二束の草鞋 | 見えない世界の真実が此処に®

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霊能力を生業としている方や、一般の方、霊媒体質の方のためのブログです。

お経や祝詞には力は無い・・・


何度も書いている事かもしれません。


お経をあげ、数珠を振り回し、袈裟を着て、儀式を行なう。


お葬式に行く度に思う事ですが


それらに何の意味があるのか。



力のある?お坊さんは



霊症や霊障で困っている人が相談に来ると


私もかつてはそうでしたが、耳鳴りが酷く相談に行くと


「浮かばれない霊体がさまよっている。それがあなたに災いを及ぼしている」


と言われる。


私は思いました。


「浮かばれない霊体といっても・・・あなたの家系のお坊さんに私の実の祖父も曽祖父も、供養して頂いてきているし、あなたのお寺の改築を行なった際には、私の伯父や父が50万ずつ寄付しており、名前も載っているのです。十分に徳を積んでいるはず・・・・」


「供養して頂いているはずですが、それでも駄目なのか・・・」と、中学生の私は思う。


祖母が無くなってしばらくしてから、先祖供養という事で大きな墓を建て、そういえば大祭も行ってもらった。


新築の家を両親が建てる時もそのお坊さんにお願いし地鎮祭をした。


しかし、私の耳鳴りやめまいが酷くなったのは、その後だった。


相談に行くと、


「浮かばれない霊体がさまよっている・・・。」


「おいおい・・・」 子供ながらに思った。


あれは全く意味が無かった・・・。


お経や祝詞には、金縛りを防いだり、わけのわからない心霊現象を押さえ込む力があるはずですよね?


なのに、浮かばれない霊体です。


毎月、月命日には、お坊さんがやってきてお経をあげているのに、浮かばれない霊体です。


今年亡くなった祖父は、一生懸命に、祈祷を行なっていたけれども、結局成仏させてあげたのは、私達だった。


日本人の考えでは、功徳を積めば成仏できるのではないのか。


お経に力があるのか。


やはり無いのです。


ドンドンドンドン


コンコンコンコン


音を鳴らし、お経をあげ、形式を重視する。


全く、力など無い。


日本人は、形式や作法を重視するけれども、結果はあいまいになっている。


お寺の住職さんも代替わりし、息子さんが継いだ。


息子さんは二束の草鞋。


お医者さんであり、お坊さんでもある。


ゆりかごから墓場まで、安心できるのか・・・。



お経を上げ霊体を供養をするという能力者さんに質問したい。


日本人である以上、誰しもが亡くなると何かしらのお経をあげてもらっているはず。


それなのに、浮遊霊と呼ばれるお化けが、なぜ生きている人間に悪影響を及ぼすのはなぜか。


お経をあげれば、成仏するというのが元々の考え方ではないのか。


それとも供養するというあなたが使うお経だけには力があるのか。


お札だって、霊符だって、どこの日本の家にも張ってあるはず。


しかしそれらのお札や霊符には効果が無いという事でしょうか。


あなたのだけには効果があるのでしょうか。


という事は、ほかのお経や祝詞やお札を否定しているという事ですよね。


なのに、なぜ、あなたはお経をあげるのか。


呪術をかけるのか。念がけをするのか。


本当に力があればそんな行為は必要ないのではないか。



私の実家のお寺の住職さんは代替わりした。

息子さんは二束の草鞋。

お医者さんが本職だそうだ。



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