手塚治虫……。

 
昭和に生まれ育ち、恵まれた子供時代を過ごした私にとって、この名前の響きは裕福とまではいかなくとも、味噌汁やカレーの湯気に包まれテレビに釘付けだった生活環境の思い出と共に、懐かしさを伴いつつ伝わってくる。
 
ジャングル大帝やリボンの騎士、鉄腕アトム、マグマ大使、思春期には火の鳥やアドルフに告ぐ、ブラックジャックなど、漫画の神様から届けられたメッセージは今もなお、自分の血肉となって脈打っていることを感じる。
 
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神様が遺してくれたもの、神様自身のテーマであったものはなにか?
 
彼は戦争時代に青春を過ごした。
学校で漫画を描いていたら、非国民のように罵られた。
が、ただ一人、美術の先生が彼をかばい、「手塚、どんなに戦争が激しくなっても、たとえ兵隊にとられるようなことがあっても、マンガを描くことだけはやめるなよ。おまえはきっと、いつか、それで身を立てられるチャンスがあるんだから。いまはこういう時勢なんだが、あきらめちゃいかんぞ」と励まされる。
 
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そして終戦。
大阪の焼け野原に立った彼は、「ああ、生きていてよかった」と、生命の奥底から喜びを噛み締める。
貧しさやひもじさ、繰り返された空襲により、幾度となく命を脅かされてきた若者は、未来に希望を見つけた。
これが彼のその後の創作人生すべての原点となった。
 
命の美しさと醜さ、今に生きる素晴らしさと永遠の生命を希求する儚さ、彼の異なるジャンルの様々な作品に一貫して流れ通っていたのは、「生命の尊厳」であった。
 
それは今も台風の去った後の秋風のように、少し冷たく、でもやさしく枯れ葉を肩に落としながら、現代という緊迫した諸問題を抱えたグローバル社会に警鐘となって訴えかけ、私たち一人一人の人生の道程にも、道標となり、確かな風音を吹かせてもいる。