三大宣言ビックリマーク


一、お客様の健康に貢献します。


一、お客様の食を媒体とした幸福を追求致します。


一、お客様に感動を与えられる仕事を創造して参ります。


長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2


お店の詳細右矢印食べログ
ナイフとフォーク


滋賀焼肉ランキング


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


滋賀県 ブログランキングへ

  • 26 Sep
    • 父と娘のコミュニケーション

      この頃、外では割と八方美人のくせに、家では自分の世界に籠もりがちな次女とは対照的に、人付き合いが苦手で内ではうるさいほどよく喋る長女と会話する。 娘達とのコミュニケーション。 世間では、年頃の娘に喋って貰えるだけで父親は幸せならしい。 何言ってる! 育てたのは誰だ!? 「お母さん」 そんな声が聞こえてくる。 「産んだのは?」 「お父さん!」 とは絶対に言わない。 娘らに対する不満がないとは言えない。 いや、いっぱい言っておきたいことがある。 でも、教訓めいたことを言うのはいやだ。 友達みたいな関係もわざとらしい。 どう転んでも、父と娘なのだから。 彼女たちが幼い頃は、ずっとかみさんに任せっきりだった子育て。 可愛いときだけ、都合の良いことだけ甘えさせたり一緒に遊んだ。 その方が上手く行くと思っていた。 一々細かいことにうるさい父親にはなりたくなかった。 その分、思春期になったら父親の存在感を示そうと目論でた。 しかし、あっという間にその時期を過ぎ、果たして自分は何をやってたのかという心境。 いつ結婚してもおかしくない年齢に差し掛かった娘たち。 今から挽回できるか? というか、一体何を挽回しようとするのか分からない。 父親の威厳? そんなものは封建社会と同様、ただの名残であり、地に落ちた夏の枯れ葉だ。 娘らの世界に触れてみる。 ともかく、そんなことを企んでいる。 記憶に残す。 が、そのための自身がまだまだ。 自己に甘い。 そんな印象を与えたくはないだろう。 だからもっと人間学を学び続けるのはもちろん、力不足でも、現在の観点から色んな事を話してみたい。 夜、仕事を終えると、寝ていようがいまいが、大概2人の娘のそれぞれの部屋を覗く。 これもまた、普通なら嫌がるかもしれない。 それが面白いことに、2人とも起きてたら大体は笑顔を見せてくれる。それだけでだめ親父は救われた気になるのだ。 誰かと電話してたり、何か夢中になっているとき以外は、部屋に入って腰を下ろし、たわいのない会話を一言、二言、たまには数分間する。 そうだ。これからは私も、笑顔でもっと突っ込んだ話をしよう。何も娘たちのことでなくてもいい。自分の思いや話をしてもいいわけだ。 何を遠慮してたのだろう? 「明日、山に行く?」 「行かない」 それだって構わないじゃないか。 いつか、 「行く、行く。ハイドとプチも連れてく?」 そんな返答が帰ってくるかも知れないではないか! なんて弱気な父親の一人芝居。 負けずにやってやるぜ。  

      NEW!

      2
      2
      テーマ:
  • 25 Sep
    • 時と場所を選ばないものって何?

      今朝もまた、示唆的な夢を見た。 少し、霧に霞んだみたいにあやふやな所もあるのだが、断片的な内容はこう。SNS の知り合いがFBか何かのコメントで謗られていて、彼女はショックを受けていた。私は彼女を慰め励まそうと必死にメッセージを考えていた。 それが次のようなもの。 人のあなたに対するイメージや考え、評価は、無責任に如何様にも変遷しゆく。 あなたに唯一できること、魂が自分らしく生き生きと、いかに成長していけるか、それだけを考えなさい。 「より豊かに、より深く、より幸福になるために」 何とも、きざで、ゲーテかトルストイか、その辺りの人生にポジティブで明るい文豪がどこかで言っていた借りてきた言葉のよう。 ま、夢のことだから。 そもそも文豪だから説得力があっても、焼肉屋の親父がそんなもっともらしい言葉を吐いても、それこそ直ちに心の網で焼かれて煙となって排煙されるに違いない。 でも、これって、自分に向けた言葉ではないかい?そう気づかされた。夢は何かを暗示する。 ただ、宗教や哲学、精神世界、音楽や絵画、文学などに代表される芸術に文化、文明など、人間が創り出すありとあらゆるすべてが志向するのは、その仮の形としての物質だけではなく、心、魂がそこに辿り着くことなのは確かなことだろう。 そして、そのためにできることは、今を聡明に懸命に生きること。過去の事実は変えられなくても意味と未来は変えられるのは、洋画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観て教えて貰った。その証拠に、今、何をするかは、自分で決められるのだ。それも元々決められたこと、変えられない運命だと言われれば元も子も、過去も現在・未来もありゃしない。 ただ、時間という枠と、現在の環境に支配されてる感は非常に強い。人は今を生きると同時に今からは逃げられない。仕事や家族、それ故の暮らしに引きずられる。 心だけだ!いつでもどこでも自由なのは。目をつぶれば、どこへもいつへも即行ける。何だって創造できる。瞑想、空想、夢の中。時と場所を選ばぬ奇跡。 現実をホログラフィックに思考を反映させると、新たな宇宙的地平線に昇る金色に輝く魂の無限性と、そこに照らし出された永遠に拡がり続ける沃野が見えてくる気がしている。

