三大宣言ビックリマーク


一、お客様の健康に貢献します。


一、お客様の食を媒体とした幸福を追求致します。


一、お客様に感動を与えられる仕事を創造して参ります。


長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2長音記号2


お店の詳細右矢印食べログ
ナイフとフォーク


滋賀焼肉ランキング


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


滋賀県 ブログランキングへ

  • 23 Aug
    • 晩夏の光明

      お袋の眠る丹波の山間。2度目の夏。着くなり急に降り出した雨。 こんな狭い墓の中になんかいやしないと思った。命が空へ登るような山の蒸気を見つめてそう感じた。 「お母ちゃんのお墓のまん前、桜が満開でな。川がサラサラサラサラ流れてるんや」 20年前の4月8日、自ら建立した墓を見に来ていたお袋は、亡くなるほんの少し前にそう私に語りかけていた。 夢見るように。そう、まるで旅先の旅館を説明するみたいに。 春には水の人。はしゃぎ過ぎた桜花が水面に落ちる。 冷たい氷が溶けて流れるように、澄んだ清らかな花弁は時の流れを大海原目指して旅をする。 夏には火の人。熱く燃える太陽の陽射しで、周囲の人々を包み込む。 秋には土の人。落ち葉となって地に還り、悲しみ苦しむ人の彷徨い歩く地面に安定をもたらす。 冬には空の人。大空を吹き渡る風のように、無心で水を運び、争いの火を消し、土を耕して、次の生を待つ。 命は水。命は火。命は土。命は空。 帰路に着く車中の人となるその刹那、雲が割れ、その僅かな間隙を縫って降り注いだ晩夏の光明。 雨に濡れた頬を照らし出した。

      6
      テーマ:
  • 22 Aug
  • 15 Aug
    • 0.5秒の早業にWin-Winの関係

      大忙しだったお盆期間、やはり今年も、帰省や旅行のついでに立ち寄ってくださった他府県在住のお客さんがとても多かったです。 それもようやく落ち着きかけ、山の峠にたどり着いた時みたいに、お昼時、急に吹き抜けた強風。 店の外の看板や段ボール箱が飛び散らかり処置に大わらわしました。 でも、ランチタイムを終えた今、風は止み、心なしかだいぶ涼しくなり、遠くで鳴く蝉の声も弱々しく聴こえています。 反対に予約や問い合わせの電話は鳴りっぱなし。 先ほど、そんな電話を受けたスタッフの姪っ子の伝達が実にユニークでした。 店に愛着を持ってくださっているのでしょう、お客さんって面白いなあと思いました。 「あ、この前の子か?その時シャトーブリアンを食べた者やけど、今晩席空いてるか?」 これだけです。お名前など仰りません。こちらからは、受話器の向こうのお客さんの顔など見えません。でも、お客さんにはこちらが可視化されているのです。 お客さんと私たち。私たちにとっては1対多。しかし、お客さんにとってはいつも1対1なのです。 ここに飲食店の原点、心掛けが見て取れます。そう、どれだけ1対1に、相手の心に近づけるかという闘いなのです、この仕事はきっと。 ところで、たまの焼肉賄いにも壮絶なバトルが織りなされております。 味付け細ネギを焼きたての肉で巻いて熱々のご飯と食するお勧めの食べ方。 仕込みやカット法を変えてから益々人気がでてきた和牛上ミノ。 お客さんと同じように食べてみて、同じ視線で料理や店を見直すことも、Win-Winの法則に近づける1つの手段でしょう。 しかし、現実は容赦ない。3分間かけて面倒をみて、じっくりおいしく焼き上げたお肉を、隣の姪っ子が0.5秒の素早さで奪い去ってゆきました。 たかが焼肉。されど普遍的な真理。 人の不幸の上に自分の幸福を築かないHappiness-Happinessの関係にはまだまだ修行が足りないようなのです。

      9
      4
      テーマ:
  • 13 Aug
    • 饗宴の熱い風

      毎日毎日同じことの繰り返しの中でも、日に日に心は新たでありたいものです。 選んだ食材や仕込み、それらを含めたすべての仕事において、何か昨日よりもほんのわずかでも新鮮な気持ちや心のあり方を感じることができたなら、それはお客様にも伝わる素敵で幸せなことでしょう。 反対にリニューアル後数年の店は少しずつ古くなっていきます。それは衰退していくということでしょうか? 違いますよね。新鮮な想いが積み重なり、真っ新だった壁や床、客席や厨房に年輪が刻まれ、喜びも悲しみも、悔しさや笑い声さえもが竹の節々のようにやわらかくも、だからこそ堅固に成長していくことだと思うのです。 気怠さに新鮮な息吹を吹き込もうと朝一番に開け放った店の引き戸。連日の熱狂を引き継ぐかのような生暖かい夏の風。今日も暑くなりそうな予感がします。 切り分けたばかりのリブロース 同じくサーロインロース 仕込途中の白菜キムチ 漬け込んだ白菜キムチ 食材の旨味を逃さないダッチオーブン 仕上げるのは焼き野菜用のサツマイモ 20年振りリニューアルして好評のタンの味付けタタキ だし汁に漬け込む 目の覚める霜降りのミスジ 1番脂のりの良いところはセット「超」に使用 今回のリブロース 気高きシャトーブリアン 饗宴の熱い風を今日も

