メルマガ第5号 『10年後のあなたの笑顔が見たい』






あるサイトからツイッター部分のみ拝借しました。


チェルノブイリから800キロ離れたウイーンで、
4年経ち、五年経ち、子供病棟のベットが足りなく
なるほどの白血病患者が増加していった。
その恐ろしさを知っているからこそ、
欧州は福島原発事故に大きく反応した。
前例があるのにも関わらず学ばない日本人。
前例があるのにも関わらず ...


今までそんな事なかったのに、咳が止まらない方。
風邪は治ったのに咳だけ続いてる方。
咳と鼻血は被曝のよく知られた症状です。
医者は「風邪が長引いてますね」とか
「ホコリに過敏になってるのかも」と言うでしょう。
「色々なストレスが複合的に重なって」
とか言う医者は被曝と気づいてて言わないのです。


放射能の被害は色々な体の場所に被害が出る。
特に心臓と脳だ。免疫の考え方が間違っている。
免疫のある者は症状が出て苦しむ。
免疫がない者は症状は出ずに進行し、ある日突然死ぬ。
今は免疫のない者がほとんどだから、
症状は出なくて突然死が増えているんだ。


多くの人々は、取り返しのつかない悲劇が起こってからしか
その悲劇に気がつかないし、気付こうともしない。
それが、原発事故の本当の恐ろしさ。
何ともやるせない。


『2年目位までは何も起きなくてみんな安心してた』って
キエフのお友達は教えてくれたよ!
みんな分かりやすい健康被害が出てからじゃないと
避難出来ないんだね!


チェルノブイリ原発事故後、
1~5年で現れた子供達の症状のグラフ。
一位が極度の疲労。二位が衰弱。
若いはずの子供が極端に疲れたり弱ったりって?


白血病はまだでない。
3年以降で、白血病はピークが5年、がんが7年だった。
これは必ずピークは出る。医師は知っておいた方がいい。
被災者のみんなが放射能障害を心配している中で、
「心配しなくていいよ」という医者では通用しなくなる。
肥田医師


広島の場合、およそ3年後に体が疲れやすくなる
原因不明の『ブラブラ病』患者が出始めました。
白血病の患者も3年ほど経ってから確認され、
7~8年後にがん患者が目立ち始めました。
『内部被曝』は少量の放射性物質でも影響が出る。
ここが恐ろしいところです。
肥田医師


チェルノブイリ事故で当初3年間、放射能のことを
気にして生活していた人は1000人に1人だと言われています。
しかし、3年後、爆発的に被曝症状が出てから、
多くの人たちが放射能に気を付け始めたのです。
遅すぎました。


福島県は予想通り(バンダジェフスキーの指摘どおり)
心疾患で日本一になった。
しかし本番はこれから、2016年には白血病が日本一になり
2018年には平均寿命日本最低となり、県民の数割が
心不全・ガン白血病で死んでしまうはずだ。
その頃には人の住まない荒廃した光景に変わっているだろう。


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管理人

2014年、私は、半年ほど東京の八王子に住んでいました。
ブログでも記事にしていましたから、
その間の事情は、ご存知の方もおられると思います。
今にして思えば、その事にも、何かの大きな意味があったと、
最近になって思えるようになりました。

八王子にいる間、私の知人や周囲の人で、放射能のことを
気にしながら生活している人は、ほとんど見かけませんでした。
また、気にしてばかりいると、とてもじゃないけど・・・
生活なんかしていけない。
それは、この私自身も経験したことです。
だから、潜在意識の中で、忘れることを選ぶのです。

私が、八王子で生活したことがなければ、こういった
精神的部分には、本当の意味では気づかなかったかもしれません。
ごくありふれた何でも無いことのようですが、
これは、ものすごく重要な部分です。

何故、大変重要であるかと言いますと、
これから先の未来の10年後~20年後~30年後といった
長いスパンであらゆる事を考える時に、深層を知らずに
上っ面だけを理解して、語りが軽くなってしまうからです。
これは、被災地におられる皆さんに、直ぐに、見抜かれてしまいます。
それでは、多分、駄目だと思うのです。

あなたはあなた~私は私よ・・・
こういった相通じない心の世界になってしまいますと
本当に伝えたいことが伝わらなくなってしまいます。
単なる聞こえのいいだけの綺麗ごとでは誰も聞かなくなるでしょう。

私は、ここ最近の記事の中において、被爆対策を中心に
記事にしてきました。
当面は、それで私もいいと思っています。
しかし、この先の将来のことを考えますと、もっともっと
知識と質的レベルを大幅にアップする必要性を痛感しています。
より確実に、イザという時に役立てる為です。
その為に、やらなければならないことは何でもやるつもりです。

私は今、3年後、5年後、7年後のことを考えています。
ここ最近、たくさんの方からお電話をいただくようになりました。
移住のご相談、健康不安のご相談、様々なお悩み・・・

