*:・゚'☆ |  キモチ法律事務所 ~枯れ木に花を咲かせましょ~

キモチをカタチに|´▽`)ノ☆。・:*:・゚'★,。・:*:・'。・:*:・゚'☆


こねこ




人には色んなキモチがあるでしょう。


愛情、憎しみ、感謝、怒り、信頼、不安、幸せ、悲しみ、期待、謝罪、トラウマ、ジレンマ・・・etc...etc...etc...


無限にあるキモチには、飲み込まなければならないものや、かき消さなければならないものもある。


しかし一方で、誰かに伝えたいものや伝えなくてはならないものもある。




前者は個人の中の問題だから、それぞれの忍耐力や社会性の問題にすぎないと思う。


それに対して、後者の場合には伝達の相手すなわちキモチを伝える“誰か”の存在が必ずある。


それゆえ、どうやってキモチを伝えるかどうすれば的確に伝わるかを真剣に試行錯誤する必要がある。


その吟味にこそ思いやりというものがあり、己自信の成長の種もあるのではないだろうか。




伝える方法、伝えるタイミング、伝えようと試みる回数、伝える程度・・・考える要素はたくさんある。


それをさらに具体化して説明するならば、パニックになるほどの試行錯誤を繰り返していることになる。




直で話す? メール? 電話? 手紙?


今相手は話を聞ける状況にある? ストレスや悩みを抱えてない?


伝わるまで何度も繰り返す? 一度ダメなら違う方法を考える?


自分から伝えてもいいものなのか?  相手に気づいてもらわなければ意味のないものなのか?




伝える“相手”が大切な人の場合はとりわけ真摯に吟味する。


話を聞いてもらえる状況にないのなら、まず俺がその状況を作ってやる。


その話をするだけのことを自分がやれているか、自分のことも振り返る。


それらを怠れば、衝突して破滅するか、揚げ足をとられて何も伝わらないかになってしまう。




世間には『お前が心配。お前のため。』というセリフを盾に子供をむやみに縛り付ける親がいる。


親がそのキモチを持ってるのは事実だろうし素晴らしいが、単に縛り付けるだけなら陳腐なセリフだ。


キモチの伝え方を間違ってるから、子供は自分が親になるまで親のキモチを理解しないのだろう。


親としての社会的責務は果たせても、子供の信頼を得ることはできず、子供に嘘をつかれるだけだ。


子供が早く帰宅して家族で食卓を囲んでいても、義務化したものなら理想の家族の虚像にすぎない。




『親に感謝してないとは何事か』


『親を一番信用するのが常識やろ』


そんな親のセリフもよく耳にする。


親やから感謝するとか、親やから信用するとか、勘違いも甚だしい。


確かに、親は敬うべき存在だし、そうあるべきだと思う。


しかし、それ以前に、親が敬われるべき存在であるべきだ。


親が子供の声に耳を傾け、子供のキモチを大切にし、無償の愛を伝えることが必要だ。


それがあってはじめて、子供に親に対する感謝や信頼のキモチが生まれるのではないか。


親という立場にあるだけで、それが得られると思うのは明らかに間違いだ。


子供を縛ること自体が間違ってるって言ってんじゃない。


本当に子供を愛し心配してるなら、それを子供に伝える方法をもっと真剣に考えて欲しいと思う。






冒頭の猫の画像は実はノートの表紙だ。


俺が“心配”というキモチをぶこに伝えるために彼女に送ったノートだ。


俺の影響を受けて、最近車を買った初心ドライバーのぶこが心配で心配でたまらない。


『ちゃんと安全運転しろよ』と言うというのも一つの方法だ。


雨の日や夜は危ないから運転するなと命令することもまた一つの方法かもしれない。


でも、それで俺の“心配”はしっかりぶこに伝わるのだろうか。


俺はそれだけでは伝わりきらず、俺のキモチがないがしろにされる気がした。


だから、俺のキモチをこの猫のノートに託すことにしたのだ。




俺が7年間のドライバー経験で危険を感じた場面を一つ一つ書いていった。


わかりにくいところにはへたくそな図表も書いた。


交差点や右左折、進路変更などの基本的な留意点から、初心者が陥り安い危険な運転も列挙した。


最後に、付近の主要道路をぶこがわかりやすいようにまとめた地図を書き、危険地帯にチェックした。




これで俺の“心配”が充分に伝わったかはわからない。


ただ、『友達と乗るのは認めへん』と言ったら『せっかく車買ったのに何でやねん』と反発されるの


が普通であるにもかかわらず、ぶこは俺のそんな言葉を受け入れている。


それは俺の“心配”がちゃんと伝わってるからではないだろうか。


早くぶこが一流ドライバーになるように懸命に指導するなどといった他の面も影響しているでしょうけど。





俺だって、人に対して己の無力感を感じることは多々あります。


先の24時間テレビのドラマでも、病人に対して無力感を感じる友人たちの姿が描写されてました。


でも、『本当に俺には何もできないのか?』と自問することを忘れてはならないと思ってます。




何かできるはず。


家族のため、恋人のため、友達のため、小さなことかもしれないが誰しもが何かをできるはずだ。


それを一生懸命発掘しては実行する。


それがキモチを伝えるってことだと俺は思う。


嘆いたり、批判する前に、もっとしっかり自分のキモチを伝えましょ。


そしたら、何かが変わるかも。




みなさんも是非、キモチカタチ|´▽`)ノ☆。・:*:・゚'★,。・:*:・'。・:*:・゚'☆