      7
      2
      テーマ:
  • 07 Aug
    • 伊崎山に吹く風1

      2016年8月1日 近江八幡市 伊崎山にて。 登山口の道沿いに駐車したとたん、後ろにパトカー。男女コンビの警察官に簡単な職務質問をされる。先に飲み物を買いにコンビニに寄ってなければ違反切符を切られていたところだろう。 さすがと言うべきか、婦人警官が車窓から運転席の私の背中越しに車内を物色し、異常な多さのピンク色の買い物かごを指摘した。 ひょっとして、へ、変質者に見られているのか? 飲食関係の仕事をしてるのでと言うと、何屋さんかと尋ねるので、「焼肉竹」と名前まで教えてあげた。 「たけ?一字の?」「そう、松竹梅の竹」 知らない店名らしかった。 「山が趣味ですか?スズメバチなどに充分注意して散策してくださいね」 そんな言葉を残して警官たちはパトカーに戻っていった。ここ最近、この付近を重点的に取り締まっているらしい。沖島来島者用駐車場なら大丈夫だろうとのことでそちらに車を移動させる。 靴を履き替え、バッグを背負い、持ち物を準備して、そこから徒歩で5分くらい、登山口に着く。 整備されたハイキングコースのアップダウンをいくつか繰り返すと、ようやく山道らしくなる。 太陽光に眩しく輝くヒノキの緑。店で盛り付けように使っているので、すぐに仕事を思い出す。 土質が良いせいか、この山の植物はいつ来ても美しく生命力を感じさせられる勢いがある。 ありゃ?長女と冬に訪れたときには、この先も簡単に進めたのに、草が生い茂り踏み跡を見つけられない。 地面もじめじめしてたので、暫く考えてから諦め、来た道を戻ることにする。 その前に通り過ぎて来た地点まで引き返して、分岐を右上に上がる。 おっ、もう栗が落ちていた。 今年の命が昨年の抜け殻に寄り添うように並んでた。 登り切ったところに丁度良い休憩場所があった。 汗はびっしょり、脚もだるかったので少し休むことにする。 バッグを下ろし、ベンチに腰掛け体を休めていると、心地よい風が吹いてきた。 涼風に鳥や虫の鳴き声に包まれた静寂間。うまく言えないが、風にそよぐ葉っぱにも自然界の織りなす命の脈動を感じ取り、ちっぽけなこの生命もその細胞の一つだという喜びに浸る。 風が気圧の影響で発生することくらい、「夏休み子ども科学電話相談」で学んで知っているが、それとは違い、この山の風や時の流れ、悠久の昔から変わることのない空気感は、もっと本源的なところから、生命の因果・因縁関係を思い出させるような切迫感を持っていつのまにか心に忍び寄る。 手塚治虫先生に、人殺しの男がある寺から逃げようにも抜け出せず、生まれては死に、また生まれて同じ人生を永劫に繰り返すという漫画作品があった。 そんな絶望感ではないが、制約された生、限られた時間と場所を変えることの出来ない我が身の宿命的な感慨に立ち戻らさせてくれる。 清涼感に励まされて重い腰を上げ、また歩き始めると目の前を何かがが飛び去った。 枯れ葉に飛び移ったのでは丸見えだね。まるで仕事や人生から、枯れ葉踏みしめる山へ逃避したくなる自分のよう。 昔、アクアリウム、水草水槽に凝ったことがあったが、自然界の美には到底適わないだろう。 その活き活きとした青々しさや、絶妙なレイアウト、人以外が作り出す造形美にはいつも目を奪われる。 次の分岐もまた上へと。 間もなく伊崎山頂上付近。ここまで来ると、あまり人が歩かないのだろう。 驚くほどやわらかな土質の所がある。まさにフワフワ。 足裏がむず痒くなるほど。 尾根に出る直前の光に包まれ行く感覚が好きだ。期待にワクワクする。 が、しかし、ただの狭い草地だった。後で気付くと、先ほど通り過ぎたばかりの所に右への分岐があり、あまりにも鬱蒼とした下草だったので避けたが、どうやらその脇道の先が三角点のある頂上だった。 ま、いいかと思い直し、先へゆくとすぐに下りに入った。 すると、うるさいほどの蜩の声に混じって、独特のハスキーボイスが聴こえてきた。 静養中のドナルドダックのように聴こえなくもないが、地元の漁師を筆頭に周辺住民からも嫌われているカワウの鳴き声である。 そのコロニー付近にいる。 前の動画にも撮影してあった案内板にも記載されていたが、最近ではハイキングコースより上を保全林とし、それより下の一部をカワウの棲息地として分譲し、いわゆるゾーニング化している。 しかし、駆除期間中立ち入り禁止の場所に来た彼らは容赦なく狩猟用ライフル銃によって射殺される。冒頭の駐車違反者よろしく、そんな法など知る由もなかろうに、優しく弾には気をつけてと言ってくれる人などいない。琵琶湖の風に吹けば飛ぶような焼肉竹などともしも言えたところで何の役にも立たない。 最期に、そんな彼らの生態をも少し詳しくネットから摘まんでおこう。 「このねぐらの内からコロニーを水辺に形成し、繁殖を行う。この群れは数十羽から数千羽にまで及ぶこともある。季節を問わず冬でも繁殖できるが、営巣活動は春先と秋に特に活発である。一夫一妻で、枯れ枝などを利用して樹上や鉄塔などに皿形の巣を作る。淡青色で無斑の卵を通常3-4個(1-6個[17])産み、雌雄交代で抱卵する[12]。卵の大きさは長径5.7-6.7cm、短径3.7-4.18cm[12]。卵は約1か月[4](抱卵期間24-28日[11])で孵化し、雌雄で育雛する。雛は通常およそ30-45日で巣立つ[11][16]。鳴き声は、「グルルルル」「グワワワ」「ゲレレレ」など、コロニーにおいて、喉を震わせて何度も鳴き、時に「グワッグワッ」「グワー」という短い声や伸ばす声も発する[6]。雛は高い声で「ピューユイ、ピューユイ、ピー」と鳴いて親鳥に給餌を求める[6]。営巣地以外ではあまり鳴かず、飛翔時に鳴き声を聞くこともほとんどない。餌となるのはほとんど魚類で、潜水して捕食する。捕獲する際には時に1分以上、水深10m近くまで潜水することもある。1羽で1日500gの魚を食べるとされ[16]、魚種の選択性はない[17]。近縁種のウミウも同様に巧みな捕食者で、鵜飼いにも利用されるのはよく知られている。大正より前にはウミウと混同されていた[4]」(Wikipediaより抜粋)

