「新大久保駅ホーム転落事件」からちょうど10年だという。
そうか。
もう、そんなに経つんだね。
あの日、大学の友人からメールが来た。
『山手線、人身事故で止まっちゃって最悪!』と。
どうやら、友人が乗っていた電車の一本前の電車が新大久保駅で事故を起こしたようだった。
翌朝、妹と一緒に北区の十条駅まで行く用事があり、新宿駅から埼京線に乗った。
埼京線は新大久保駅を通過する。
通過する時、乗客のほとんどが新大久保駅のホームに目を向けた。
朝、何時くらいだったんだろう。
警察がたくさんいて、現場検証をしていた。
事故の翌日、グレイの空からは、しんしんと雪が降り積もった。
首都圏の鉄道ダイヤは、前日に引き続いて乱れた。
夕方、いつ来るのかわからない埼京線を待って、十条駅のホームで震えていたことを思い出す。
自宅近くのバス停で降りると、ズボッと足首より上まで雪にはまった。
ジーパンの裾がびちゃびちゃになった。
東京では数年ぶりの大雪となった。
だから、とても印象深かった。
事故は、酔っ払ってホームに落ちた乗客を、日本人カメラマンと韓国人留学生が助け出そうとしたが、間に合わずに3人とも亡くなってしまった、というもの。
事故後、さまざまなメディアで取り上げられ、賛否両論となった面もある。
韓国人留学生をモデルにした映画が制作され、日本政府も何千万も製作費を援助したらしいが、その内容は、事実とは大きくかけ離れたもの。
「日本人にさんざん冷たくされた韓国人留学生が、自分の命をかえりみずに日本人を助けようとした」
というような美談らしいが、日本人に冷たくされたエピソードの多くが、制作者側の創作であることが確認されているらしい。
それを、さも事実かのように物語に織り込んでいるので、映画を観た者はそれが真実だと思いこんでしまう。
そこに、何かおかしな狙いがあるように邪推してしまうのは、ネット上のさまざまな意見を見る限り、私だけではなさそうである。
さらに、その映画には、日本人カメラマンのことはほとんど触れられないままである。
マスコミも10年経った今でも「韓国人留学生ら」という扱いをする。
メインは韓国人留学生らしい。日本人カメラマンはどうでも良いのか?と疑問が残る。
この事故は、いつの間にか「日韓の架け橋に」という、問題のすり替えが行われてしまった。
韓国人留学生も、日韓の架け橋に~とかいう思いで飛び込んだわけではないだろうが、勝手に美談にされて、勝手に偏った映画が製作され、勝手に日韓の架け橋にされてしまったのだと思う。
何かがおかしい。何かが間違ってしまっている。
問題のすり替えが起こり、何だかおかしな方向に行ってしまっている。
ちなみに、吉田修一の小説『横道世之介』は、この新大久保の事故を連想させる。
というより、吉田修一が、この事故を受けて書いたものだということがわかる。
こちらの主人公は、日本人カメラマン。
もちろん、こちらは完全なフィクションで、事故で亡くなったカメラマンとは関係がないし、モデルにしたかどうかもわからない。
しかし、連想させる。たぶん、そうなんじゃないかな、いや、きっとそうだ、と思う。
でも、この話は、誰が読んでも「小説だな」と思うだろう。
映画と違って、特に美談にもしていないし、事故がメインではない。
事故の後、人々が勝手にあれこれ後付けのように何かをする。
それを完全に否定することは出来ないが、個人的には感心できない。
日韓の架け橋云々ではなく、人が人を助けようとしたのだ。
韓国人留学生と日本人カメラマンの勇気ある行動は素晴らしいと思う。
だけど、この事故を利用して問題のすり替えが行われていることが残念だと思う。
あれから10年。
もう10年か。