一般の人が般若心境を写経する意味は、全くありません。
いや、それ以上に一般の人が唱えごとをあげることほど危険な事は無いかもしれません。
唱えごとについて、たとえ話をするならば
一般の人に唱えごとをあげさせるということは
たとえば、身内の病魔を解消する為に相談に来た人に唱えごとをあげさせるという事は
すなはち
その病人の身体を目の前にし、目隠しをされた状態で、
一般の人に手術用のメスを持たせ、身体を切り刻ませるようなもの
見えない世界が全く見えないのに、全く分からないのに
唱えごとをあげさせ、切り刻んでいく
見える世界ならば、非常におぞましいものです。
これはたとえ話ですが
見えない世界のことを一般の人にさせ、神事をさせるなど
ある程度力を持っている人ならば絶対にさせない。
お墓の戒名を変えなさいとか、石の種類を変えなさいとか・・・
見えない世界の真実とはかけ離れている話です。
世界に目を向ければ、それが間違っているであろうことは容易に想像できるはずです。
さて、ご質問いただいている「般若心経の写経の意義」ですが
字は、確かに上手くなるかもしれませんね。
しかし、上記のたとえ話よりも実は危険なのです。
それは、般若心経の歴史や効果やその結果があらわしています。
もれなく、心臓を病み、身体を病むでしょうね。
般若心経とは、力がある者が唱え、コントロールしていたからこそ効果があったのですが
その者は、後世へ伝える際に、間違いを起こしたのです。
それは、その唱えごと自体に力があるのだと思い、形式や作法だけを伝えてしまったことです。
見えない世界の真実とは、残念ながらメディアに流されやすくなってしまった。
多くの日本人にとっては受け入れがたい事なのかもしれません。
シックスセンス管理人
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