      2
      テーマ:
  • 06 Aug
    • ああ、夏休み

      夏休み中、我が部屋は保育園。 仕事の合間に店の上にある部屋に戻り、雑事を済まそうとすると、階下からドタバタと複数の足音が。 「そこはあんちゃんの部屋!」 保育園に通い出した姪っ子の娘が小学校3年と2年のお兄ちゃんたちにえらそうに叫ぶ。 それぞれ所定の位置に陣取る。 長男は机のPCを眺める私の足下に勝手に個室を作った。 本や電卓などを並べて何やら遊んでいる。 これじゃ、脚も伸ばせないし、事務仕事や勉強も出来ないなあ。 と言いながらスマホでブログ書いてる馬鹿な奴。 遂には一緒にあそんだり。 ああ、夏休み。 ぼくちんも欲しいな。 おしまい。

      4
      テーマ:
    • 人生の秘密に出会う場所

      人生で切り取られたかのような時間。それが若さであり、青春。過ぎてみればそう思う。 生命が弾け飛び、夢が躍動し、未来が永遠に思える日々。憧れと失意の落差に戸惑い、あまりにも儚く足早に過ぎ去ってゆく時と場所。 やがて秋風が胸を締め付け、心の行き場を見失う。白冬へ向かう風の厳しさ、冷たさに、これまで積み上げてきた重さを確かめられながら。 そんな時。ただ笑っていれば良い。屈託のない顔つきで頬杖付きながら、窓の外を眺めてやれ。 近江八幡市 伊崎寺 8/1撮影 そこにいつか観た青空。今日の風に雲が流れ動くのが見えるだろう。 「消えてくれてありがとう」のおまじない。 心の中でつぶやきながら見つめていると、本当に消える。 たまたまとか、当然直ぐに消える小さな雲にしか出来ないからと否定する輩は心寂しい。 この世に絶対などはないのにも関わらず。何でも、どちらとも言えないというのが唯一の捉え方、答えなのだ。 宗教は阿片か? 仏教は現世からの逃避か? 信仰は他力本願か? そもそも真実なのか? どちらとも言えないというのが誠実なのではないか。 それとは違って、感じることはひどく個人的なものであり、自分だけの宝もの。 そんな自分を信じることでしか何も始まらない。 ならばこそ、意識で雲を消せるなら、知恵で恵みの雨を降らすこともできよう。 暑さで今にも消え入りそうな夏の空には、泡沫の夢がよく似合う。 まるで言葉のように。時の流れに浮かぶそれぞれの一葉の多くは、誰にも拾われず、心のしおりに挟まれることもなく、ただ、虚しく流れつづける。 それでもやがて大海に注ぎ込み、大きな生命体になる。青空と雲、風と慈雨と時の流れ、生老病死と言葉がやっと出会い、人生の秘密を教えてくれるはず。 それは今を永遠にへと染み渡らせる方途。  近江八幡市 伊崎寺 8/1撮影   

