~夜叉 第参章 『過去』~




翌日
屯所の一室には、刀の手入れをしている土方と沖田がいた。
黙々と手を動かしていた二人だったが、不意に沖田が言葉を零した。

「土方さん、龍影さんは何を背負っているのでしょうか……」

「知るか」

「あれ?もしかして協力することにまだ反対しているんですか?」

土方は其の言葉に一瞬手を止めた後、乱暴に言葉を放った。

「当たり前だ。人斬りだぞ!?」

「元ですよ土方さん。其れに知り合いだからという枠に填め込むのは、どうも納得が行きません。土方さん……龍影さんは何を背負っているのでしょうか」

沖田は再度同じ言葉を零したが、土方が其れに言葉を返すことはなかったし、沖田自身が答えを見付けることもなかった。






同時刻、悠助達は縁側に座ってお茶を飲んでいた。

「新撰組が協力してくれるなんて驚きね」

「確かに新撰組の事も気になるけど、わっちは龍影が隠している事の方が気になるねえ」

勒七の其の言葉に、龍影は湯呑に口をつけた儘、助けを求めるように狐火に目を遣った。
しかし狐火は好物である油揚げを幸せそうに頬張っていて、龍影の視線に気付かない。

龍影は三人の視線を体に受けながら、溜息をお茶と一緒に飲み込み口を開いた。

「長くなるし、面白くないぞ?」

遠ざけるような言葉を落とすも、三人の視線が落ちることはなかった。

「……俺には、師匠と呼んでいた義父がいたんだ」

―――――――
―――――

あれは、龍影が琴音と逸れて数日経ったある日のこと。
お金を持っていない龍影は、当然食べ物を買うことは出来ず、お腹は正直に主張をしていた。空腹でふらふらと歩いていた龍影は、到頭地面に四肢を投げ出した。
其の横を通り過ぎる人々を虚ろな瞳に映し、龍影はぼんやりと妹のことを考えていた。
今まで、何程辛くても耐えられたのは、妹の存在があったから。しかし、もう限界だった。
視界を横切った野良猫さえ、羨ましく思えてしまう。


――此の儘死んでしまうのだろうか。


そんなことを考えた刹那、視界に一人の人間の足が入ってきた。
足だけならば、沢山見えるのだが、其の足だけは他と違った。明らかに此方を見下ろす状態で立ち止まっているのだ。
顔を見ることは叶わなかったが、着物や履物からして男だろう。


――邪魔だったから何処か別の場所に捨てられるのかなぁ。


些か子供らしくないことを考えながら、龍影は静かに意識を沈めたのだった。




あれから何程経ったのかは分からないが、何とも美味しそうな匂いが鼻腔を擽り、龍影の目はぱっちりと開いた。
瞳に映ったのは、染みの目立つ天井。
其れにびっくりして勢いよく体を起こせば、次に映ったのは食事の支度をしている一人の男だった。
龍影の視線に気付いたのか、男は嬉しそうに微笑むと龍影に椀を差し出してきた。

「目が覚めたのだね。お腹空いているだろう?粥を作ったからお食べ」

先刻よりも近くなった刺激に、龍影は思わず椀に手を伸ばそうとしたが、ひょっと疑問が浮かんだ。


――知らない人から食べ物を貰っても平気なのか?もし毒が入っていたら?でも、そんな事をしても利点がない……。


そんな考えが顔に張り付いていたのか、男は笑って更に椀を近付けた。

「毒なんて入っていないよ」

其の言葉を信用する根拠など無かったが、龍影は椀を奪うように受け取って、丸で誰にも渡さないとでも言うように一気に掻き込んだ。
其の様子に一瞬目を丸くした男だったが、安心したように笑ったのだった。





男の名は陽炎(かげろう)といった。
愛刀の名は狐火(きつねび)。後に、龍影の愛刀となる妖刀だ。

そんな二人に助けられた日から二ヶ月が経った。
最初の警戒なんて綺麗に無くなった今、龍影にとって毎日が楽しかった。
でも、龍影には忘れてはいけない想いがあった。


――琴音を探さないと。


己の身体を動かしていた其の想いは、楽しい毎日を送ることで薄れてしまう気がした。
でも、優しくしてくれる二人にそんなことは言えない。
龍影は近くの森の中で、一人悩んでいた。木の根元に膝を抱えて座り、膝に顔を埋める。

「……どうしよう」

「どないしたん?」

「!狐火……」

降ったきた声に驚いて顔を上げれば、其処には些か心配に瞳を揺らした狐火がいた。

「狐火……俺は妹を捜しているんだ。きっと一人で泣いているから、早く見付けてあげなくちゃ」

自然と零れた言葉に、狐火は一瞬驚いたような表情をしたが、静かに微笑むと龍影の頭をそっと撫でながら口を開いた。

「一人で抱え込む必要はあらへんよ?龍影は独りやない。わいと陽炎がいるやないの」

「そうだよ、龍影。私は君の父親なのだから、甘えたって良いのだよ?」

「陽炎……狐火……」

何時の間にか居た陽炎に驚いたが、喜びの方が断然勝っていた。
ぽろぽろと涙を零す龍影を、陽炎はそっと抱き締める。

木々を揺らす風がそっと三人の間を通り抜け、太陽の微笑みが幸せの香りを降らした。