      3
      テーマ:
  • 24 Sep
    • 愛犬プチの転落事故

      2、3週間前にマイファミリーに迎え入れたばかりのプードル犬のプチが、玩具遊び中にソファーから転落した。 後から詳細に聴いた話だが、長女と玩具で遊んでいる際に、調子に乗りながらソファーから飛び降りた。興奮しすぎたせいか、勢い余って頭から着地してしまい、軽い脳震盪を起こしたのか、しばらくそのまま痙攣していた。骨折したのか、頭を打ってどうにかなったのかと、かみさんと長女が駆け寄り大騒ぎ。 「病院に連れて行こう、お母さん!」 大泣きしている長女に、 「あかん!今からどうしても銀行に行く用事が……」 とかみさん。 人間にとってわずかな段差も犬には家の2階に相当する。 その頃、その話し声をドア越しに聞きながら呑気にトイレに入ってた私は、出るものも出ず、 「一寸待って。今行くから」 と慌ててパパッと各処理を済ませ、パンツとズボンを同時に上げた。 しかし、彼女たちが電話した地元の動物病院はどこもが診察時間外で連絡取れず。 何件目かでやっと、時間外診察を受け入れてくれる近江八幡市の森動物病院に繋がり、搬送することに。ところが、当の本人ならぬ本犬はその頃、澄ました顔に戻り、普通にちゃんと部屋の中を歩き回っているではないか。 「大丈夫や。しばらく様子見とこうか」 と、ほっと安堵して拍子抜けしたかみさんと私。一方、念のため連れて行くという長女は、ガンとしてそんな気安めな言葉を聞く耳を持たない。 翌日、つまり今朝の顔 車で20分あまり。着いた病院は近代的で内外共に清潔な建物。 それに何よりも、一言で言うと、 「感動した!」 元総理の発言ではないが、まだ若い3代目の先生と女性スタッフが懇切丁寧に詳しく説明されながらプチの全身を診てくださり、その親身さには頭が下がる思いがした。 イケメンで誠実な3代目先生(ホームページから拝借) 結果、触診、検便では異常は見られなかった。怖いのは、首の骨折と脳内出血。念のために鎮静剤が打たれた。 明日午前中までに何らかの症状が出なければ大丈夫とのこと。 帰り際、受付の別の女性スタッフも、帰宅後の過ごさせ方や容態が急変したときの対応の仕方や連絡方法などを詳細にアドバイスしてくださった。そして、 「本当によかったですね!」 との満面の笑みと一言が、何て言うか、仕事を離れ、動物を心から愛されているのが分かり、また、私たち家族の立場や心境を慮ってくださっているのがヒシヒシと伝わって来て、そんな美しい心根から発する言葉に、感動が全身を貫いた。 人の場合なら、病を診て人を診ずと言われるが、ここは院長をはじめ、その精神を引き継がれた3代目、そして全スタッフが、まるで我が家族のように来院するペットの痛みや苦痛、その家族の不安や悲しみを丸ごと治療されているのだと納得した。 それは見せかけ、虚偽ではないのが、動作やしぐさ、言葉の端々に、何よりもその目に表れていた。 次元は異なるが、焼肉屋である私たちは、いったいどこまでお客さんに対する思いを抱けているだろうか?肉を自慢してるばかりで何になる?肉を見てお客さんを見ずになってはいまいか!? 思わず我が身を振り返らされた。

      5
      4
      テーマ:
  • 23 Sep
    • おーい、どこまで霜降り、シャトーブリアン!?

      これだけ毎日捌いていても、おっ、これはと感動する肉には滅多にお目にかかれません。 当然、一般の方々より厳しい目利きになる分けで、業者様には申し訳ないのですが、気に入らなければ返品することも、ままあります。 お客様の健康と笑顔、感動がすべてですから、致し方ないのです。 そこで、今回入荷のフィレには参りました。文句のつけようがありません! 先から後ろまで、どこをカットしても金太郎飴のようなお見事な霜降り! お客様、業者様、牛さんに感謝、感謝です(^-^) ナカバラと隣接する部分。カイノミのかたわれ。塊の場合、主にココを見て肉質を判断します。

      5
      4
      テーマ:
  • 22 Sep
    • たった1つだけ

      出口のない入口。 答えのない問いかけ。 風のない鯉幟。 空を持たない雲 巣を離れた蜘蛛。 母親のいない子供。 報われない言葉遊び。 遊ばない子供。 学ばない大人。 核保有国が核開発国を非難する。国籍で差別される人が男女を差別する。 男は女を女は男がわからない。冷たさは優しさの中にある。 平和の中にも戦争があり、戦争の中にも愛がある。 動物や虫に教えられる。 醜いアヒルの美しさ。 木の中から花が咲く。花が枯れる。 愛しているは憎いと同じ。 夢は挫折を繰り返す。 失敗続きで成功する。 自由は不自由さを伴う。 責任を最後まで取れないのが責任だ。 権利を主張すればするほど義務を課せられる。 金はあればあるほど足りずに、欲望を抑えつければつけるほど顔を出す。 真顔は偽顔。 群れの中の孤独。 砂漠のオアシス。 笑いながら泣ける。 悲しいと笑ってる。 尊敬していますと言いながら軽蔑してる。 空にあこがれ地を這っている。 自分に絶望していると有頂天。 でも……。 世界がたった1つだったら、何ら矛盾しない。 内も外も、心と体、人間と環境も、 すべてがすべてに繋がっているのだったなら。

      4
      テーマ:
    • ”力を貸して下さい《拡散お願いします》”

      命を繋ぐリレーです!