      テーマ:
  • 05 Aug
    • 心震える作文

      ☆ あなたの人間力を高める ☆ ─────────────── 致知出版社の「人間力メルマガ」【号外】「日本教育界の至宝」と讃えられた... 東井義雄先生がある講演の中で、 長崎に原子爆弾が落ちた時、 10才だった荻野美智子さんの 作文を紹介されています原爆忌を前に、その作文を紹介します。────────[今日の注目の人]───東井 義雄(教育者)※『自分を育てるのは自分』(致知出版社)───────────────────雲もなく、 からりと晴れたその日であった。私たち兄弟は、家の二階で、 ままごとをして遊んでいた。 お母さんは畠へなすをもぎに行った。 出かけに、11時になったら、 ひちりんに火をおこしなさいよ、 と言いつけて行った。 けれども、私たちは遊びが面白いので、 時計が11時になったのに、 一人も腰を上げず、 やっぱりままごとに夢中になっていた。 その時、ピカリと稲妻が走った。 あっと言うた時はもう家の下敷になって、 身動き一つできなかった。 何とかして 出ようとすればするほど苦しくなる。 じっと外の様子をうかがうより 仕方がなかった。 二人の姉の姿が外に見えた。 大喜びで「助けて、助けて」とわめいた。 姉たちは、すぐ走り寄って来て、 私を助け出そうとした。 しかし土壁の木舞いの組んだのが 間をさえぎっていて、押しても引いてものけられなかった。 大きい姉が、「我慢しろ。ねえ、もうじきお母ちゃんも お父ちゃんも帰ってくるけんね。姉ちゃんは誰か呼んでくるけんね」 励ましておいて、向こうへ走って行った。 私は、縦横に組んだ木舞いの隙間から、 わずかばかり見えてる外を、 必死に見つめて、 お母ちゃんが来るかお父ちゃんが 来るかとまっていた。やがて、大きい姉ちゃんが、 水兵さんを四・五人連れて走って来た。 その人々の力で、私は助け出された。 フラフラよろめき、 防空壕の方へ行こうとした。 家の下から、 助けてえ助けてえと 叫ぶ声が洩れてきた。 弟の声であった。 大きい姉ちゃんが一番先に気付いて、 沢山の瓦を取りのけて、 弟を引き出した。 その時、また向こうのほうで、 小さな子の泣き声が洩れてきた。 それは二つになる妹が、 家の下敷になっているのであった。 急いで行ってみると、 妹は大きな梁に足を挟まれて、 泣き狂っている。 四・五人の水兵さんが、 みんな力を合せて、 それを取りのけようとしたが、 梁は四本つづきの大きなもので、 びくともしない。 挟まれている足が痛いので 妹が両手をばたつかせて 泣きもがいている。 水兵さんたちは、もうこれはダメだと言い出した。 よその人が水兵さんたちの 加勢を頼みに来たので、 水兵さんたちは向こうへ 走って行ってしまった。 お母さんは、 何をまごまごしてるんだろう、 早く早く帰って下さい。 妹の足がちぎれてしまうのに。  私はすっかり困ってしまい、 ただ背伸びして、あたりを 見まわしているばっかりだった。 その時、向こうから 矢のように走って来る人が目についた。 頭の髪の毛が乱れている。 女の人だ。裸らしい。むらさきの体。 大きな声を掛けて、私たちに呼びかけた。 ああ、それがお母さんでした。 「お母ちゃん」 私たちも大声で呼んだ。 あちこちで火の手があがり始めた。 隣りのおじさんがどこからか現われて、 妹の足を挟んでいる梁を取りのけようと、 うんうん力んでみたけど、 梁はやっぱり動かない。 おじさんはがっかりしたように 大きい溜息をついて 「あきらめんばしかたのなか」 いかにも申し訳なさそうに言って、 おじぎをしてから 向こうへ行ってしまった。 火がすぐ近くで燃えあがった。 お母さんの顔が真青に変わった。 お母さんは小さい妹を見下している。 妹の小さい目が下から見上げている。 お母さんは、ずっと目を動かして、 梁の重なり方をみまわした。 やがて、わずかな隙間に身を入れ、 一ヶ所を右肩にあて、 下くちびるをうんとかみしめると、 うううーと全身に力を込めた。 パリパリと音がして、梁が浮きあがった。 妹の足がはずれた。 大きい姉さんが妹をすぐ引き出した。 お母さんも飛びあがって来た。 そして、妹を胸にかたく抱き締めた。 しばらくしてから 思い出したように私たちは、 大声をあげて泣き始めた。 お母さんはその声を聞くと、 気がぬけたのか、そのままそこへ、 へなへなと腰をおろしてしまった。 お母さんは、なすをもいでいる時、 爆弾にやられたのだ。 上着ももんぺも焼き切れちぎれ飛び、 ほとんど裸になっていた。 髪の毛はパーマネントウエーブを かけすぎたように赤く縮れていた。 体中の皮は大火傷で、 じゅるじゅるになっていた。 さっき梁を担いで押し上げた 右肩のところだけ皮が ペロリと剥げて、肉が現われ、 赤い血がしきりににじみ出ていた。 お母さんはぐったりとなって倒れた。 お母さんは苦しみ始め、 悶え悶えてその晩死にました。 ※この作文を受けて東井さんは 子供たちにこう話されています。「これは、特別力持ちの お母さんだったでしょうか。 四人も五人もの水兵さんが、 力を合せても、 びくともしないものを動かす、 力持ちのお母さんだったでしょうか。 皆さんのお母さんも皆さんが このようになったらこうせずにおれない。 しかもこの力が出てくださるのが お母さんという方なんです」  月刊『致知』9月号の特集テーマは 「恩を知り 恩に報いる」です。 この一冊が 平和の尊さを噛みしめるとともに、 父母への恩について考える きっかけになれば幸いです。

      4
      テーマ:
  • 04 Aug
    • 『神曲』ダンテ

      なんと、2年と4ヶ月掛けて読み終えたダンテの『神曲』。長かった。その間にお袋を亡くし、失意のうちに淡々と読み進めてきた。 何故そんなに掛かったのかというと、難解で決して面白いストーリーとは感じられなかったから。それでも読んだのは、この本も含む全集を16歳から20代前半まで定期本として、結構な額でお袋に購入して貰ったいきさつがあり、また、唯一身近にある世界文学の古典だからだ。 長く読み継がれ生き残った本、何重にもきめ細かいフィルターで選別された物語は、間違いなく普遍的で深遠な名作であるはずだ。 36年前の訳であり、難しい表現や今は殆ど使われていない漢字も見受けられ、途中ちんぷんかんぷんで、読む気を何度も削がれたが、音読を試みたりと、毎日2ページ、時間にして10分程度を目安に読み続けた。時に訳の分からないお経を読み上げている気になり、無我の境地に近くなったりしながら。 解説を頼りに感想を書くと、作者ダンテがいつしか人生そのものになっていった詩の中核になっているのは、愛であり、人間をつくる源と捉えられていた。 彼にとっての永遠の女性、ベアトリーチェが恋の対象から人生の水先案内人となり、遂には至上善、つまり神にへと至った。 詩作も哲学も、この神=愛が源泉であるという結論に達する。 人を愛することが、この世や人、すべての根源である神の愛に高められた。それを地獄篇では絶対の正義、煉獄篇なら絶対の謙譲、天国篇は絶対の平和として表現されている。 また、ダンテが生きていた当時のイタリア政治への義憤、国家と教会の醜聞、虚偽を暴き出したりと、社会的背景も織り交ぜながら物語は綴られていた。その根底には、ダンテの魂の遍歴が、淀み掛けた流れを澄んだ水にへと取り戻そうとする葛藤があった。 古書は古書にあらず。解説の最後に掲げられたミケーレ・バルビの言葉が、ダンテの『神曲』を現代の物語として蘇らせる。ダイジェストにすると共に私見も交えて記しておく。 現実の世界に正義はなく、平和もなかった。法律はあったが、それを断乎として実施する力、あるいはそうすることへの関心を持つ人は、誰もいなかった。貪欲、嫉妬、暴力が、どこでものさばりかえっていた。過酷な追放の苔のもと、ダンテはイタリアをくまなく渡り歩いたが、至る処に彼は、故郷の町から追い立てられた同じ運命の不幸な人々を見つけた。秩序正しい平和な統治はどこにも見出されず、到るところ争論、圧制、党人や搾取者たちの独裁が暴威を揮っている。隣りあう都市の間には、抗争や戦闘が絶えなかった。 統治者の欠落。皇帝たちはローマから世界を統治する責務を果たさなかった。教会も神聖な義務を果たさないで、俗事にかかずらった。ばかりか帝国の上にのし上がろうとの野望に燃え、その権利がありと神を利用した。その結果、帝国と教皇間に嘆かわしい闘争を繰り返させ、恥知らずや甘い汁ばかりを吸い取る輩が増殖し、本来の使命、魂の救済よりも、現世での権力や財の獲得に血道を上げるように堕した。 これらここまで広まってしまった腐敗振りに心底怒り、憂えたダンテが、やむにやまれぬ心情から筆をとったのがこの大作である。そのためには、その現実世界から描写するのではなく、地獄、煉獄、天国といったかの世界から表現する方が読者である民衆に対する説得力が増し、自己反省の後に正しい道へと回帰すると信じたのだ。 これはまさに現代の私たちへの啓蒙書であり、実例が重なり、警告、訓戒として深く重く心にのし掛かってくる。復権すべきは為政者や聖職者たちの欲に根ざした権力ではなく、永遠の真の軌道へ立ちかえらせる神意、すなわちこの宇宙を善へとたらしめるリズム、大生命であるに違いない。