恐らく、これからの数年間で、そういったご相談やお問い合わせは
かなり増えて来るのではないかと予想しています。
かなりハイレベルな被爆対策をしておられる方でも、
5年やそこらは大丈夫でも、もっと先において大丈夫なのかと
訪ねられたら、私は言葉に窮します。
まして、被爆対策をあまりしておられない人は、どうなって
しまうのかといった不安が頭から離れません。

それだけではありません。
そういった難しい見通しの中、その上、経済状況がかなり
悪化する可能性が非常に高いです。
経済テロが起こされるのは先ず、間違いありません。
更なる苦難が待ち受けていると考えられるのです。
これは、内部被爆をしておられる方々に、追い討ちを
かけるが如きに、打撃を加えることと思います。

被災地で生活していて、もし、被爆症状らしきものを
発症しても、被爆とは関係ないと思うようになるはずです。
何故なら、・・・というよりも、
自分自身を正当化出来なくなってしまうからです。
精神的自己防衛本能が働くのではないでしょうか。

そんな時、私のこの記事を是非、思い出して下さい。
そして、電話なりメールなりで私に知らせて下さい。
精一杯、対応させていただくつもりです。

私の家では、既に、首都圏の方、お二人を下宿先として
受け入れました。
向こう5年の間に、もっと増えると予想しています。
その時に、どうするかを考えています。

無論、被災地の方だけではありません。
他の地域の方でも、ガンや病魔、或いは、経済的苦境に
立たされたり、その他、様々なご事情により、
大変困難な情況の方々が出て来ることが考えられます。
こんなご時世ですから・・・

駆け込み寺みたいなものを考えています。
私の家だけではどうしようもありませんから。
これは、絵空事で言っているのではありません。
かなり、現実性を伴うプランです。

私の家の近くでさえ、鉄筋の大きな家の空き家がありますし、
探せば、他にも、幾らでも出て来ることが分かっています。
一番良いのは、どこかの空き地に、仮設住宅のようなものを
安い予算で建てるのがいいことは分かっていますが、
予算的にかなり厳しいですから。

しかし、どうしても必要となったら、どんなことをしても
建設に乗り出すかもしれません。
市と相談したり、会社回りをして資金カンパを募ることも
視野に入れています。
最悪、場合によっては、何年か後に、ブログ紙上で
カンパをお願いすることも厭いません。

そもそも、大きな組織や民間のNPO法人や犬ネコの保護団体と
いったところで、怪しげな寄付やカンパを集めているところが
大変多いです。
無論、一部には本当に素晴らしい活動をされているところが
あるのは承知しています。

ただ、そういった不審の目を向けられるのを承知で
実行に移す覚悟も決めています。
大きな空き家だけで、事足りるとは思えないのです。
向こう7年くらいの間に、果たして、数十人くらいの
規模で収まるかどうかといったところです。

広島は、気候が温暖で大変住みやすいところです。
駆け込み寺さえ確保出来れば・・・
食費はかなり安上がりで生活出来るはずです。
お米は買うしかありませんが、近所の農家さんと仲良く
なれば、野菜はかなり安く買うことが出来る環境にあります。
魚は、私の近くの海岸で幾らでも釣れます。

お風呂に入れる駆け込み寺さえあれば、
最低限のお金で生活していけます。
近くには、岩盤浴、酵素風呂、サウナなどがあり、
被爆で痛めたお身体をメンテナンスする環境も揃っています。

何よりも、私のところには被爆対策やガンの為の
最新情報が揃っています。
それが、大きな拠り所になっています。

今、経済的に安定しておられる方も、このご時世です。
この先、どうなるか分かりません。
どうにもならなくなったら、みんなで助け合って
生きていきましょう。

更に、大事なことを書いておきます。
もし万一、明らかな被爆症状が出て来たら、そして、
最悪、もしガンになってしまったら・・・
被災地に居続けた場合、残念ながら治る可能性は低いです。
そのような場合には、直ぐに、私にご連絡下さい。
出来得るなら、最低限の旅費だけは、確保しておいて下さい。

皆さんに、メルマガを購読していただいたことに
深く感謝致しております。

私は、その返信の中で、以下のように綴りました。


綺麗事なんて要りません。
はいつくばってでも・・・
何とか、より多くの人々とつながっていきながら、
どんなことをしてでも、皆で生き抜くことが一番大切なことだと考えます。
つながりは、より大きな生き抜いていけるパワーを生み出すはずなのです。

共に学びながら・・・
そして、共に生きていきましょう。
私は、皆さんと共に生きて行くことを選んだ人間です。


今からやろうとしている事は・・・
つまり、そういう事なんです。

ゆくゆくは、休耕地をお借りして、野菜も栽培したいです。
もしかすると、一つのコミュニティとして発展するかもしれません。
本当の指導者は、その中から、自然発生的に生まれるでしょう。
私は、単なる世話人でしかありません。


私の願いはたった一つ。

~10年後のあなたの笑顔が見たい~