      1
      テーマ:
  • 21 Sep
    • 『ぼくのマンガ人生』

       ぼくのマンガ人生 (岩波新書)907円Amazon 手塚治虫……。 昭和に生まれ育ち、恵まれた子供時代を過ごした私にとって、この名前の響きは裕福とまではいかなくとも、味噌汁やカレーの湯気に包まれテレビに釘付けだった生活環境の思い出と共に、懐かしさを伴いつつ伝わってくる。 ジャングル大帝やリボンの騎士、鉄腕アトム、マグマ大使、思春期には火の鳥やアドルフに告ぐ、ブラックジャックなど、漫画の神様から届けられたメッセージは今もなお、自分の血肉となって脈打っていることを感じる。  神様が遺してくれたもの、神様自身のテーマであったものはなにか? 彼は戦争時代に青春を過ごした。学校で漫画を描いていたら、非国民のように罵られた。が、ただ一人、美術の先生が彼をかばい、「手塚、どんなに戦争が激しくなっても、たとえ兵隊にとられるようなことがあっても、マンガを描くことだけはやめるなよ。おまえはきっと、いつか、それで身を立てられるチャンスがあるんだから。いまはこういう時勢なんだが、あきらめちゃいかんぞ」と励まされる。  そして終戦。大阪の焼け野原に立った彼は、「ああ、生きていてよかった」と、生命の奥底から喜びを噛み締める。貧しさやひもじさ、繰り返された空襲により、幾度となく命を脅かされてきた若者は、未来に希望を見つけた。これが彼のその後の創作人生すべての原点となった。 命の美しさと醜さ、今に生きる素晴らしさと永遠の生命を希求する儚さ、彼の異なるジャンルの様々な作品に一貫して流れ通っていたのは、「生命の尊厳」であった。 それは今も台風の去った後の秋風のように、少し冷たく、でもやさしく枯れ葉を肩に落としながら、現代という緊迫した諸問題を抱えたグローバル社会に警鐘となって訴えかけ、私たち一人一人の人生の道程にも、道標となり、確かな風音を吹かせてもいる。

      4
      2
      テーマ:
  • 20 Sep
    • かないくん

      「真っ白なまぶしい世界の中で、 突然私は『始まった』と思った。」 (『かないくん』谷川俊太郎 作 松本大洋 絵) 詩人と漫画家の絵が絶妙な距離感でもって奥深さを醸し出している作品。 死とは何か、頭で考えるのではなく、からだで、その潜在下で感じ取るものだと示唆してくれる。 身近な人が亡くなる。 その人の部屋はそのままに、歯ブラシや眼鏡も最後に使われたままに、 まるでその人の帰りを待つかのようにそこにある。 不思議だ。 からだは、魂は何処へ行った? 灰になり、空に蒸発し、土や雨になる。 それだけのこと。  「しぬって、 ただここに いなくなるだけのこと?」 (同) お袋は亡くなるほんの少し前に、私に語りかけた。 「あの時、別の道を選んでいたら、どんな人生やったやろな?」 夢見るように目を細め、憧れの眼差しを青空に浮かべ、まるで来世を想像するかのような表情だった。 生命は永遠だとか、死ねば無になるだけのことだとか、 そんな詮索は言葉遊びに過ぎない。 分かる、分からないではなく、そこにゆき、知ることを楽しみにしていればいい。 小宇宙であるこのからだを見つめて、注意深く感じて、死滅と再生の調べを耳を澄ませて聴けるよう。

      3
      2
      テーマ:
  • 19 Sep
    • クマムシになろう

      1日の計は朝にありき。 朝に勝つと、大概スムーズにタスクが進行していく。 当たり前だが、そのためには夜早く就寝することである。 今朝は9時に起きた。 ベッドからずり落ちた。 世間では、仕事が既に本格的に軌道に乗る頃だが、私たち、夜を生業としている者にとって、この時間帯はまだ夢の中か、起きてても頭がぼーっとしていることの方が多い。 もちろん、何時に寝ようが起床時間を一定に保ち、朝から元気に活躍されている方もおられるだろう。 が、元来怠け者、寝ても覚めても夢を食べるような生き方しかできない私は、すっかり上ったお日様を妬ましげに見上げる毎日を送ってる。 だから、9時に起きれば世界観が変わる、といってもあながち大げさな物言いではない。 それを味わいたければ、単純なこと、4時前には寝ることだ。 分かっちゃいるけど、つい夜更かししてしまう悪習慣。 太陽に代わって月が天空にお出ましすると、夜は永遠に続くと本気で思わされてしまう。 しかし、午前中に本来の朝のタスクができる事は、非常に大きな意味合いを持つ。 いつ死ぬかも分からないから、今を本当の意味で生ききることの基本ともなろう。 それにしても、人生何をしたら満足するのか今も分からない。 深淵に臨むが如し。 深淵に臨んで薄氷を踏むが如し。 欲望や人生の深淵さを垣間見る思い。 実は人生の危険にいつも晒されていることに、気付かないふりをしているだけなのだ。 良い意味での危機意識を持つ。 究極はメメントモリ、死を想うことだろう。 明日死ぬかも知れない。 目に見えぬ空気のような存在の生命として永遠に学びながら生き続けるのかも知れない。  時空を超越した生き物であるクマムシのように、どこにもいて、そうでありながら、誰もがいられない条件でも命のバトンを繋げる存在でありたい。 畢竟、人生という教科書の新しいページを今日も開き、そこに我が命の遍歴、気づきや問いかけ、覚え書きなどを刻み込んでいきたい。   