      4
      テーマ:
  • 01 Aug
    • 母の面影

      今朝の目覚めの閃き、というかよぎったのは、お袋のことだった。 誰もがいつかは悲しい別離をすべての人と迎えなければならない。 それは避けることのできない人の宿命だと言って良い。 だが、人は決して悲しみに打ちひしがれたままではない。 乗り越え、希望に変える強さを合わせ持つ。 いつか、意味を知ることだろう。 その死を振り返る。 と言うと、また8つ上の姉貴が、「夜思い出しては、えんえん泣いているんやろ。いつまでもそうしてると、成仏できひんのやで」と笑い揶揄することだろう。 でも私は、お袋のことを1日たりとも忘れたことはなかったし、それは今後も変わらない。 いや、変えられないのだ。朝晩、遺影の飾られた仏壇に手を合わせるし、仕事をしていても師匠でもあったお袋の言葉や仕草がいくつもいくつも蘇る。 母の愛は大海よりも深いと言われる通り、いくつになっても子供は、その温かな海面に浮かぶ一葉に過ぎぬ。 また、恩に報いるためにも、お袋の生きた証を残し、商売人としての功績を宣揚し、いつまでも讃えてあげたい。 我が港の喪失には、多くの意味するところがあり、謎があり、学びがあった。 人間だもの。良いところ、悪いところはそりゃあったさ。そのすべてが愛を形成していたと言えるだろう。 お袋の面影。 明るく快活で笑顔の人だった。運命的に孤独だったが、性格が人を寄せ付けていたのだろう、おかあ、ママ、おばちゃんと若いお客さんを中心に友人知人、親戚の皆に慕われ頼りにされていた。 世話好きで、何組もご縁を結ばせたり、遠くから仕事と暮らしを求め移住してきた人には、家から仕事用の店舗やら、仲介しては何ら見返りを求めなかった。 その反面、ケチなところがあり、露店で購入した松茸を人にあげるとき、執着的により小さなものを慎重に選んで渡していた。 また、孤独とどうしようもない寂しさに一人泣いていた。 いくつもの事業に手を出し失敗し、多額の借金を残したまま蒸発しちまった親父が、多分金銭的な話を持ちかけたのだろう、急に電話してきて、お袋は受話器を両手で支えるようにし、小さな背中を余計に丸めて、咽び泣いていた。 生死に関わる病で長期入院の姉と幼い私を、小さな寿司屋を経営しながら女手一つで育て、大阪から来た取り立てのヤクザに事情を話し、黙って引き取らせた女の生き様、強さがありつつも、自分や子供たちを捨て自由になったつもりのちっぽけな男の前には脆く、ひどく哀れ過ぎた。 それなのに、1度も親父の悪口を子供に言わなかったのは不思議だ。許す、許さないの前に、すべてを受け入れる心の深さがあったと言うべきなのか。 二つ上の自分の兄が、経営してた工場の機械による事故で死んだときにも、葬儀が終わって暫く経ち、電話の前でおいおい泣いていた姿も目に焼き付いている。 「もう私には身内は誰もおらん。一人きりになってしまった」 多分、幼友達だった八鹿のおばちゃんか、京都のいとこのなみおばちゃんと話していたのだろう。悲しみが堰を切り溢れ出していた。 また、ある日の仕事中。まだ高校に通っていた私の部屋に来て、「どこかへ引っ越そうか?」と真顔で問いかけてきた。何度か子供を道連れに自殺も考えたことのあるお袋は、その時にもよほど辛かったに違いない。 出入りしていた親しい人物の横暴に耐えかねたのが原因だった。 しかし、次の日にはまた店を開き、嘘のようにお客さんとあの高笑いで楽しそうに接していた。 お袋のそんな悲しみや苦しみの上に現在の店があり、私たち家族の幸せがある。 そのことをこそ、忘れることなどできないというのだ。私にはその何分の1の力も無いのは分かっている。ただ、その意志を継ぎ、お袋の想いをこの店を未来へと押し拡げたいだけ。 生きる意味とは、繋ぐことだと知った今、夏の空を仰ぎ深呼吸をして、また歩き続けよう。 まだ独身の頃だろうか?サザエさんヘアースタイルでミシンを使っている。

      3
      2
      テーマ:
  • 31 Jul
    • 20年目の新メニュー完成!

