私ってこんな経験して来ました(経歴編) | 永川智美(Thamba)オフィシャルブログ《ぶっちゃけ、天界の記憶があります!ごめんなさい☆》

永川智美(Thamba)オフィシャルブログ《ぶっちゃけ、天界の記憶があります!ごめんなさい☆》

ある日突然、心の真ん中から飛び出してきた《天界》についてのこと。心や魂を整えるカウンセラーをしたり、講師をやったり、主婦をやったり。球オタクで実況アナウンサーの旦那氏と娘・鉄子氏と暮らしてます。元・証券営業マン。


私ってこんな経験してきました(家庭・学校編)の続きです。




家庭も学校も荒れ気味でしたが、

私はどんどん優等生になります。



それはどこか復讐心に燃えるように、

私は優等生になっていきました。


「絶対に悲壮感を出してたまるか!

そんな不幸があるなんて、

そんな苦労があるなんて、

周りに微塵も感じさせてたまるか!

なんの苦労もしてないフリして、

のし上がったる!!


周りのせいにして、

非行に走ったり、

引きこもりに走ったりするような奴に

意地でもなったらん!

お前らに私の気持ちなんて分かられて、たまるか!」みたいな

何か、熱いものを心の奥で持ちながら、


「なにくそ!」と、優等生の座を掴み取りに行っていました。


…うん、幸せな人を憎んでいたんですね。

今分かった。幸せな人が敵でした。

苦労してない人が敵でした。

幸せな人に「私のことなんて分かられてたまるか!」って怒ってた。

分かられたら困るんだよね。

不幸がアイデンティティでした。


そんな復讐心を誰にも見せずに、

優等生ロボットと化す私。


勉強も出来るし、運動も出来る。

友達も多くて、そこそこ人気者。


中学で成績は学年で女子では1番。

部活ではバレー部に入って、レギュラー。

市内の大会では優勝。

卒業式では卒業生代表の言葉を述べる。


そんな実績を残して、

学区内偏差値1位の高校に入学しました。

(学校のOBにノーベル賞作家の川端康成がいる名門でした。村上春樹でも取れないのに、ノーベル文学賞ってすごいな!と最近改めて思う!先輩自慢!笑)


高校はね、楽しかったのです。とても。

ちゃんと授業中、みんな静かだったし平和だった。

みんな優しいし。

仲良い友達もたくさん出来ました。

生徒会副会長とかもやりました。

また、卒業式でも式辞読みました。


で、そんな中、

大学受験で初めて挫折を味わいます。


志望校の2次受験を受けられない程、

センター試験で失敗


あえなく、志望校のランクを下げ

(浪人する勇気も頑張りも尽きていたの

志望校ではない大学に入学。


そこからも、今度は私の行きたかった大学に行った人達を仮想敵に加えて、


「絶対、あいつらより良い会社入ったるねん!」と、リベンジを狙う。


でもそんな復讐心は外には出さずに

あはははー、うふふふー、と、

サークルに入って飲み会しまくり、

バイトをしまくりながらも、影で資格を取りまくるという大学生活に突入しました。


就職活動を「さぁ始めよう」と思った、

その秋にリーマンショックで、

なぜかスポット的に就職氷河期に


それでも、第一志望の会社の内定をもぎり取ります。

(そう。もう「勝ち取った」とかじゃない。「もぎり取った」笑)


私はお金持ちでもないし、コネもないし、

帰国子女でもなければ、美女でもない。


それなのに、倍率1000倍とも言われていた、日本で一番大きな証券会社に、

全域型総合職という、女子にとってはキャリアルートの総合職として採用されたのでした。

(内定者は男子が243人、女子は7人だった。)


私より高学歴エリートなのに、

就活で苦労してる人達に

「ざまぁ見ろ!!!勝った!勝ってやったぜ、あいつらに!!!」と、清々しい想いを持っていました。

…しょうがないよね、しょうがない、しょうがない。(笑)


そして、恋愛でも学部主席の彼氏がいました。


でも私、今よりえらく太ってましたし、

ブスでした。

女としての魅力はなかった。

だから全然自信がなくて、

こんなにキャリアを手に入れても、

主席の彼氏がいても、

なんか卑屈で、いつも人の目を気にしていて、

「幸せー!」って思える時間がほぼありませんでした。


いろんなものを手に入れるけど、

「幸せー!」って全然感じられなかった。


そんなこんなで、

日本で一番大きな証券会社に入社。

と同時に東京へ。


もう、新入社員だけでも全国から強者たちが集まってるのに、

会社の中には生き残った強者たちがわんさかいて、いやはや凄かった(笑)


そして1年目の春、

新人研修が終わり、支店配属になったその翌日に、父が亡くなります。




話は逸れますが、


父は亡くなる5年前から悪性リンパ腫を患っていて、私が大学卒業間際の時は危篤状態でした。


その際、父の現嫁、私、父方祖母が交代で看病するという、奇妙な連帯感が生まれていて、私の父を私から奪い取った女である、現嫁とは面識があったのでした。

現嫁はどこか憎めないところがあり、

私も彼女とは和解をすることができていました。

(この期間もとても大変だった。きっと大阪でやっておくべき最後の役目だったんだと思います。)


そういった訳で父の葬儀に参加することが出来たのでした。


配属翌日に父が亡くなり、トンボ帰りで大阪へ。

ドタバタとした社会人生活のスタート。


父が亡くなったことの悲しみや苦しみを感じる暇なく、葬儀が終われば東京へ戻り

会社員生活に溺れて行きます。


そして1年目の最後の月、3月には東日本大地震。


もう、ひっちゃかめっちゃかな1年でした。


自分の心に寄り添う暇があるなら、

お客様を開拓せねば!

数字を達成せねば!


「自分の心に寄り添う」なんて概念すらなく、

ひたすらにひたすらに、

仕事に追われ、こなし、


結果的に2年目の春。

私は新規開拓を100件達成し、

コミッション額は同期内で全国3位という、

スーパーサイヤ人に仕上がっていたのでした(笑)


「あ、私、頂点やわ。今ヒエラルキーの頂点にいる」そんなことを感じていましたが、


それが私の「スーパーサイヤ人・ヒエラルキー人生」のピーク。


ここからどんどん転げ落ちる様に転落していきます。



-続く-




まだ続きます。

長いわチーン

本当にここまで読んで下さり、ありがとうございます。


いやー、でも頑張ってたな。

ここまでのし上がれるの凄くない?(自画自賛。笑)

よくやったよ、本当に。

でも経歴だけ見たら、ただの鼻持ちならない奴だ。


でも私は思いっきり自慢して、

鼻にかけてやりたかった!



それをやり切れてなかった。

だから、今このブログでやらせてもらってます。

本当にありがとうございます。

私は鼻持ちならん嫌な女です。


でもいいの!自慢させて!

頑張ったから!(笑)


Thamba流れ星