      6
      テーマ:
  • 18 Sep
    • 心に火をつけて

      このところ、ブログランキングや自身のブログに対する考えを書いたところ、予想外の誠実で真摯なコメントや励ましメッセージを数々いただいた。 正直、ネット上の繋がりなど希薄で気まぐれなものだと感じていた。しかし、ブログサークルを通して、予想外のネットワークの強靱さを思い知らされた。  ただの日記、自己満足に過ぎないこのブログでも読んでくださる方がおられ、その心の裏側まで察して貴重な助言をいただいて感謝の念に堪えない。 そんな宝の言葉に支えられ、これからもブログを更新させていただきたいと心から思う。 私にとってここは、自身と向き合い考えをまとめ、心を浄化させる貴重な場所。 今後もそれを継続させてくれる仲間を大切にし、楽しみながらやっていきたい。 大袈裟だけど、残りの人生をどう生きるかということにも連なってゆく。 『子の曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。』孔子の有名な論語の一節である。  「私は十五歳の時に学問に志を据えた。三十歳にして学問に対する自分なりの基礎を確立した。四十歳で事の道理に通じて、諸事に迷わなくなった。五十歳になると天命の理を知った。六十歳では他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになった。そして七十歳になると、心のおもむくままに行動しても道をはずさなくなった。」との意訳になる。15の時には高校担任の先生に頭を下げられ自主退学の落ちこぼれ。その少し前の謹慎中に人生書に心の羅針盤を求めてた。今も蔵書している加藤諦三の『俺には俺の生き方がある』を筆頭にした関連本。そこから滑り出した人生は順風満帆どころではなかった。山歩きに例えると、青空のめでたい稜線を空っぽの頭で飛び跳ね歩いてたかと思うと、急に悪天候に見舞われて、装備も何もしてなかったことに気づく前に崖あり谷あり、落石、滑落あり、奈落の底へと突き落とされた気分の時期もあった。それが30代から40代に掛けて。そしていよいよ現在に至る50代。もはや不惑など無関係で天から司った天命を知る由もなく、2つの意味の1つ、運命や宿命を自覚させられて初老を迎えつつある。まだあやふやな己。 自身としっかり向き合えていない。 家族や生活の為に生きる?お袋がそうであったように。 自分の好きなように生きる?親父がそうであったように。 いや、家族を護り、仕事に精を出し、学び続けながらの生き方の中にこそ、自身の使命が自覚出来るのだと信じてゆきたい。 心に情熱という火をつけよう!  

      6
      1
      テーマ:
  • 17 Sep
    • かみさんの誕生日にゾンビなボク

      昨日はかみさんの誕生日。 〇〇歳になる。 お祝いに閉店後、自宅でステーキを食べようと言ってたのに、先にソファーで眠ってしまった。 このところ、疲れているのだろう。 毛布を被せてやる。 最近、まだそんな歳でも無かろうに耳が遠くなったのか、大音量でテレビが喚いている。 すると、なんか怪しげな映画が始まった。 普段、殆どテレビを観ないボクだが、夜中にかみさんが観ている番組には、こうして時々足を止めてしまう。 ゾンビ映画だ! 結構ホラー好きなのだが、こんな真夜中の2時を回って観てる場合じゃないだろうと思ったが、冒頭から始まったゾンビなりたての若者の語りがどうにも耳を離さない。 そして普通のゾンビ映画、悪役として人間を襲い、やっつけられるというストーリー展開とは明らかに異なり、ゾンビの立場からの物語であることにやがて気付き、引き込まれ、こうなるともう、1人で夜食を摂りながら腰を落ち着けて視聴することになる。 爆睡中のかみさんに気を遣い、リビングのテレビを消し、ダイニングにもある小型テレビのスイッチをいれ、消音量で最後まで観賞した。 お話の内容を超大まかに言うと、このゾンビでありながら、ゾンビに嫌悪感を持つ青年ゾンビが人間の女性に恋をするというものだ。 だが、ふらふらとしか歩けやしない躰は元より、うまく話せないし理解されない。 もちろん、始めは警戒されていた。 それがやがて彼女を愛し、人間を食いたいとかの本能だけに生きるゾンビ欲望と心の中で葛藤しながら、他のゾンビの魔手から彼女を護る内に、人間的なハートが徐々に取り戻されていく。 いや、きっと人間であった時よりも、強くなったのではないか。 何故か身につまされると思ったら、そう、自分とダブらせていたことにはっとする。理解する。 背中に感じるかみさんの鼾……、ではなく寝息、吐息を微かに感じながら、画面に魅入っていた。 うまく話せない分、かみさんの話を傾聴する、理解する。 欲望に支配されがちな自己中の性格との闘争。 あんなゾンビにもなれなくて、ふらふらふらり、高い壁に隔たれた人生を彷徨う骸骨ゾンビのような気持の真夜中だった。

      5
      4
      テーマ:
  • 16 Sep
    • ブログとは何ぞや?

