あまりに評判がいいのと、珍しく旦那さんが観るというので一緒に映画館に。


特撮モノは迫力と臨場感だけで、後に残る余韻なんてないのだろうとまったく期待していなかった。

それがそれが……
素晴らしい作品でした!と、私ごときが言うまでもなく、観た人のクチコミで口を揃えて絶賛中なのだけど。
あえて自分の感想を書かないと、どこかの誰かの感想に被せて自分もそう思ったことにしよう、と自分の手柄にしてしまいそうで。

神木くんの“目”の演技がすごくて、ただただ見入ってしまった。そして三回泣いた。
これで泣かない人っているのだろうか?と思っていたら、旦那さんは一言「クダラナイ」。

彼はゴジラが主役ではないことや、特攻隊なのに坊主じゃないことにも引っかかり、演技もわざとらしい、と挙げたら切りがないくらいのダメ出しだった。

確かにそういったツッコミを入れているコメントもあったし、わからなくもない。でも私はあの手の人間ドラマは好きだし、特撮の迫力モノだと思っていた分、期待していなかったギャップにやられたのもある。

どうせ神木くんと浜辺美波が夫婦かカップルでしょう?美男美女でお似合い!と思っていたのが、違っていたのも良かった。

私はゴジラが主役だったらここまで評価が高くなかっただろうし、何となく見当をつけていた内容と、いろいろ裏切られた(いい意味で)ことが感動を呼ぶのだと思った。

本来はゴジラが主役であるべき、特攻隊は坊主であるべき、等々が真実であろうと、そんなツッコミをする一定数は置いておいていい。私のような無知で普段特撮モノを見ないタイプにはピンポイントで刺さったのだから。

どんな形でも感動した人のほうがお得な気がする。


『君たちはどう生きるか』でも、私はまったく意味がわからず、頭が「?」マークのまま映画館を出て、考察動画を視聴してやっと理解が追い付いたけど、一緒に観に行った母はおもしろかったと言っていた。

単純に絵的に楽しめたのと、声優が有名芸能人ばかりだったからだとか。


母にとっては物語の意味やメッセージより、目に映る印象やミーハー心が満たされることのほうが「おもしろい」のだ。


そう思うと、まず観てもらえる要素(考察しがいがあるとか、キャラクターが魅力的とか、声優が有名芸能人)が多ければ、どれかの網にかかる確率が上がる。 


『ゴジラマイナスワン』は、日本アカデミー賞を受賞している時点で、だいぶ観たい度が上がるし、魅力的な俳優人だし、とにかく評価が高かったことが一番背中を押した。


賛否両論の『否』の側は、視覚的には楽しんだのではないか?と推測する。

ドラマ以外でも、戦闘機好きにはきっとたまらないだろう。


老若男女いろんな人がそれぞれの角度で楽しめる、こんなにサービス精神のある映画をつくってくれてありがとう!と言いたい。




映画を通して女性のPMSを知ってもらう機会になっただけでも、この映画の価値はある。

しかも、これは映画という作りモノの世界だからみんな優しいんだと、『良かったねー、めでたし・めでたし』にしてはいけない。


私もPMSの鬱があり、更年期の症状もあるため、自分の体なのにコントロールできないというのがよくわかる。

ピルを飲んでいた時期もあれば、精神を安定させる薬も試したことがあるから余計に共感しかなかった。


ピルは確かにてきめんによく効いたけど、歳をとってからはリスクがあるから飲めなくなった。安定剤は主人公同様、眠気とダルさが尋常ではないので二度と飲まないことに。


だから、一見『普通』に見えても、内側では『普通』に過ごせないときが私にはある。


しかし今職場では、この作品のような年下の男性の同僚に訳を話して、無理ができないことをわかってもらえている。

夫にも、ホルモンの関係で不安定なときがあるから、家事ができないときもあると伝えたら早速洗い物を手伝ってもらえた。


『優しい世界』はこの『映画内世界』だけではない。

だからなんだなぁ、私はこの映画にさほど感動がなかった。


でも、この作品の存在価値や理由はある。

だって主人公はかつての『私』であり、病気ではなくても大切な人を突然失った悲しみから抜けられない人だって、『普通』に見せても『普通』じゃない人がいるってことを、考えさせてくれたから。


苦しみのまっただ中のときは、自分だけなんじゃないかとか、誰もわかってもらえないのでは……と思うけど、みんな何かしら抱えて『普通』をやっている。


そんな想像力をもらえた。

だから薬に頼れなくなったら、人に頼ることや、自分も(余裕あるときは)手を差しのべたい。

リアル『夜明けのすべて』❗



ただただ、「かわいい」「カッコいい」という、頬が自然に緩む映画って、ずっと観ていられる!

