「全羅南道SNS記者団」の発足式&教育で木浦(モクポ)に行った時に、少しだけ観光をしました。

(これに関してはこちらのブログ記事をどうぞ⇒2016年03月04日(金) 「全羅南道SNS外国人記者団」として活動します)

 

木浦と言えば「セバルナクチ」とすぐに食べ物に走ってしまう私ですが、木浦は韓国の中でも日本と関係の深い地域のひとつです。

 

木浦は1897年に釜山、元山、仁川に続き4番目に開港され、同年10月26日に日本領事館が設置されたそうです。

 

この建物は1900年に完工して、日本領事館、木浦理事庁、木浦府庁舎に活用され、終戦後には木浦市庁、木浦市立図書館、木浦文化院と使用目的が変更され、現在は「近代歴史博物館」として木浦の近現代の歴史に関する展示を見ることができます。

 

1981年9月25日に国家史蹟第289号に指定されました。

 

木浦駅からは徒歩約15分。駅からは案内(板?)があるので地図がなくて大丈夫。

 

デザインも素敵ですキュン

 

 

木浦近代歴史館ⅠとⅡがあります。私が目指したのはⅠの方。

 

この案内が道沿いにあるんでこの方向に進めばOK!

 

案内通りに行くとありました!石碑の後ろに見える赤レンガの建物です。

 

 

 

この石碑は、ここが国道1・2号線の起点となっていることを表しています。

 

 

 

ここから北朝鮮の平壌北道新義州市まで939km、板門店まで498kmと書かれています。

 

 

 

道路元標案内文

1963年2月5日 綱領1191号 国道1・2号線 制定

原起点始発点になっている木浦に最初に設置された昔の敷地を捜して原点(東経126度22分52秒北緯34度47分01秒)をはっきりとさせ、広く伝えることで韓国の道路の根本を伝えようと国政ライオンス(協会)355・B2地区で南北統一と東西の平和の意志を(草で隠れて読めない!)しようと記念碑を建てることになった。

 

という内容です。

 

この標識を通り過ぎて坂を上ります。

 

 

 

階段の横には案内板が立っています。

 

 

内容には日本語がなかったので、翻訳してみました。

 

旧木浦日本領事館

1897年10月1日に木浦港が開港され、1897年10月26日には木浦日本領事館が設置された。この建物は日本領事館として使用するために1900年1月に着工し、同年12月に完成したものでルネサンス建築様式である。その後、韓日間の国際関係の変化により木浦理事庁、木浦府庁、木浦市庁、木浦市立図書館、木浦文化院などに使用された。

赤レンガを使用して建てられた左右対称の四角形の建物で中央にある玄関が前に飛び出ている。1階と2階の間の壁にはベルトを巻いているかのよう壁石が並べてあり、窓の左側と右側に白い壁石がしっかりと装飾されている。

室内の天井装飾、壁暖炉、鏡などは建築同時の姿がそのまま残っている。

この建物は木浦の開港とそれに関連した歴史的、建築学的な価値がとても高い近代建築物のうちのひとつで、1981年に国家史跡としてしてされ、管理されている。

 

案内板の横に建物に入る急な階段がありました。

 

 

 

「木浦近代歴史館」と書かれた立派な看板がついていました。

 

 

赤レンガで建てられた立派な建物です。

 

入場料は大人2,000ウォン。入り口を入って1階右側の部屋からが観覧順路です。

 

1階右側の部屋は「1.木浦鎮として出発する」「2.開港場として再出発する」というテーマで展示がされています。

 

 

 

朝鮮時代、木浦には水軍の陣営があり、朝鮮半島の南西海岸の海洋防御の陣地としての役割を果たしたそうです。

 

 

 

写真の説明↓

 

1.儒達山露積峰から見下ろした木浦の風景

2.木浦食料品市場から北橋小学校に行く道

3.照明工場

4.龍塘里に建てられた木浦綿作支場

5.1日1人1杯ずつ公的施設から給水されている状況

6.開港35周年記念式

7.上攀町

8.木浦綿花工場

9.1930年代の木浦駅

10.1927年6月28日新幹会創立大会記念写真

11.水源が枯渇して栄山江からダムの水を運搬して配給

12.綿花現物取引所

13.朝鮮綿花株式会社

14.栄町通

15.綿花採取

16.木浦食料市場

 

1897年に朝鮮第26代目の王(後に大韓帝国初代皇帝)である高宋の勅令により、木浦は釜山、郡山、仁川に続いて4番目に開港。しかし3港とは違い、自主的に開港したそうです。

 

開港に関する資料展示↓

 

 

 

ほとんどの資料は日本語の説明があるので写真を見るだけですぅーっと通り過ぎるだけではなく、詳しく内容を確かめることができます。

 

次は2階の展示室です。

 

 

階段を上って右側の部屋が次の順路。

 

 

「抵抗の最前線になる」というテーマの展示です。

 

右側の図は、1911年から1929年までに木浦から日本に運ばれた米の量を表したグラフです。

 

18年間で約9倍にも増えたことがこのグラフからわかります。

 

 

 

当時、日本にとって木浦は大切な食料元だったことがわかります。

 

 

写真左にある機械は綿花を織るもの。米だけではなく、多くの綿花も日本に運ばれたそうです。

 

この建物には当時使われていた暖炉が9つ残っているそうです。

 

 

1900年に設置されたものと推測されているそうです。

 

 

 

 

暖炉の他に当時使用されていたピアノや家具なども展示されていました。

(「4.外来文化が伝わる」というテーマの展示、2階左側の部屋(階段を上ってきて左側))

 

 

 

 

 

その隣には「大衆文化の時代」というテーマの展示物が並んでいました。

 

 

 

医療や郵便、教育に関する展示が中心でした。

 

 

↑日本語のパッケージの薬。絵を見ると時代を感じますね。

 

 

 

↑人力車の置物

 

 

 

 

↑日本語教育用の教科書

 

国を支配するためには普段使っている言葉を禁止して、支配国家の言葉を強制的に使わせる・・・すごいことを考えて実施したものです。

 

今のように自分の学びたい言葉を自由に学んで話すことのできる時代ではなかったことが何だか信じがたいです。

 

記念写真用の人力車が置いてありました。

 

1階の左側(入り口から見て)の展示室には「6.万歳運動、一緒に参加しよう」「7.近代都市建築特別展」というテーマの展示物があります。

 

開港後の木浦の町の様子が模型で作られていました。

 

 

 

 

開港後、活発に外国文化を受け入れてきた木浦には数多くの近代建築物が建てられたそうです。

 

東本願寺、湖南銀行、陽洞教会、日本領事館、日本人家屋など日本の町並みを見ることができたそうです。

 

展示はここまで。

 

私はあんまり博物館や美術館に行くのは好きではないのですが(特に美術館)、ここは来て良かったなぁ!と思いました。

 

旅行をする時にその都市の歴史や文化を知るには、その都市にある博物館に行くといろいろと新しい発見があるんだなぁと実感しました。

 

特に、日本と関連の深い都市なので当時の韓国から見た日本の姿を知ることができました。

 

木浦に行ったら必ず行くべき!と言ってもいいほど、私としては見ごたえある博物館でした。

 

興味のある方はぜひ行ってみてください!

 

 

木浦近代歴史博物館(목포근대역사관본관)

 

住所:全羅南道 木浦市 大義2街(전라남도 목포시 대의동2가)

観覧時間:9:00~18:00

入場料:2,000ウォン

アクセス:木浦駅から徒歩約15分

 

 

全羅南道情報

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2016年3月から全羅南道SNS外国人記者団として活動しています!

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