~修羅 第弐章 『再会』~




亥の刻

暗くなった江戸の道を、物騒にも一人の女が歩いていた。
今にも泣き出しそうな顔で歩く女の頭には、月明かりに輝く桃色の簪があった。

「どうしよう。宿が一杯だなんて……」

そう言って近くにあった木に凭れ掛る。

江戸が珍しく、宿の事をすっかり忘れていたのだ。
昼間は楽しかった気持ちも何処かに行ってしまった。
思わず溜息をついた時、誰かの足音が聞えてきた。

驚いて辺りを見渡すものの、人の姿も明かりも見えない。
女は慌てて木の陰に隠れた。

相手が堅気の人間ならば、普通は提灯を下げているはずだからだ。
つまり、先刻の足音の主は辻斬などの可能性が高いということ。

女は声を出さないように、口を手で覆った。
暫くして、姿を見せたのは一人の男だった。
月明かりに照らされた男は、狐面をつけており、其れを外すことなく月を見上げていた。

もし女が江戸の人間だったならば、この男が何者なのかが、時をおかずに理解出来たことだろう。
しかし残念ながら、女は江戸の人間ではないし、見付からないように必死で其処ではなかった。


其れから半刻程が経ち、男は月から木へと視線を移すと、面白そうに声を発した。

「出てきたらどうだ」

女は驚いて小さく悲鳴を上げた。
其れを聞いた男は、含み笑いをしながら木に近付く。
女は逃げようと道に飛び出すが、直ぐに捕まってしまった。

男の手を振り払えないことに女は冷汗をかいた。力の差だけが理由ではない。
この男には、逆らってはいけないような気がしたのだ。

「(…っ……きっと殺される!!)」

女がぎゅっと目を瞑ったことによって、涙が頬を伝う。
いっそ一思いに死にたいと思った時、男が急に手を放した。

「お前……名は?」

「……へ?」

殺されると思っていた女は、予想外の言葉に間抜けな声を出す。

「聞えなかったわけじゃあるめェ。さっさと答えろ」

「こ、琴音です!!」

「そうか……」

男はそう呟いて立ち去った。男が居なくなっても恐怖は、残っている。
琴音は茫然として、座り込んだ。

腰が抜けて、暫く動けなかったことは言うまでも無い。