      昨日、このブログにおいて「ブログランキング」について考察した。 するとその後、思いも寄らぬ多くのレスポンスがあり、私の考えに対する賛否両論の中、あらためて「ブログとは何ぞや?」との思いを深くした。 ランキングに囚われない、より充実し成熟しゆくブログ更新。 そんな風に単純に考えていた頭も、どうやら奇麗事しか捉えられてはいないみたいだ。 自分のためにではなく、何かに感謝し、報恩しようとすると、無限力を発揮できる。 仕事や生き方、その他何に対してもそういう心持ちでいけば、実のある成果が得られると思っていたが、ことブログに関してはそうはならないよう。 私と同じで、日々のブログライフでおかしなコメントや義理ポチに欺瞞を感じ、何だかな〜という方々が多かった。 反対に、ブログなどやめて、日記でも書いてれば自己満足できるのではというご意見もあった。 私から見れば、ランキングにこだわる方が自己満足だと思うのだが、たしかに励みになるし、楽しいことでもあるのは素直に納得できるし、それをとやかく言うつもりは毛頭無い。 それに日記の効用とはまた異なる良さがブログにあることは、5年あまり続けてきたから実感している。 読者がいてくれるから更新できるし、それによって自身を振り返りながら反省したり、前向きに考え直したり、今日から明日に希望を繋げているのだと痛感する。 日記とブログ、同じアウトプットでも、日々の暮らしや世の中に対する自身の思い、それらの捉え方の広さと広がり方が違う。 ブログランキングをせっせと上げるのは個人の自由であり、自己の世界でありながら、世界を拡大する方途でもあるわけで、そこに他者が異論を挟むこともないだろう。 一方で、 アクセスを上げ、ランキングを上げる労力を使うより、ブログを訪問してくださる読者さんが、同じ興味のある話題や趣味などの記事で喜こんでもらえたり、様々な病や悩みで進退窮まる渦中に解決への勇気やヒントを得てもらえたり、果敢に障碍者支援を勝ち取るために、誰もが住みやすく幸福になる社会を目指し、世論を動かそうとしてブログを運営されている方もおられる。 振り返り、我がブログは如何? やはり、自己満に過ぎないみたいだ。

      4
      6
      テーマ:
  • 15 Sep
    • ブログランキングの罠

      以前から加入していた「人気ブログランキング」の新しいサービス「ブログサービス」に登録してから、同じ趣味の方々をはじめ、沢山のブロガーと繋がり、交流が広がった。 深まったとは言えないのには理由がある。 中には互いのブログを読み合いながら、コメントやメッセージをやりとりし、心の琴線に触れ始めた人もいるにはいる。 そういう方には真心を感じるし、有難くて拝みたいくらい。 当惑しているのは、交流が増えたのはいいが上っ面だけのお付き合い。 毎日、コメヘンやポチの作業も大変だ。 特に、目的が自分のランキングを上げるためだけの不特定多数へのポチは虚しい。 それを解しつつ返す義理ポチはもっと寂しい。 ブログは本来、自分にとって日記でもあり、考えや気持を表現する純粋な場所。 人気があろうがなかろうが、心境を淡々と綴っていくだけだ。 そこに虚栄心や競争心を持ち込む必要は無いし、挟み込む余地も無い。 と言いつつ、気にもなるのが人の性。 気がつけば、自分もポイント稼ぎにやきもきし、ランキング表を眺めながら1つでも上位に上がっていればにやついている。 だから、スモールな励みになる程度で満足し、自分の力量に納得すべし。 ただ、よく考えなくても、義理ポチは、まともに記事も読まずに相手に対して失礼だ。  「応援ポチさせて頂きました」というメッセージが毎日のようにいくつか来る。 ランキングを上げて目立ちたいという気持は分かるが、それで本当の満足感は味わえるのだろうか? もうやめよう。 実のない気遣いや時間の無駄遣いをしているほど、人生は長くはない。  真っ直ぐに見つめるのは、粉飾の拍手喝采の花道ではなく、路傍の風にひっそりと揺れている可憐な花たちが微笑んでくれるこの1本の道。  

      12
      1
      テーマ:
  • 14 Sep
    • 曼珠沙華

      仕入れの途上、田圃の脇など、またあの怪しげな赤い花、彼岸花が咲いていた。 お袋の命日。 あの日も寂しげな秋風に揺れていた曼珠沙華。 花言葉の一つ、「悲しい思い出」は、秋に咲いて春に枯れ、咲いた花の後に葉が伸びることから、「葉見ず花見ず」の性質を昔から気持ち悪がられたことから来たのだろうか。 この世のものとは、自然の産物とは到底思えないほど、あまりにも鮮やかで濃い赤を見て目を閉じれば残像が瞼の裏に浮かぶ。 緑の茎と、白と赤のコントラストがあの世とこの世の境を指し示す。 「天上に咲く花」 とも比喩される。 地に咲く天上の花とはこれ如何に。 めでたい花として凜とした立場でいられる蓮は、泥水の中でこそ咲き誇る。 人は昔、花だったのに違いない。 花のように、誰に観られようが観られずとも、自分の力で自分のために自分の色と形で咲く。 ずっと咲かないでいた山奥の小さな花も、岩陰でひっそりと今咲いたかも知れない。 曼珠沙華は、あんなに群生して仲間に囲まれているのに、ひどく孤独に見える。 群衆の中の私たちみたいに。 私の花はいつ咲くのだろう? お袋の遺してくれたこの店を大切に維持、発展させていくことがそれだろうか? 慈愛の芳香を辺りに放ちながら。 人間力。 足りないのはそれ。 母のような深い海は持たない。 しかし、すべてはそこからはじまる。 あまりにも自己中心。 慈愛に代わるもの、それは勇気。 思い切った改革。 山のようにそびえ立つ父を前にして。  

      5
      2
      テーマ:
  • 13 Sep
    • 内なる子供の口を開け!

