REPORT - 0313│志津北尋常小学校青菅分教場
千葉県│志津北尋常小学校青菅分教場
滅びの美学 [ 廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道 ] 探索 - 志津北尋常小学校青菅分教場(志津北尋常小学校第二分校/青菅分教場)
千葉県には廃校が少ない、もう本当に少ない。しかもその殆どが房総半島の中腹部の山間で訪問するにしても中々気軽にって訳にもいかない。しかし在るトコには在るんです、しかも市街地からとっても近くてしかも意外と知られていない廃校が。
今回は千葉県でも北西部で市街地が広がる佐倉市の廃校にお邪魔した、また比較的近い地区である八千代市にも廃校が残る。
さて。
この廃校、志津北尋常小学校青菅分教場とはどんな学校だったのか。
この地域で運営されている「佐倉市民ハイキングクラブ」に菅分教場を紹介するページが在る、簡略的に説明されていて解り易いので引用したい。
明治36年志津北尋常小学校の青菅分教場が、現分校跡の西方に設立され、青菅・先崎の児童が通学した。昭和20年後半から志津地区(現ユーカリが丘を含む)の人口増加に伴い、昭和30年に志津村立志津小学校の第二分校として校舎を新築(写真)された。昭和36年第一分校が上志津小学校として独立する時、第二分校は、「佐倉市立志津小学校青菅分校」と改称され、昭和52年3月に廃校になりました。廃校から30年近くなりますが、地域の方々のお陰で廃校時の原型を保っています。
※ 内部へは入れません
訪問は夕方と成ったのだけどそれがまあ都合良く写真栄えする時間帯だった、春先には見事な桜が見れるとの事で再度訪れたいと思っている。
木造校舎内部はこんな感じ、最近訪問した房総の尋常小学校分教場と良く似ている。
廊下は薄暗く、しかし小さな夕日の光が指していた。
志津北尋常小学校青菅分教場
1903年 志津北尋常小学校青菅分教場としてとして設立
1947年 志津小学校第2分校と改称
1955年 同年12月に現存校舎落成
1961年 青菅分校と改称
1977年 同年3月に廃校
その後廃校当時の原型を保って地区の集会場として使用されてきましたが老朽化の為、旧校舎の脇に新しい集会場「青菅会館」を建設。
現在は全ての役目を終えて地元住民、卒業生などが中心と成って保存がされている。見事な桜の木が毎年オンシーズンに成ると見事な花を咲かせている。
個人的心情から地図リンクは不掲載です。
アプローチ
秘境及び危険物件は自然保護と建造物保護、安全確保の為に不掲載としています、申し訳御座いません。
地図リンク
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