風に飛ぶ綿帽子を見たことがあるか。
あれは決して、ただ風に飛ばされているのではない。
唯一意思表示のための武器である羽を利用し、上下左右縦横無尽に、まるで虫のように飛び、あたりを認識している。
どこへ降り立とうかと、生死をかけて己の場所を探している。
風や重力に負けて、不本意な所に落ちたとしても、腹を出して大空を見上げて、泣きながら、それとも笑いながら、あるいは次の風のチャンスを狙いつつ、絶対に諦めはしない。
小さな蟻に、獲物を捕らえたその足で蹴散らかされても、生きることに踏ん張っている。
踏まれても踏まれても笑っていた親のタンポポの血を引き継ぎ、あまりにも小さな命の羽を震わせながら風を待っている。
まるで人間のようだ。
あの高くて広い大空に憧れても、雨風に詰られて挫折し、自分の無力さを思い知らされる。
届かない想いをひたすら抱えながら、居着いた場所に満足を得て、ひたすら根を地下深くへと伸ばし続けていく。
抜かれても抜かれても、また生えて来られるように、雑草の心を強く持ち、どこにもある顔で自信たっぷりに、来る日も来る日も小さな花を咲かせては、いつか裏切った風にも笑顔を絶やさず、そして誰も羨まないで、己だけの花を咲かせる。
そんな想いを受け取ったはずの綿帽子よ。
諦めないでその意思を貫いておくれ。
お前の心は影に飛ばされても、太陽の光はどこにでも届く。
屋根を越え、石段を転がり、脇の草むらに紛れ込んでもさえ、命の根は己の心根にへと伸ばすことができる。
そんな意思を持った綿帽子の奇跡を、通り過ぎていくだけの春うららの山の麓で観た。