~夜叉 最終章 『雪消』~
隊士の案内で新撰組がいる所まで来た龍影達。
其処には、新撰組に囲まれた夜叉の姿があった。
「夜叉……」
龍影は手出しをするなとでも言うように、刀を抜いて夜叉に歩み寄った。
夜叉も其れに応えるように刀を龍影に向ける。
ぴりぴりとした空気が肌を刺す中、龍影と夜叉は同時に切り掛った。
激しく鍔迫り合いをする二人に、悠助達だけでなく新撰組まで息を呑んだ。
「夜叉!!目を覚ませ!!」
無駄だとは思いつつも、龍影は声を上げた。
しかし当然、夜叉は返事をすることなく力を強めるだけ。
「…っ……」
龍影は一瞬顔を歪めた後、夜叉の刃を押し返した。
結構な力で押し返したからだろう。
夜叉はふらつき倒れそうになるが、持ち堪えて斬り返してきた。
力が無い分速さを磨いた剣術に、龍影は思わず舌打ちする。
目で追えないわけではないが、これでは埒が明かない。
龍影は顔を些か歪めた儘、夜叉の懐に入り込んだ。
夜叉は其れを弾き返すと、あの夜と同じように刀を突き出してきた。
しかしあの時よりも夜叉との距離が近かった為か、夜叉の刃は容赦無く龍影を傷付けた。
「…っ……くそっ…」
龍影は切られた左の脇腹を見て、顔を顰めた。
掠っただけだと思っていたが、やはり妖刀。
見事にぱっくりと斬れていて、鮮血が地面を汚している。
「おいおい……。ちょいと切れ味良過ぎねェか?」
同じ邪鬼の妖刀でも、狐火とはてんで違う。
下手すると狐火が折れる可能性だってある。
龍影は冷や汗を掻きながら柄を握り直した。
其の後、何度もお互い攻撃を仕掛けたが、傷が増えるだけ。
「…ハァ……ハァ…っ……」
(どうすれば良い……。やはり俺の剣には迷いがある)
龍影は荒い息を繰り返しながら、悔しさに顔を歪めた。
夜叉に苦戦しているのも事実だが、主な要因は龍影自身にあった。
殺そうと決めた相手だが、仕事の時のような他人ではない。
其の事が龍影の剣を鈍らせているのだ。
『いいかい、龍影。人を殺すということは、如何なる理由があろうとも、死ぬまで殺した人間の命を背負うということ。お前に修羅は向いていないよ。己の体を態々血に染める必要はない』
龍影は静かに息を吐き出すと、近くに居た隊士に声を掛けた。
「おい、お前。刀を寄越せ」
声を掛けられた隊士は一瞬目を丸くした後、龍影に刀を渡した。
其れは、人形の妖刀でも邪鬼の妖刀でもない只の刀。
龍影は狐火を鞘に戻し、受け取った其れを抜刀した。
「龍影!!無理や!!直ぐに折れて「師匠!!俺は……確かに修羅には向いていないかもしれねェ。だけど、この道を選んだことは後悔していない!!」
驚いて声を上げた狐火の言葉を、龍影の言葉が遮った。
「狐火……。お前を使わないのは正直俺の我儘だ。だが、修羅としてではなく、龍影として彼奴と戦わなければいけないと気付いたのも事実。龍影として戦わなければ……彼奴を救うことにはなるめェよ」
龍影自身、馬鹿なことをしていると分かっていた。
でも狐火を使ってしまうと、龍影としてではなく、修羅として殺したことになりそうだと思ったのだ。
無謀だとしても、龍影として戦いたい。
想いは其れだけだった。
龍影は素早く夜叉に斬り掛る。
迷いが無くなったからだろうか。
刃は容赦無く夜叉を追い詰めていく。
其の時、龍影は刀に己以外の力が加わったことに気付き、目を見張った。
「どう、して……」
龍影はある一点を見詰めてそう呟いた。
夜叉の手が龍影の刃を握っていたのだ。
――龍影の持つ刀は、夜叉の身体を貫いていた。
「どうして……どうしてだ、夜叉!!」
夜叉は龍影の刀を握り、自らの身体を突き刺したのだ。
地面を染めていく夥しい血が執拗に目に焼き付く。
夜叉は後退して刀を抜くと、崩れるように倒れ込んだ。
鬼面を外し、吐血する夜叉。
龍影は其の姿にハッとして声を上げた。
「…っ……夜叉!!」
龍影は倒れた夜叉を抱き抱えた。
「…っ……君に背負わせたりなどしない。……僕が背負ってきたものも…僕の命も……全部僕が持って逝くよ」
夜叉はそう言って微笑んだ。
雪の様に白い肌に、形の良い桜唇、そして優しく光の灯った瞳。
鬼面で隠れていた其の顔は、迚も人斬りには見えなかった。
「僕の名は、小雪。君の名は?」
「!……龍影だ」
「ありがとう、龍影。僕は…君の御蔭で、夜叉という人斬りではなく……小雪という、人間として…死ねる……」
其の言葉に、周りは息を呑んだ。
『人間』として生き、『人間』として死ぬ。
其れは、普通に生きている『人間』には理解出来ない事だろう。
そして、理解する必要もないのだろう。
「龍影…君には、沢山言いたい事が……あった…。でも……言えそうに、ないや……。だから、これだけは…言わせて……ごめんなさい、ありが…とう……」
夜叉、否……小雪は、そう言って静かに息を引き取った。
龍影は小雪を抱く力を強め、何かを耐えるように奥歯を噛み締めた。
「…!……雪だ」
誰かがそう呟き、隊士達が空を見上げる中、近藤は静かに口を開いた。
「修羅と夜叉は、周りから酷く恐れられていたが……一番恐ろしいのは、人の欲と偏見だな」
「自分のことばかり考えている人間、平気で誰かを犠牲にする人間、自分とは違うものを受け入れない人間……か…」
土方の言葉に、沖田は声を発した。
「人間はそういう生き物ですよ、土方さん。生きるためには何かを犠牲にしなければならない。そして、自分とは違うものを異端として受け入れない。哀しい生き物です」
沖田はそう言って掌を見詰めた。
其処に落ちた雪が体温で消えていくことが、何故か迚も悲しかった。
「確かに総司の言う通りかもしれない。だが、俺達は忘れちゃいけないのさ。何かを犠牲にすることは、当然の行為ではないということ、人間だけの特権ではないということ。そして、誰もが己と同じように生きる道を歩いているということを」
近藤はそう言って空を見上げた。
修羅の空知らぬ雨は、京を白く染め上げていく。
丸で、闇を掻き消そうとでもするかのように。
――もーいいかい?――
――まーだだよ――
――鬼はまだ見付からない。
幕末の生きる道~苦界されど我は笑ふ~
『夜叉篇』
完