      この頃、不思議というか、歳のせいなのか、目覚める時にひらめきのようなものが湧くことが多いです。 天から降りてくるというような大袈裟なことではなく、どうやら、よく言われるところの、潜在意識に繋がりやすいのは、眠る前とか起き立て、ヨガや瞑想のように、意識が朦朧としている状態の時らしいのです。 潜在意識に繋がるということは、過去や未来、そして今、また、宇宙や自然、他者といった森羅万象に意識が拡がってることを意味します。 神からではなく、自分の内から湧くそんなアイデアですが、実は身近な小さな事柄ばかりなのです。ブログ記事の内容だったり、昨日の朝は何故か、過去の店のメニューで、人気がイマイチで削除した一品に新たなエッセンスを加えたものでした。 信仰心の薄い、特に自信の無い私ですが、今回は何となくときめきのようなものを感じ、思い切って朝から仕込み、夜になって試作品を完成させ、皆に試食して貰ったところ、とても評判がよかったので、恩(オン)メニューに踏み切りました。 是非、お召し上がりください。 スタッフのリク力作ポップ❗ 作り方:まず、スジや余計な脂を綺麗に掃除したタンスジ(タンツラ、タン下)とタン先に塩をまぶし、炭火で表面に焦げ目が着くか着かない程度に焼きます。 焼き上がりはミディアムレア。 昆布と鰹でとっただし汁に醤油、酒、味醂、生姜、ニンニクなどを加えた液に熱いうちに漬け浸します。 半日以上冷蔵庫で寝かせてから薄切りにして提供します。

      4
      2
      テーマ:
  • 30 Jul
    • この感動をお客様へと

      仕入も昼からの営業もない満ち溢れた時間があるように思い込んでる朝、まどろむようにまたスマホなどを見つめてる自分がいます。 心の中ではいつか脱スマホなどと嘯いていますが、予定や読書、仕事までそれに依存している状態を払拭するのは、脱人生するしかないとまで思ってしまいます。 昨日の朝も、自宅の玄関を出て、外の空気を吸いながら、他の検索中に偶然辿り着いた少年時代に嵌まった映画をYouTubeで視聴していました。 早送りされた映像のワンシーンごとに、あの頃の感動が蘇ります。 今も変わっていないその心、成長がないと言えばそれまでですが、なにやら嬉しかった。 できれば、感動する対象に接して心の豊かさは増したいものです。  そのためにも、日常に流されたまま無感動で、何もかもを当たり前のこととしてやり過ごすのではなく、身近に接するすべてをよく観察する習慣を身につけたいと思うのです。 たとえばいつも接する肉にも、見方を深めれば、その新鮮な美しさに驚き、その感動をお客様へと伝えたくなります。 特に芸術的な霜降りのハネシタ(別名ザブトン、1,980)は、いくら見慣れたからと言ったって、溢れる想いは止めようがありません。  

      2
      テーマ:
  • 29 Jul
    • 仕事を未来に任せること

      仕事を人に任せることに抵抗があるのは、個人経営の職人に限らないでしょう。 ましてや調理人はヘンコも多くて(同業者の方ごめんなさい)、それを自分ではこだわりとか、責任だとかという言葉で締めくくり、料理の一皿、一皿を心血注いだ作品としてお客様へ提供します。 そこには自分のすべてが反映されるという矜持にも似た思い入れが働いているのだと思います。 しかし、一人の力には限界があります。私もつい最近までは、こと焼肉部門に関しては、誰にも手を触れさせたくはなかった。 仕入れから仕込み、カット、味付け、盛りつけに至るまで、始めから終わりまで自分の手でやらなければ気が済まなかった口です。 そのため、店が忙しくなった際には随分お客様にオーダーされたものを出すのに時間が掛かり、迷惑を掛けてしまいました。 そこで現在はスタッフの男の子や姪っ子に盛り付けを任せるように思い切って変えてみたのです。 するとどうでしょう。私の仕事をよく観てくれていたのでしょう、いや、私以上に美しく、美味しそうに作品を完成させてくれるではありませんか。 写真は盛り付け職人リクが盛り付け、本人が撮ったものです。後で見直しては研究しているようです。 どんな仕事も模倣から始まるものですが、「自分が思うように盛り付けていいんやで。常に変えていくことが大切や」と私はえらそうに言っています。 本来、自分に言い聞かせるべき言葉で。 若い感性は可能性に満ち溢れ、頼もしい限りですね。

      3
      テーマ:
  • 28 Jul
    • 33回目の結婚記念日

      古い友人のY夫婦が結婚記念日に来店。 忘れもしない、33年前のまさに7月27日。 2人から司会役を頼まれ引き受けたのはいいが、まだ若すぎた私ががちがちに上がってしまい、下手な進行をやり盛り下げてしまった悔恨がある。 なんせ、式場のスタッフのおばちゃんが式中に私のそばに来て耳元で「こんな白けた式は珍しいわ」と囁いたほどなのだから。 傷ついたけど、その後の友人たちの挨拶や歌で、持ち直したと信じたい。 「そんなことないって」 と優しい彼らは、その話を私が持ち出すたびにいつも慰めてくれる。 何より、いつからだろう、毎年この日近くになると、私の店で記念日を祝ってくれるようになったことが、そんな思いを楽しい思い出に変えてくれた。 あの時にはまだ産まれておらず、いつのまにか立派に成人した息子のTちゃんたちも、あとから夫婦できて、綺麗な花をプレゼント。 そして何と、来月には彼らもこの店で2回目の結婚記念日を祝ってくれるという。 親子揃っての深い縁を感じ入り、ぐっとくるものがあった。  涙と笑いの宴も終わる頃、席を離れそっとかみさんの所に来て、黙って精算を済ませるTちゃん。 帰り際、お酒の酔いも手伝い、少女のように頬を薔薇色に染め、「やっぱり持つべきは息子やわ」と最高の微笑みを浮かべた33年前の新婦。 色々あったけど、もう大丈夫やろと親を心配していたTちゃんの成長にも感動。 思わず、ずっと昔に聴いた杉田二郎の『涙は明日に』の懐かしい歌詞が記憶の隅っこからそっと浮かび上がってきた。 作詞:北山修 作曲:杉田二郎 きのう花束つんでたあの人も涙流しふるさとを捨てたきのうラブレターもらって笑ってた娘も今つらい恋に泣いた時計の針はもどせない 帰っては来ないだけど君が泣くのは今じゃない涙は明日に 明日にきのう誰かの子守唄きいていた女の子も恋の夢をみるのきのう泣いてたあの子も母親になっていつか子守唄をうたうめぐりめぐる人生さ 帰っては来ないだけど君が泣くのは今じゃない涙は明日に 明日に空も海も泣いている 帰っては来ないだけど君が泣くのは今じゃない涙は明日に 明日に @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 昨日は昨日。 少年少女は大人になった。 いつのまにか、こんなに過ぎてしまった遠いあの日。 確かなのは、生きて在るのは、今、ここにのみ。 だけど、いつも道は明日に。 感傷は空や海に漂わせ、誰もが皆、喜びの涙を信じながら常に明日にへと歩み続けている。 もう1度言おう。 2組の愛に。 33回目と2回目の通過点を祝して。 結婚、おめでとうと。

