私が心底楽しめるのはそんな時。
どれもこれも、とてもシンプルなことなのだけど、シンプルも、極めに極めたシンプルなことです。
私に食べる楽しみを教えてくれた父には、心から感謝しています。
子供の頃から、空腹時に、気を失ったり、感情が爆発しがちであった私は、お腹が空くと我慢ができなかった。
空腹が満たされれば良い、という話なので、別に、何を食べても良かった。
とにかく沢山食べないと、落ち着かなかったから、半端ない量を食べた。
父は料理のとても上手い人だったので、美味しい物を食べた時、私はとてつもなく幸せになります。単純です。
でも、ちょっぴり面倒臭いのは、とてつもなく美味しい物を食べた時、に、限る、です。
お腹が空けば、別になんでも食べますが、楽しくはありません。生きるために食べてます。
ガンをやってからは、食がどんどん細くなってしまい、お腹が空かないので、今はあんまり食べられません。
それでも、どうしてもこれを食べたい!と思える感情を授けてくれたのは、私の父です。
もうじき正月ですが、やっぱり今でも食べたくなるのが、脳で幸せを感じた、父のあのお雑煮です。
あの味だけは脳が覚えていてくれるから、思い出すだけで幸せな心持ちになります。
私も妹も、何度もチャレンジしてますが、亡くなった父と同じ味にはなりません。
あとは、とてつもなく綺麗な物を見た時。
そして、とてつもなく美しい音を聞いた時。楽器、ハーモニー。
バンドと歌と会場が1つになった瞬間。
あとは、木々の多い自然の中にいる時。
静寂の中にいる時。
涙が止まらないくらいの感動のある芝居や、映画や、ドラマを観た時。
自身が溶けるのではないかと思うようないい香りの中にいる時。
動物園にいる時。
水族館にいる時。
砂浜を歩いている時に、オレンジに海が染まり始め、大きな夕陽が落ちる時、自然と涙が溢れてきます。
心から信頼しあえる人と、同じ時間を過ごしている時。
私が心から楽しいと思えることは、こんな単純なことです。
ただ、同じ思いを分かち合える人がいれば、喜びも倍増します。
ただ、面倒臭い脳みそは、ほんの些細な違いにも気づいて、同じ思いでないことを知ってしまうと、楽しむことを許してくれません。
なので、心から信頼しあえる人とだけしか、楽しさを共有できなくて。
そんな面倒臭い脳味噌をしっかり受け止めてくれる花のエッセンスのことを、しっかり自身の生きる力にして、人様に迷惑をかけない自分になりたいのです。