      「虚しさに悩む日はあの人を思い出す」 中村雅俊さんの懐かしすぎるヒット曲『ふれあい』の歌詞の1部分。 「あの人」が誰かは人により、その時の気分や感情によって様々な顔が思い浮かぶだろう。 今日1日、特に休日ともなると、朝の内はあれもこれもしようと張り切っているのに、なぜか知らず知らず、本来したいこととは異なる、後で振り返るとどうでも良いことばかりにうつつを抜かし、星の瞬きのような時間を押し潰してしまったことを悔やむ夜を迎えることがほとんどとなる。 それを人生に敷衍すると、青春も暮れようとする紅葉の季節、ダム湖の岸辺に車を止め、夕焼けに染まる色とりどりの山肌を見つめながら、寂しさに泣き、誰かの温かな胸をいつも求めてた少女を抱きしめながらも、自分の孤独を噛みしめていた日を中心にして、幼児期から今に至るまで、ずっと心の中の何かが、私を呼び続けていたことに思いを致す。 ずっとそうだった。今も親友と呼べる2人と、恋人になってくれた人達も、みんな深い悲しみや生い立ちを背負い、自分の人生と向き合っていた。 報われない、癒えぬ心の傷を抱えた人ばかりが私の半生に関わり、支え合い、傷つけ合いもした。 それはきっと、私の中にも共通の悲しみが存在したからだと最近思う。 そして、今まで無視し続けてきた、あるいはいつもそこにいるのに気付きはしなかった内なる子供の元に行き、抱きしめてじっくり話を交わすことが何より大切なのではないかと痛感している。 そこに、重要な人生のメッセージが隠されている気がしている。 インナーチャイルドの口を開け! ナポレオン・ヒル、マーフィー、引き寄せの法則、仏法と、潜在意識に関わる精神世界をそれこそ引き寄せているが、混沌の森を彷徨っているかのようだ。 あの時に見た、夕映えに輝く極彩色の世界を垣間見る裸眼を欲する。 あの時抱いたひとりぼっちの幼子を温め、すべてのことから解放してあげたい。 今は森の中、未体験の冒険は続く。 至高へ至る道、方法は腐るほどあるだろう。 虚実入り混じる中、真実を見抜くことが大切。 けれども高低浅深は明らかに存在する。より高いと思われるところから学びを持続するだけだ。

      5
      2
      テーマ:
  • 12 Sep
    • カブトムシの秋

      店のお客さん(今はカブトムシ博士と呼んでいる)が姪っ子の子供たちにとプレゼントしてくださったカブトムシとクワガタムシ、その後どうなっているかのご報告。 いつのまにか、子供たちに顧みられることもほとんどなくなり、私が面倒をみることが日課になっていた。 その間、本当は雄は隔離して飼育しなければならないのに、小さな飼育ケースの中、生存競争も熾烈であった。 1匹、2匹と次々と死んでゆき、昨日の昼間の段階では、弱ったカブトムシが雄1匹、雌2匹、クワガタムシは元気で、ノコギリクワガタの雄が1匹とコクワガタがの雄とどちらかは分からない雌が数匹だけの生き残りになってしまった。 昨夜、カブトムシの最期の雄が仰向けになり、右脚を痙攣させて虫の息だったのを発見したのだが、そっとつまんで見つめながら、ムシにとは思えないほどの憐憫の情を覚えた。 ネットで調べると、 国産のカブトムシが幼虫時代を含め、だいたい12カ月から15カ月ぐらい、成虫になってからだと1か月から3カ月くらい生き、クワガタなら「成虫」になってからの寿命は、ミヤマクワガタ、ノコギリクワガタ は越冬することができないので、長くても1年弱で、一方、コクワガタ、ヒラタクワガタ、オオクワガタは越冬することができるので、2~3年生きるらしい。 カブトムシ博士にいただいたのが7月初旬だったので、私の労力も決して無駄ではなかったようだ。  クワガタの飼育ケース 昼間、店に食事に来てくださり、食後、飼育ケースを見てくれた博士にも、よく飼育してると褒めてもらえた。 そして、「この感じなら絶対に幼虫がいますわ。ちょっとマットの上半分が湿りすぎているので、乾いた下の層と混ぜ合わせると丁度良くなると思いますよ」とのご指導ももらえた。 夜中の閉店後、博士に教えて貰った通り、マットを底からかき回し、湿り具合を均一にした。しかしながら、2ヶ月以上も給餌と給水ばかり繰り返したマットの臭さが鼻につくだけで、残念ながら幼虫は発見できなかった。 原因として考えられるのは、マットを攪拌した際に気付いたが、指が容易に入らないくらいに下層部のマットが固まり過ぎていたこと。これでは幼虫はおろか、成虫でも身動きが取れないだろう。しかしながら、雌は生存しているので、これから産卵するか、ひよっとして既に産卵されているのかもしれない。 このまま見守ってみよう。 考えてみると、人間以外のほとんどの生き物は人間よりも寿命がきわめて短い。そのわずかな生存期間に感動的な変態をし、土中から這いずり上がり、木から木へと空を飛び回り、夜な夜な頑丈な顎で縄張り争いを繰り広げ、美味しい樹液をお腹いっぱい吸収し、そして恋をし、子孫を残して何の悔いも無きように颯爽と旅立つ潔さ。 その1日1日、1瞬、1瞬の重みは人間と比較してどれほど重いものかと考える。 そう思うと、たしかに、捕獲され、飼育ケースに入れられたままの彼らに、罪の意識がないとは言えない。 ただ、それまで手に触れることも怖くてできなかった子供たちに小さな命と触れ合う機会を与え、大の大人である私に責任感を芽生えさせ、命の峻厳さを再確認させてくれたムシたちの生は荘厳でさえあり、失われた少年の心を取り戻させるに充分なひと夏の経験であり、命の営みであった。 カブトムシの飼育ケース  