今までは、何かしら考えさせられるようなメッセージ性のある題材が好きだった。
でもそれに基づいているからといって、目を背けたくなるような描写(虐待やいじめなど)があるシーンをみるのに耐えられなくなってしまった。

というのも、最近特に眼精疲労が強くなってしまい、大好きな映画を月1で観るだけでも、その夜は頭痛が酷くなって、吐き気や目眩まですることも。
なので配信で観たほうがまだ楽だと感じる。

それでもやっぱり配信まで待ちきれなくて、映画館で観たい場合は、その後の体調不良を覚悟の上なので、観る映画は後悔ないよう、厳選する。

それでも観てみると、前評判ではわからないもので、残念ながらまったく刺さらず、ガッカリという場合も。
その後の体調不良は、ただただ辛く、映画の選択を間違えた……違うのにすれば良かった……と後悔もしながら「次こそは!」と、どんどん慎重に選択するようになる。

同じ体調不良でも、観て良かった!素晴らしい映画だった!という感動を味わえていたら、プラスマイナスでプラスのほうが多いのだ。

これが体調不良がまったくない若い頃なら、ちょっと興味があるくらいですぐ観に行って、幅広くいろいろなジャンルも観るかも。
でも時間的にも金銭的にも肉体的にも、精神的にも余裕がないと、観て損しない映画にしたいと思ってしまう。

これは文章でも同じで、私も読者の方に「読んで良かった!」と思ってもらいたい。読む労力も使うので無駄な時間を過ごさせたくないと思った。

『カラオケ行こ!』は、内容がわかった上でも、いや、だからこそもう一度観たい、あの気持ちを味わいたいと思える作品だった。
観ている時間が愛おしい。
私を“こんな気持ち”にさせてくれて、ありがとう!という映画だった。

去年の年末に観た『PERFECT DAYS』について、他の人はどう思ったのかな?ということが浮かんだ。

モヤモヤしていたので、大好きなYouTubeチャンネルのシネマサロンに、質問としてこんなコメントを送ってみた。


   * * *


『エンドロール後の、木漏れ日の説明についてはどのように思われましたか? 映画は映像で感じさせるもので、小説のように言葉を入れることについて、賛否別れても良さそうなのに、特に話題にも上がっていないので、気になったのは自分だけかもしれません。 私は目が疲れやすいので、エンドロールのときには目を閉じているのですが、終わったかな?と思ってふと目を開けたら、ちょうど木漏れ日についての言葉を目にして、危うく見逃すところでした。 

もしこの言葉を見逃していたら、作中の木漏れ日の意味については理解しないままだったかと思います。なので説明があって良かったのですが、本来は答えをもらうより、感じとるものなのかな……と。 

ご意見を伺いたいところでしたが、話に出なかったので、もし愚問でしたらお答えいただかなくても大丈夫ですよ』


  * * *



すると、案の定質問として取り上げることはありませんでしたが、3人の方からこのようなコメントをいただきました。


  * * *


『平山が「影が重なると濃くなるんだよ」と言うのは、日頃から木漏れ日を観察したり撮影したりするなかから得た確信で、それが彼の人間観、世界観を形作っているのだと思う。一人一人の存在がふれあい、重なりあうことで、それぞれの人生が濃く、深くなり、全体として美しい木漏れ日を形作っているんだよ。だから無駄なことなど何もないんだよと言いたいのでは。 光源が1つしかない場合でも、周囲のあらゆる物体や空中のホコリに光が反射するので、平山さんの見方は科学的に正しいかも』


  * * *



『「木漏れ日」という言葉は日本語にしかなく、一言で外国語に翻訳できない言葉だと聞いたことがあります。なので英語の文章で丁寧に説明するのと同時に、この映画の一つの種明かしを監督は最後にしたのだと思いました。日本とそこに住む日本人の感性への愛が伝わってきて感動しました』


  * * *


『なぜ平山が繰り返し樹の枝を下から撮るのか、意味がわかりませんでしたが「木漏れ日」を撮っていたんですね。最後のメッセージでやっとわかりました。人生は木漏れ日のように日向と日陰(幸不幸)が何度も訪れる。そして陰にも濃淡がある。 夜、照明の灯りで初老の男二人が影踏みして遊ぶシーンはこの映画の象徴だったのでしょう』



  * * *


皆さま、ありがとうございました!

