最近のニュースを見ていて、ふと、思った。
今回の京都の痛ましい事件で、人が亡くなったが、事故の原因ももちろん、更に後から起こった、遺族の連絡先の漏洩も、少し、想像すれば、どうなるか、わかった事ではないのか?
もっと、遡れば、無免運転は、オレ自身、やっていたから、偉そうな事は言えないが、自分が、今、どんな状態か、車を貸した友達も、相手がどういう状態か見ていて、このままだと何が起こるか、ちょっと想像すれば、わかった事ではないのだろうか?
個人情報を、漏らした教頭も、親戚とはいえ、漏らした後に、その人が、どういう行動をするか、それにより、遺族や怪我をした方、家族がどう思うか、少し、想像したら、わかるのでは、ないだろうか?
その教頭を、その位置に据えた、校長も、そういう方は、その位置になる前から、そういう、軽率な部分が、あったはずなので、それを、少し、想像できてたら、教頭にしなかったのでは、ないだろうか?
今回の事故以外にも、想像力が働いていれば、防げた事が、かなりある。

昔から、想像力がある人とない人はいたが、最近は、それが、想像力がある人が、如何に少ないかが顕著になっているような気がする。

親が、面倒をみれないから、危険とかを理由に、子供達に、外遊びをさせなくなった事により、自分自身で、転んだり、傷ついたり、相手を、傷つける事により、身をもって知る、一番、大切な時期を、通過してしまう。
親も、想像力がないから、子供に想像の大切さを教える事ができない。

この、想像力がない子供達が、今、既に、日本の企業に入ってきている。
想像がないから、仕事も、指示待ちしかできない。
想像がないから、コミュニケーションも、取れない。想像なくして、企業の開発も、発展もないという事は、将来は?
あなたも、想像してみてくださいね