      3
      2
      テーマ:
  • 11 Sep
    • グリーフケア ―悲しみの過程―

      土曜のランチタイムを臨時休業してお袋の三回忌法要を執り行った。 友人のY ちゃん夫婦、姉貴夫婦、姪っ子家族とマイファミリーだけで質素に。滅多にこちらに戻らぬ京都に住む甥っ子も、ケーキを携え久々に帰ってきてくれた。 あれから丸2年が過ぎようとしても、喪失という悲しみと死別という現実に揺れ動く心。過去と現在を征き交いながら、未来へ向かおうともがいている。 店の駐車場の片隅に、お袋が大切にしていた薔薇が咲いてた。 自分という境界線。他者と自分、環境と自分、また死と生。それらは結局、生まれ落ちた後に勝手に思い込んだものに過ぎないもののようだ。相反するように感じる対象との関係性において、自分というものを定義付けている。本来は、他者も自分、環境が自分、死も生、すべてが大海の中、大いなる生命として実存しているのではないか。 抑圧された故の心身の不調もあった。 死別という予期せぬ事態。そんな時に人は、悲しみに包まれた状態なのに、周囲や目に見えぬ世間体に早く忘れて立ち直れとせつかれ、理想の大人として振る舞うようにと社会規範に追い立てられ、涙の捨て場所を見失ってしまう。 泣いてもいい。なおかつ、心許せる誰かに聞いて貰えたら幸福。悲しいときには悲しみ、泣きたいときには泣くのが本来自然な人間の感情の流れであり、働きのはず。 そうすべき時にそうしなければ、いつまで経っても燻ったまま、燃え残る思いにじりじり身も心も焦がされ続けるだけになる。それは遺族だけではなく、突然、重篤な病を宣告された人も同じだろう。 絶望……。だが、人はそんなもので心折れきり、すべてを手放すものではない。たとえ考え方や感じ方など、これまでの世界観が覆ったとしても、それとどう向きあい、その期間をどう過ごすのかで、その後の立ち直りにも影響し、そして人生のパラダイムシフトを巻き起こして新たな生き方へと繋げていく可能性も持つ存在。 苦悩や死を超克する生き方、病への向き合い方があるはず。 心の中に薔薇の花を咲かせ、枯れ草を踏みしめながら哀歌を喜びの歌に換え、口ずさみながら歩いて行きたい。 姪っ子の次男坊が、竹のばあちゃんにへと供えた先の薔薇のスケッチ。

      4
      6
      テーマ:
  • 10 Sep
    • インナーチャイルド

      ■何によって憶えられたいか?・死の間際に、やらなかったことで後悔する真に大切なこと、価値を自らの内に探し出し、自己実現即社会貢献した人になるために、日常のありとあらゆるすべてをそこに通底させていく。  ■0.今日新しく始めたことは?・昨日の昼、ナポレオン・ヒル財団のY氏とのやり取りでの話。経営者の2代目に多く散見されるのが、潜在的に先代の親に依存しやすいところだという。そしてその原因はインナーチャイルドにあると。インナーチャイルドとは、「内なる子供」という意味。幼少時の理性的な自分が本来の自分を押さえつけると、抑圧された「内なる子供」が成長できないまま大人になる。多かれ、少なかれ、誰にもその傾向があるらしい。 本当は我が儘、ありのままの感情を表出したいのに、それが無意識層にしまい込まれ、他者に合わせた常識的、理性的な判断がそれに取って代わる。 心の中の部屋の片隅で膝を抱えて泣いている子どもの自分、そんな感じだろうか。 そうしたインナーチャイルドが成長できず、そのまま大人になったのをアダルトチルドレンと呼ばれる。 傷ついたまま閉ざされた心が歪になり、それが今の考え方や行動、発言に影響するというのだ。結果、人生や人間関係に行き詰まり、生きにくくなる。 そんなインナーチャイルドをクリーンにしない限り、満足感を得られず、常に何かが不足している気がし、満ち足りた幸福感を味わうことができない。   ■1.今後も続けるべきことは?・したがって、それが払拭さえできたなら、自信が甦り、人生が積極的になり、ありのまま、思い通りに生きられることになる。  ■2.それを続けるためのコツは?・しかも、それは親から子どもへと代々引き継がれ、何処かで断ち切らないと果てしなく連鎖していくもののようだ。それをクリーンにすると、自分だけではなく、子どもたちも変わり、結果的に人生全体が救われるという。  ■3.不満に感じていることは何か?・このままではだめだ。後悔する。  ■4.原因は?・突き詰めてみると、臆病さが原因のようだ。  ■5.次はどうすべき?・臆病風を吹き返せ!  ■6.まず何をする?・今日のタスクを全力で。  