何だか変なことにこだわって、素直に楽しめていなかった自分がいたことに気づきました。

2つ目のコメントの方の通りかもしれませんね。

じわじわくる映画でしたね。


私はつくづく想像力足りないのか、最後の平山さんの笑顔からの泣き顔の意味がわからず、それにもモヤモヤして、考察動画を観まくってしまいました。


自分で考える力を奪われますよね……汗うさぎ

でも、答えなんて本当はないのだから、自由な憶測で楽しめるようになりたいな。






この映画に出てくるフェチには共感できなくても、この手の人からは共感されない『欲』というか、好きなモノ・キライな(苦手な)モノが私にもある。


まず小さい子どもが苦手で、どう接したらいいかわからない。例えば動画や画像で、しかもものすごく顔がかわいい子限定であれば、観賞用には見ていられる。

だけど普通の造形の子どもや赤ちゃんに関して、「かわいい」とは思えない。


子どもが欲しいと思わなかったり、かわいいと思えない女性は少数派であり、LGBTQ並みにいやそれ以上に理解は得られない。

子どもがいないと言えば、「これから?」や「欲しいでしょ?寂しいでしょ?」なんて言われても返す言葉に困ってしまう。


好きなモノというか、好きなタイプの人は、昔から年の離れた男性だ。中学、高校の頃は、同級生や先輩の男子学生より、おじさん先生と話すことが好きだった。


大人になってからも実際に、29歳離れた男性、25歳離れた男性と付き合った経験がある。

これは、実の父親との関係がうまくいってなかったから、彼らに『理想の父』を求めていたのかもしれない。

それでも、恋愛の対象として親子ほどの年の差でも、私には違和感がなかった。


この映画を観て、そんな自分を肯定されたような気持ちになった。

でも別に認めてもらいたい訳ではない。


ただ同じような人もいる、共感はできなくても理解はできる、そう思った私のような人はきっといっぱいいるのではないかと、そう感じた。

そう感じさせただけでも、この作品が世に出た意味はものすごくある。




『almost people』という映画は、渋谷のユーロスペースでしか上映していないので、渋谷はゴミゴミしていて苦手だけど、母と二人で行った。


すると、小さな映画館だったので、エレベーターから降りた後も受付がわかりにくく、チケットを購入後にトイレに行くにも、トイレマークがオシャレ過ぎて小さくて見つけにくかった。


店員に訊くと、「あちらに表示が出ています」と手で案内されたが、私も母もメガネをかけていて目が悪い上に、母70代、私40代のおばあさん&オバサンだから、すぐわからなければ人に訊いてしまう年代。(人に寄るのでしょうけど)


ただでさえ初めての場所で、目と頭の回転が悪い年配者に、「いちいち訊かなくても見ればわかるでしょ」のような言い方をされて、気分が悪くなった。


エレベーターから出て来たときも、明らかに「どっちかな」と迷っているのだから、手を上げて「こちらへどうぞ」という一言案内があってもおかしくはない。受付にお客さんは誰もいないのに、見て見ぬふり。


私は、早速母に上記のことを言い、イラ立っていたら、母は「無愛想な店員だね」とは言っていたものの、それほど気にしている様子はなかった。


映画の内容は、喜怒哀楽のどれか一つが欠けている人のオムニバスだったが、母はもともと“怒り”の感情があまりない人だから、同じ出来事にあっても、私のように“怒り”を感じない。

映画は『もうすぐ人間』という意味だけど、“怒り”が欠けているほうが人間として生きやすいのではないか?


しかも、映画の解釈も私と母では違った。次男の話は、私は最後の次男の顔が「やっぱり“楽しい”って何だかわからない」という表情だったから、結局わかり合えず終わったんだと思った。

でも母は、最後のシーンで遠目からだが、次男の彼女が隣に来て終わったことで、「最後二人はうまくいったんじゃない?」と、描かれていない未来を想像して、ハッピーエンドとして受け取っていた。


母は以前見に行った『君たちはどう生きるか』も、「面白かった」と言っていた。私は正直よく理解できなかったから、楽しめなくて消化不良だった。

母はきっとすべて理解できていないものの、『絵』として楽しんだり、いろいろな俳優が声優をやっていたことなどで、物語としてじゃない部分を興味深く見ていたのではないかな?


渋谷のオシャレ系の小さな映画館では、若い人達または、映画好きでよく来ている常連さんばかりがお客さんだと、受付はすぐわかるし、トイレもいちいち訊かずに自力で探すのだろう。

私達みたいな高齢親子は場違いかもしれない。


私は自分がアウェイな場に行ったことと、自力で探さずにすぐ訊いてしまった自分のほうが悪かったと思った。

だから渋谷に行くことを避けるか、トイレは自力で探そうと思ったが、まったくそういったことを気にせず何も考えていない母がうらやましい。


母のほうが絶対得してる。

だけど、母のようになりたいとは思わない。

自然に感じてしまうものだから、なろうと思ってもなれないものだ。


次男の話のように、「私は楽しめない」と思っても、「私は楽しめる」という母が隣にいる。

わかり合えないから、別れるのではなく、わかり合えなくても『一緒にいる』のだ。

この瞬間にしかない景色


微妙に色を変えていく


目が離せないおねがい


早起きしないと会えない朝顔


仕事行く前にあわててパチリ🤳

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一冊目の私の著作をご紹介いたします!



“オンナ”という性 : 自分を知りたい女性&女性を知りたい男性へ




男女兼任から女性専門へと転向した機能回復セラピストが考察する、女性/男性の性。
恋愛・死・性行為の3つにまつわる疑似体験を赤裸々に綴ることで、施術が受けられない読者の心のClose contact(濃厚接触)として、読んで楽しめる“施術の疑似体験”を目指しました。
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