      4
      テーマ:
  • 27 Jul
    • O の悲劇

      ブログなどに現を抜かしてると、通信大学の作成中のレポートも進まなければ、積ん読本も一向に減らない。 学びたいこと、興味深く読みたい本などもいっぱいあるのに、このところ、半ば意地になって毎日これを更新している。 ブログを書くのはなぜだろう? 人それぞれだろうけれど、自分の場合、内面を見つめたり、現在の状態を客観視できたりなどのメリットがあるように思える。 ま、その前に、書くことは、自由を満喫できるし、色々頭の中で遊戯可能だし、自分だけの空で想像、創造の羽根を広げ飛び回れたりと、性に合うのだろう。 よく似た遊びに、SNSやオンラインゲームがあり、今ならPokemon GOが世界の幸せそうな国々で大流行だ。 これまた巧みに現実と仮想世界を連結させて、ゲーマーを夢の世界へと誘い、文字通り夢中にさせる。 ブログを書くことと同様、そこには癒しやストレス発散などの効用があるのは分かる。 私もファミコン世代の任天堂育ち。 楽しく遊ぶのには何ら問題は無いと思う。だが、一方で信じたくない現実と闘い、苦しんでいる人たちが存在する。 権力や闇の存在が、そのことを忘却させるためにゲームや何やらで誤魔化しているのではないかとさえ思えてくる。 世界各地で起こっている貧困や差別、テロなどもそうだが、同じ日本で、リアリティーな巨大モンスターと、アイテムも武器も持たずに素手で、また座り込みという唯一の武器、いや防御にすぎない手段で、戦い続ける英雄たちがいる。 ポケモンモンスターなど探している場合だろうか? 興味本位でダウンロードしたアプリを恨めしく思う。 それでもまた、どこかへ出掛けたら、娘たちと一緒に楽しく遊ぶことの哀しみ。 ただ、言えるのは、忘れてならないのは、私たちが考えている以上にこの国は泥沼に足を踏み入れてしまっているのかも知れないということ。 もっと政治を監視せよと自分に言い聞かせる。 ある人のブログを通じて、沖縄のオスプレイ配備問題に関心を抱いた。 沖縄の基地問題など、ニュースで聴き知っていたが、生々しい映像で観せつけられると、こんなことが現実に沖縄で行われているのかと、目を疑いたくなる。 戦前戦中のように政治権力によってコントロールされはじめたニュースでは、私たちは沖縄の基地も、致し方のないことなのだと、思い込まされる危険性がある。 真偽を見極める情報リテラシーの重要性を知った。 いつまで沖縄だけに犠牲を虐げるのか。何ら落ち度のない罪なき人々に、私たちに代わっていつまで重い十字架を背負わせるのか。 私たちにそんな権利など絶対にない。 腹を立てるだけで、自分ひとりでは何もしようとせず、何も出来ない無力さを痛感する。 本当は1人の力は偉大なはずなのに、数と力で物事を推し進めていく政治や現実に流され、結果的にSNSやゲームなどに逃げこんでいる。 でも、それでもここで声を上げていくしかない。 選挙も終わり、あとは何が出来るというのか。 とにかく無関心ではいられない。 沖縄の現実は、私たちの現実と必ずなる。 目をそらせることだけは止めにしたい。  心震わせられた、沖縄の高江の人たちのこの現実をどうか観て欲しい。 三上知恵監督のドキュメンタリー映画『標的の村』(45分)。

      2
      テーマ:
  • 26 Jul
    • 8月の8マン

      おこがましくも、焼肉竹の大ファンになってくださり、大応援団のお客様が何人もおられる。 本当に有難いし、感謝の念に堪えない。 その中の一人の方から尋ねられた言葉が耳朶を離れない。 「大将も真剣ですよね」 その方も、食べることを楽しみ、真剣に焼肉や各種の料理を味わってくださっているのが伝わってくる言葉だ。 だから手抜きなどあり得ない。 いかにより美味しい焼肉を提供するのか? 素材はその時入手可能な最高の物を選ぶ。 最高と言っても後付けの値段やブランドなどではなく、素材そのものの実質的な価値を見抜く目利きが必要。 そのためには、やはり普段の自分磨きがまだまだ足りない。 何事にも真剣になろう。 例えば、姪っ子の子どもたちにへと、これまたお客様にいただいたクワガタとカブト。 母親である姪っ子から、まだ子どもたちがうまく飼育出来ないからと、私に委任された。 だから今私は焼肉屋の親父兼虫おじさん! 二足のわらじは履けないけれど、そういえば大学6年生のあまり嬉しくない肩書きもあることだし、この際、はける物は足袋だって何だって履いてやろう。 極論、裸足になれば、何だって出来る。 Amazonで飼育グッズをしこたま仕入れ、恰好だけはついた。 これで死んだら、身も飼育蓋の蓋もない。 虫のお姉さんに助けも求めた。 たかが虫。 されど、これがなかなか奥深く、命とは何かを考えもさせてくれる。 やっぱり、何事も真剣になれば見えてくるものが違ってくる。 8月は多忙な焼肉と昆虫、夏休みの期間。 本音は、8マンのように弾よりも速くこの季節が過ぎ去って欲しいかも?