      4
      4
      テーマ:
  • 09 Sep
    • 老楽の果てに

      アンチエイジング。 老化に抗うことをそう言うが、どうして人は自然現象に立ち向かおうとするのだろう? 夜中のテレビが泣き叫んでいる。 若返りの魔法のサプリメントと銘打った商品の宣伝。そのモデルに、顔や首回りに皺が増え、目のくまが目立ち、涙袋が悲しみでさらに膨らみを増し、若さと老いを区切るかのようなほうれい線が哀しげに刻み込まれ、皮膚が緩んで張りを失い、重力に持ちこたえられず垂れ下がった頬が鏡に、いかにもだらしなさそうに映し出され、その上にわざわざ撮影された写真をこれ見よがしに見せつけられ、嘆き悲しむご婦人がコマーシャリズムに乗せられ見世物に晒されていた。 直ぐに次の場面では、仕組まれたわざとらしさで若返った操り人形の、笑顔をたたえ、意気揚々と街を闊歩する姿を観た私は、憐憫の情に突き動かされずにはいられなかった。 何故だろう? 老化は至極自然な流れ。 川の水を上流には流せない。萎縮した漬け物を瑞々しい元の姿には戻せやしない。 腐らせるな! 幻影(ゆめ)見るその心の奥を。 知るがよい。 心と言葉は老熟とともにより豊潤な果実を実らせることができる。感性だって、心次第で若い頃よりも本質を見抜き、鋭くさせることも可能だと脳科学的にも言われている。 ただ確かなことは、時間が減り、その味覚を味わう人生の賞味期限が迫っているということだけだ。 歳をとるとはそういうことだ。  だけど、歳月を、そう、様々な景色と共に季節をめぐり経てきたからこそ、はじめて、その静寂で深遠な時と空間、心の拠り所を見つけ、手に入れられるではないか。 だから、もう若さを羨むこともない。 この貴重で濃縮された今という時を、永遠の時の川面に浮かべ、自然な流れを享受し、すべてを受入れて楽しめば、やがて大いなる生命の海に抱かれることだろう。         

      6
      テーマ:
  • 08 Sep
    • 思考は勧誘に左右される

      先頃購入した、成功哲学で有名なナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』の書籍に挟まれていた申し込み葉書(ナポレオン・ヒル・プログラム資料&DVDプレゼント)に応募していたことをすっかりと忘れてしまっていた。 一昨日、それらが入った封書が届くも、封も切らずにほったらかしたままにしておいた。昨日の朝、早速先方の男性インストラクターのバリトンとバスの中間くらいのなかなか良い声で電話があり、明日の午後、時間を取って電話で無料講座みたいなことに参加してもらえないかという。恐らく、高額な教材を勧めようとするのは分かっていたが、難なくナポレオン・ヒルの哲学に、その専門家の話に触れることができるとの甘い考えで引き受けることにした。 もちろん、自分にとって納得がゆき、内容が充実していれば検討もするだろう。  それはいいとして、 「それまでにパンフレットに目を通しておいてください。あと、何か今の課題はありますか?」 と訊くので、事業や経済的な成功への欲望は少ないことを告げる。 それよりも、自己実現の願望が強いことと、仕事なら、お客さんに喜んで貰うことが自分の喜びになるようになりたいことなどを言うと、「それこそが最終的に到達するところです」と返された。 「地域社会に貢献するということですね?」と念を押すように重ねてくるので、そんな大袈裟なことではなく、目の前のお客さんの笑顔をただ見たいだけだと返答し、電話を切った。 そもそも、その気がなければどんな高額商材もただのゴミになるだろうし、本気で自分を変えるつもりなら、購入した、たった数百円の文庫版からでも巨額、巨大な経済的、精神的利益を得ることも可能のはずだ。 人は皆、良くも悪くも現状を変えたがらずに維持したがる。よく言われるホメオスタシス(恒常性)によって、ぬるま湯のような日常からは抜けがたい。寒くても、一歩踏み出さなきゃ、小さな心の壁一面に描かれた銭湯絵の富士に見惚れるばかりで、風の流れや雲の動き、空の蒼き深さを知ることはできない。 明日の午後、小1時間も掛けて電話講義が行われる。 無料ほど怖いものもなかろうが、新しい視野が展開するかも知れないし、そうでなければ丁重にきっぱりと断るのみ。 まだまったく読めていないが、下の写真のこの辺が成功哲学の肝になるのだろう。    

      2
      テーマ:

プロフィール

店長

性別:
焼肉屋の親父
誕生日:
1961年10月8日8時頃
血液型:
O型
お住まいの地域:
滋賀県
自己紹介:
歳を重ねるほどに失うものより積み重なってきたものへのいたわりと感謝の念が増えていく。 見るもの聞く...

続きを見る >

読者になる

ランキング

総合ランキング
47259 位
総合月間
56486 位
グルメ
466 位
学び・教育
620 位

ランキングトップへ

Yahoo!予約で予約する

テーマ

一覧を見る

ブックマーク

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 グルメブログ 肉・焼肉へ
にほんブログ村
にほんブログ村 アウトドアブログ 軽登山・トレッキングへ
にほんブログ村

焼肉 ブログランキングへ

ブログサークル
ブログにフォーカスしたコミュニティーサービス(SNS)。同じ趣味の仲間とつながろう!