去年の年末に観た『PERFECT DAYS』について、他の人はどう思ったのかな?ということが浮かんだ。
モヤモヤしていたので、大好きなYouTubeチャンネルのシネマサロンに、質問としてこんなコメントを送ってみた。
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『エンドロール後の、木漏れ日の説明についてはどのように思われましたか? 映画は映像で感じさせるもので、小説のように言葉を入れることについて、賛否別れても良さそうなのに、特に話題にも上がっていないので、気になったのは自分だけかもしれません。 私は目が疲れやすいので、エンドロールのときには目を閉じているのですが、終わったかな?と思ってふと目を開けたら、ちょうど木漏れ日についての言葉を目にして、危うく見逃すところでした。
もしこの言葉を見逃していたら、作中の木漏れ日の意味については理解しないままだったかと思います。なので説明があって良かったのですが、本来は答えをもらうより、感じとるものなのかな……と。
ご意見を伺いたいところでしたが、話に出なかったので、もし愚問でしたらお答えいただかなくても大丈夫ですよ』
すると、案の定質問として取り上げることはありませんでしたが、3人の方からこのようなコメントをいただきました。
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『平山が「影が重なると濃くなるんだよ」と言うのは、日頃から木漏れ日を観察したり撮影したりするなかから得た確信で、それが彼の人間観、世界観を形作っているのだと思う。一人一人の存在がふれあい、重なりあうことで、それぞれの人生が濃く、深くなり、全体として美しい木漏れ日を形作っているんだよ。だから無駄なことなど何もないんだよと言いたいのでは。 光源が1つしかない場合でも、周囲のあらゆる物体や空中のホコリに光が反射するので、平山さんの見方は科学的に正しいかも』
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『「木漏れ日」という言葉は日本語にしかなく、一言で外国語に翻訳できない言葉だと聞いたことがあります。なので英語の文章で丁寧に説明するのと同時に、この映画の一つの種明かしを監督は最後にしたのだと思いました。日本とそこに住む日本人の感性への愛が伝わってきて感動しました』
『なぜ平山が繰り返し樹の枝を下から撮るのか、意味がわかりませんでしたが「木漏れ日」を撮っていたんですね。最後のメッセージでやっとわかりました。人生は木漏れ日のように日向と日陰(幸不幸)が何度も訪れる。そして陰にも濃淡がある。 夜、照明の灯りで初老の男二人が影踏みして遊ぶシーンはこの映画の象徴だったのでしょう』
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皆さま、ありがとうございました!
何だか変なことにこだわって、素直に楽しめていなかった自分がいたことに気づきました。
2つ目のコメントの方の通りかもしれませんね。
じわじわくる映画でしたね。
私はつくづく想像力足りないのか、最後の平山さんの笑顔からの泣き顔の意味がわからず、それにもモヤモヤして、考察動画を観まくってしまいました。
自分で考える力を奪われますよね……
でも、答えなんて本当はないのだから、自由な憶測で楽しめるようになりたいな。