① 明治維新から、今日の現政権までに課せられた秘密指令
~日本国解体と日本民族絶滅!?






以下の記事を読めば、日本の今置かれている立場が真に理解出来る。
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以下 ↓

天皇の戦争責任を暴いたバーガミニをアメリカが抹殺した理由は?

 デビッド・バーガミニ(David Bergamini 1928~1983)は、
アメリカでベストセラーになった1971年の著書『天皇の陰謀』の
日本語版序文(ただし1983年発行の新書版のみ)で、
「私はこの著作のせいで文筆活動を絶たれることになった」と書いている。
この序文は、非常に重要だが、誰も指摘していない。

バーガミニを抹殺するために、200~500万ドルの賄賂・監視料が使われた。
日本政府から出た資金ではない。エドウィン・ライシャワー駐日大使
(妻は松方正義の孫・松方ハル)を中心とする米国エリート勢力だった。
また、アメリカの主だった学者は、揃ってバーガミニをインチキ扱いしている
(日本研究の権威だったライシャワーの影響力によるものだろう)。

 バーガミニ本人は、昭和天皇・裕仁の戦争責任を暴いたつもりだった。
したがって、日本から非難を受けることは想定していたが、
祖国アメリカから称賛はされても、まさか攻撃を受けるとは思っていなかった。
その結果、バーガミニは、愛国心を喪失したと書いている。
どうして天皇のことを暴くと、アメリカ国内の勢力から攻撃を受けるのか? 
それは、裕仁がイルミナティの養成したロボットであり、
ザビエル以来の日本破壊の計画を完成する重要な役割を担っていたからである。
裕仁は「平和を愛したが軍部に押し切られた無力な天皇」でなければならなかった。
 二・二六の決起趣意書の真意は理解されているのか?

 川島義之(陸軍大将)が裕仁の前で読み上げた二・二六の決起趣意書
(北一輝が手を入れたという)をバーガミニは「外政上の紛争から手を引き、
内政改革と日本の伝統保持に傾けるよう天皇に求めたもの」と評価している。
これは妥当な解釈である。農村は困窮していた。
本庄侍従武官長、陸軍中枢部も決起将校たちに同調的だった。
日本の書籍やマスコミで一般的に理解されているものとは乖離がある。

 今でも、官僚、政治家、企業が悪いと言われているが、
基本的にはそれと同じ趣旨で、庶民の観点に立っている。
決起将校たちは、天皇が庶民の味方だという根本的な勘違いしていた。
庶民の味方であるわけがない裕仁は、徹底鎮圧を指示した。
木戸幸一(長州藩の木戸孝允=桂小五郎が大叔父)も徹底鎮圧を勧めた。


 396年計画 1549.8.15-1945.8.15

 こうして一般民衆を敵視し、権力者に操縦されるだけの天皇ロボットの
歴史は、ザビエル来日の昔にまで遡る。ザビエルは、1549年8月15日
(カトリックの聖母被昇天の祝日)に、現在の鹿児島市祇園之洲町に来着した。

 日本を訪問したザビエルは、
「日本人は危険な存在である、最後の一人まで抹殺しなければならない」
とイエズス会の本部に報告した。鎖国を経て、ペリーがやってきて、
孝明天皇が暗殺されて以来、日本は麻痺状態。
それ以降の天皇・日本政府はイルミナティの檻の中の実験動物のようなもの。

 イルミナティは薩摩藩、長州藩に浸透した。
西郷隆盛はイルミナティの傀儡になることを拒否したため、
西南戦争で抹殺された。
孝明天皇の暗殺、明治天皇のすり替えを経て、大正天皇の頃には、
イルミナティの宮中浸透は完成していた。
大正天皇も昭和天皇も、そうした環境で育ち、
日本をイギリスやアメリカのような国家にすることを夢見ていた。

 明治天皇は薩長の傀儡だった。間接的にはイルミナティの傀儡とも
言えるが、それでも、少年時代は日本人として育っていたため、
簡単には染まらなかった。
西郷を殺すことにも本心では反対していた。
それで死後に西郷の名誉回復もしている。
日清戦争にも反対していたが、明治天皇の意志に反して、行われた。
だから、明治天皇を単なるイルミナティの傀儡、国賊と言うべきではない。

 大正天皇の不発クーデタ。大正天皇は精神を病んでいたといわれるが、
西園寺は自分が仕えた4代(孝明~昭和)の中で最も知性に優れていた
と語っている。
大正天皇はナポレオン、アレクサンダー大王を理想として
日本を改造したかった。
議会は廃止して天皇独裁にしたいと思っていた。
日露戦争で莫大な外債を抱えていた。議会が予算を承認しないと困る。
陸軍・海軍を増強して「帝国」にしたいのに障害になる。
その天皇の考えに山県有朋は衝突した。

 裕仁は大正天皇が不発に終わったクーデタを実行しようとした。
立花隆の『天皇と東大』によると、上杉憲法学は議会の撲滅を主張していた。
議会を大政翼賛会とし、日本を破壊するための軍国主義体制を整えるように
「宮中」から指示をしていたのが裕仁である。

日本を戦争に導くため、戦争反対派(皇道派)を一掃する「きっかけ」
として利用されたのが二・二六事件だった。

 イルミナティが日本を完全に抹殺するためには、
自滅の軍事力を築く必要があった。
そうしてイルミナティの軍隊で占領する必要があった。
遠くイギリスから軍隊を派遣することはできない。
ではどうやって抹殺したのか? 
エージェントを養成し、西洋のような国を目指すように仕向け、
大きな軍隊を作り、戦争を起こさせて、自滅させるのだ。

良識ある官僚、政治家、軍人ならば、そんなことは反対する。
英米、中国、ソ連と世界のすべてを敵にするような戦争をするわけがない。
その反対を押し切るためのエージェントが天皇だった。
英米の言いなりになるアホをトップに据える必要があった。
その仕掛けが、絶対的天皇主義。
それが完成したのが二・二六の後。

二・二六事件までは陸軍の圧倒的多数は中国大陸での戦争に反対していた。
中国に100万の軍隊を展開しながら、太平洋でアメリカと戦うのは、
自滅の戦争であることが子供でもわかる状態だった。
だが、それに反対するのは、天皇が許さない。
そういった仕組みが二・二六で完成した。

②に続く