      7
      テーマ:
  • 25 Jul
    • 指先の登山

      たわいない1日。 されど2度と戻れない今日。 どんな日でも、その積み重ねがあってこそ、それに応じて明日が来る。 女性初のエベレスト登頂者である田部井淳子さんが言っている。 「人間のすり足のような一歩一歩でも、前に進んでいけば頂上には立てる」 以前、テレビで企画された登山入門の番組に出演されていた際、一緒に山に登りはじめた先を急ごうとする生徒役の男性をこう諭されていた。 「もっとゆっくりと」 そうなのだ。きっとエベレストに登られた時にもきっと、慌てず力を抜いて、目の前の一足一足を着実に前にへと進められたに違いない。 座したまま、いつかはたどり着くという行き方は叶わないだろうが、弱々しい足取りでも、常に僅かでも進めていけば目標達成に適う歩き方だということだろう。 それを人は、一気に進めたがる。欲しい物を今すぐ手に入れようと藻掻いてしまう。 心の中の葛藤を通して情けない自分と向き合うことも無く、我偉しとばかりに、他者を蹴落とし、欲望を吐き散らかせながら道を汚す。 地道でも、誰に顧みられることなどなくても、自身の人生の山をじっくりと、心鍛え上げながら、また移りゆく景色を楽しみながら登攀していきたいものだ。 登山口で誓ったのは魂の成長。極論すればそれしかない。 そう願って生まれてきたことを普段忘れてしまっている。 そうであれば、登っているつもりで降っていることにしかならない。 生き甲斐が絶望に代わる。 幸も不幸も山の厳しさではなく、内面の有り様で如何様にも変化することを知った。 高みを恐怖と感じるのか、爽快に笑い飛ばせるのか。 白銀に道を見失うか、希望の足跡を残すのか。 強くなければやさしくできない。 悲しみや苦しみ、どんな試練だって、そこに意味を見出さなければ、泣き叫んでいるばかりになる。 それは今分からないかも知れない。 時が経ち振り返ると、感謝の念さえ起こってくる。 そんな道を上ってゆきたい。 たとえ病に伏しても、指先で人生を綴りたどり着きたい。

      6
      テーマ:
  • 24 Jul
    • 風は緑色

      窓の隙間にちらっと見えた、風に揺れ光り輝く緑にはっとする。 穏やかな夏の朝。昨夜のカレーを思い出す。 いつかの臭い。探している大人の少年。 台所の背中はどこへ行った。 空き部屋のフォトグラフ。 いくら撮っても時間は映らない。真夏の悪夢。夏の終わり。 流れる雲、追いかけた。届かないけれど、忘れない。 草原の薫り。風の呼び声。青空の下に。

      5
      テーマ:
  • 23 Jul
    • お肉ちゃんの横顔

      夏の砂浜で、潮風に吹かれた横顔を見つめながらあなたの心の中を探る。 そんな感じでランイチ(ランプとイチボの塊肉)を眺めると、どこまでも少し幅広の平行線を辿るだけ。 しかし、くっきり刻まれたこの軌跡こそが良い肉の証。正面の遙か水平線を目指して美しく開いているのが予想できます。 沈み掛けた夕陽が再び登り始めて朝日に変わる。キラキラ輝くそれは、お客様の笑顔であって欲しい。 今夜の肉も最高の状態。いつにも増して、黄金色ならぬ紅色に光沢を放っています! イチボの断面。 右側イチボ、左側ランプに分割。 イチボ(1,480) イチボの美しいさし。 脂ののったランプ(1,980/120g) ランプ。 ランプ。

      4
      テーマ:
  • 22 Jul
    • とっておきの調味料

      美味しくなれのとっておきの調味料があります。 ごまの葉の醤油漬け(380)。 昆布と鰹でベースとなるダシをとり、その中に唐辛子やニンニク、醤油、砂糖、ゴマなどを使うだけのシンプルな味付けなのですが、その後に味がどんどん変化し深まってゆきます。 いわゆる発酵効果とも呼ぶものなのですが、えごまの葉には特に抗菌作用があり、他のキムチと比べると比較にならないほど長期保存が可能です。 約6ヶ月。その間に冷蔵庫の中で少しずつ醸成された味わいは、なんとも言えぬ芳ばしさです。 時間こそが最良の調味料だったのです。 夏バテ防止、アツアツの御飯に見事に合います。ぜひお召し上がりください。

      7
      テーマ:

プロフィール

店長

性別:
焼肉屋の親父
誕生日:
1961年10月8日8時頃
血液型:
O型
お住まいの地域:
滋賀県
自己紹介:
歳を重ねるほどに失うものより積み重なってきたものへのいたわりと感謝の念が増えていく。 見るもの聞く...

続きを見る >

読者になる

カレンダー

1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

ランキング

総合ランキング
24561 位
総合月間
59983 位
グルメ
231 位
学び・教育
327 位

ランキングトップへ

Yahoo!予約で予約する

テーマ

一覧を見る

最近のコメント

ブックマーク

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 グルメブログ 肉・焼肉へ
にほんブログ村
にほんブログ村 アウトドアブログ 軽登山・トレッキングへ
にほんブログ村

焼肉 ブログランキングへ

ブログサークル
ブログにフォーカスしたコミュニティーサービス(SNS)。同じ趣味の仲間とつながろう!