好印象を与える「会社の辞め方」とは
私どもが、ある企業の依頼を受けて条件を満たす人物を推薦し、めでたくスカウトが成功したとします。
その際に非常に大切になってくるのが、勤めていた会社の辞め方、よくいわれるところの「引き際」です。
これを間違うと、後々、禍根を残すことになりかねません。
そこで辞める会社にも、新しい勤務先にも好印象を与え、働きやすい環境にするための出処進退を考えてみましょう。
1つは「タイミング」。
当該会計年度の途中で抜けると無用の摩擦が生じます。
とりわけ上位役職者になるとなおさらです。
その会計年度の業績に目途がつき、翌年度の経営体制と
人事が見えてからがいいと思います。
私から見ても、そうした配慮ができる人が最終的にはヘッドハンティングによる
転職でも成功します。
やはり、お世話になった会社ですから、退職する会社のことも考える。
それも人間的に大事な資質です。
2つ目は、任侠の世界ではありませんが「仁義」ということです。
一般の企業においては、社員が退職後に同業他社へ就職することを禁じた競業避止義務を設けていることが多々あります。
日本の場合、長期雇用が前提で就業される場合が多いですから、在職中は心理的な結束力が強まっていくわけです。
それなのに、ライバル会社に移るというのは、法律論とは別次元で、いわゆる一宿一飯の恩義に背くことになりかねません。
3番目としては、会社の経営状況が良くない時期に辞めるというのは、敵前逃亡のように受け取られます。
某大手メーカーがリストラをしていたときに、その会社の何人かの幹部の人から、「残るべきか否か」の相談を受けたことがありました。
私は「特に肩を叩かれていないのであれば、給料が落ちたとしても、変革(再生)を見届けたほうがいい。
それが美学だと思う」とアドバイスしたことがあります。
当社の仕事に即していえば、倒産した会社に最後まで残って清算業務をこなしていくのは誰かということは常に注視しています。
バブル崩壊後に過剰投資が原因で破綻した証券会社がありました。
当時、社長と専務が撤退戦を担ったのですが、その専務を採用したことがありました。
業界での人望も厚く、とにかく引く手あまたでした。
その方は一緒に仕事をするようになってからも「うちに来ないか」というオファーが絶えませんでした。
「有休消化」で垣間見えるあなたの職業観
これら3つの配慮ができるリーダーに共通しているのは「無私の精神」かもしれません。
部下の成長を自分の喜びとし、会社の業績向上を第一に考えています。
また、自分に任せられた部署では、冷静かつ情熱的に仕事に対処していきます。
誰が見ても、落ち着きがあり頼りがいがあります。
こうした人間性は平時にはなかなか見抜くことは困難なのですが、会社がピンチになると明らかになってきます。
働き方の変化に伴い、いくつもの会社を移ることをキャリアデベロップメントの一環と考える人たちも増えてきました。
半面で、ビジネス人生を1つの会社でまっとうするという価値観も依然として根強くあります。基本的には雇用システムの二極化が進んだと認識してさしつかえありません。
「人材大流動化時代」とか「転職時代」という言葉も見かけますが、私はこれには異論があります。
日本では、まだまだ終身雇用型・長期雇用型が継続しながらも、IT・ソフト・先端技術業界(再生医療やロボット関連)などの歴史の浅い新興産業は比較的流動性が高いと考えるべきでしょう。
当然、比較的若い時期に現在の会社を辞めるという選択肢も出てくるはずです。
あえてコメントさせてもらうなら、そこでも清々しい辞め方というものがあります。
例えば、消化しきれていない有給休暇をどうするかなどです。
権利として全部取得するのは構いませんが、その人の職業観が垣間見える瞬間かもしれません。
なぜなら、日本の会社、なかでも上場企業は、社員への教育投資には、それなりのコストを投じているものです。
宿泊施設を利用して行われる新入社員研修からスタートし、何年かするとフォローアップ研修や職階別研修も行われます。
非常に数は少ないものの、社費でのMBA留学などはその最たるものといっていいでしょう。
それ以外にも、折に触れたOJTは枚挙にいとまがありません。
つまり、会社に育ててもらった恩は間違いなくあります。
よく「立つ鳥跡を濁さず」といいますが、恩に後ろ足で砂をかけるようなことは厳に慎むべきです。
いずれにしても、辞め方は大切です。
当社の場合も、過去に同業他社に移ったという例もありました。
もちろん、会社としては、競業避止とはいっていますが、それまでがんばって会社に貢献してくれた人でしたから、綺麗な去り方であれば黙認したこともありました。
先輩や仲間たちに見送られ、「お互いいい仕事をしよう」とエールを交換して退職していったのを昨日のことのように覚えています。
できることなら職業人生活というものは、いつもそうありたいものです。