広島・長崎原爆投下のどちらにも
「命のサイレン」が鳴らなかったのは一体何故!?







広島 鳴らなかった警報 。 。 。 投稿者 HIKARI20121025


エノラ・ゲイ元搭乗員のヴァン・カ-ク氏は、
動画の08:22分より重要証言をしています。 

08:22分より
『我々は旋回することもUタ-ンする事も無かった』← ウソ

09:33より
『物事には諸説ある。一部は事実だし真実でない情報も紛れ込んでいる』
-つまり、自分がウソを話していることを暗に示唆しています。 





『原爆機反転す ─ ヒロシマは大量殺戮の実験室だった』
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex03



●若木氏は次のように述べている。

「爆撃を行なった当のアメリカの権威ある数多くの著書のどれにも、
エノラ・ゲイ号が日本に近づいてから、どんな航路を取り、
またどこでどのように進路を変えたかの具体的な記述をしたものは一冊もない。

これは実に異様なことである。

その異様さの第一は、日本の海軍も陸軍もNHKの放送も、豊後水道および
国東半島を北上した大型3機が広島上空に来襲し旋回したので警戒警報が出さ
れたといっているのに、アメリカのどの文献にもその3機のことについての
記載が全く出てこないことだ。またアメリカの文献では一様に気象観測機の
ストレート・フラッシュ号が広島を襲ったので7時9分に警報が出されたと
書いている。日本のどの記録にも、ストレート・フラッシュ号のことなどは
問題にしていない。問題にしているのはアメリカ人だけである。

第二は、広島が被爆したときに空襲警報も警戒警報も発令されていなかった
ことは明白な事実なのに、アメリカの代表的な著名文献の全てが、被爆時、
警報は発令されていたと、例外なく書いているのである。

この明白な2つのウソをなぜ揃いもそろって書かなければならなかったのだろうか。
それは、この2点こそが、アメリカ空軍の作戦を立てた人が、
日本人に、いや世界の人に最も知られたくない問題点であったからではないかと
私は思うのだ。」



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●そして若木氏は自著の中で数々の「傍証」をあげながら、次のように述べている。

「私は自分の得た情報に基づき、エノラ・ゲイ号らは、いったん広島上空を
西から東に飛び、ついで方向を東から西に変え、いわゆる『反転爆撃』をした
のではないかと推測している。

爆撃機(3機のB29)が広島上空を旋回し警戒警報を出させ、播磨灘に抜けた
のは7時25分であり、警報解除になったのが7時31分である。 〈中略〉

……すなわち、私は爆撃機がいったん広島上空を飛んで警戒警報を出させ、
ついで飛び去り、警報が解除になり人々が防空壕から出て、リラックスした
その瞬間を狙って爆弾を炸裂させた、謀略的に人間の大量殺戮実験を行なった
のではないかという懸念を抱いているのだ。 〈中略〉

広島爆撃の2ヶ月前の名古屋空襲でも、警報解除後を見計らっての爆撃という
同じことが行なわれ、恐るべき人員殺傷効果を上げた事実がある。警報発令、
次いで解除された状態で、アメリカ空軍が爆撃して大きな殺傷効果を上げたこと
は、すでにヨーロッパで実験済みである。」

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管理人



2011年08月06日
原爆投下を日本陸軍は知っていたーNHKスペシャル(8月6日)

http://blog.livedoor.jp/sho923utg/archives/51655291.html
このNHKスペシャルには、↑ 幾つものウソが紛れ込んでいます。 

これによると、
日本軍は、確実に原爆投下の情報を掴んでいたとあります。
にも関わらず、
広島にも長崎においても空襲警報は発令されなかった。
この二箇所の原爆投下の際に、どちらもサイレンが鳴らされ
なかったのは、偶然である訳が無い。

一体何故なのか?

米軍爆撃機が、一度通り過ぎ去って、関西方面に向ったとしても、
引き返して瀬戸内海上空を飛んでいたなら、当然、レ-ダ-で探知
出来たはずであり、再度広島に向えば再び空襲警報が発令されたはずである。
色々、事情がこじつけのように述べられているが、意図的なものを感じます。






原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報 投稿者 gataro-clone

http://ameblo.jp/nastukawa-shakespeare/entry-10987424494.html
~ 一部引用

8月6日、
広島では、空襲を警戒していた。
なぜなら、
未明に、西宮(兵庫県)・今治(愛媛県)・宇部(山口県)と、
空襲を受けていたからである。

これらに関しては、
参謀本部が、「陸軍特種情報部」からの情報をもとに、空襲警報を出していた。
そのため、
広島城内に設置されていた軍部では、
「次は広島では?」と、徹夜で警戒していたのである。
そんな折、
午前7時頃に、豊後水道方面から、B29が1機飛んできた。
しかし、これは、「気象偵察機」であることを、日本側も把握していた。

ところが、その偵察機の後に
「陸軍特種情報部」がマークしていた「特殊任務機」が向かっていることを
参謀本部は、広島の軍部に知らせていなかった。
そんなことを知らない広島の軍部の中には、
徹夜明けなので食事に帰宅する者までいた。

そして・・・、
8時15分、広島上空で、原子爆弾がさく裂した。


----------------------------- 引用終わり 




管理人 

「気象偵察機」ストレート・フラッシュ号の話は日米合作の
捏造された作り話だと思われます。
米国での原爆投下の際、空襲警報は発令されていたといった報道と
合わせて大嘘のオンパレ-ドです。

米国は、大量殺戮の公開実験を姑息な手段で行った陰湿極まる真相を
隠蔽し、それにも関わらず、原爆がすさまじい威力を発揮したと、世界に
向けて大宣伝する大きな戦略目的があったものと考えられます。

この話も日米合作なら、効果的な原爆投下を行う為に、この世紀に残る
ジェノサイトをつつがなく投下される為に、空襲警報や、日本空軍機に
よる迎撃といった一切の邪魔になるものを排除して敢行された
日米合動による日本人大量殺戮であった可能性が極めて濃厚になりました。



http://ameblo.jp/64152966/entry-11381737853.html
~ 一部引用します


天皇家は、イルミナティ300人委員会の重要メンバ-です。
だからこそ、戦犯として裁かれなかったのです。
天皇家は、何兆円という財産を何故、蓄財出来たのか?
イルミナティとの合作の戦争ビジネスと人身売買ビジネス。
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-686.html


無論、原爆が投下されるのも知っていましたし、
その実験に協力する為に、
八月三日から連日、義勇隊三万人、学徒隊一万五〇〇〇人を
出動させよと命じました。 
そして、終戦に反対していた第二総軍の全員は、八時ごろに
広島の投下地点付近の基地に集められたのです。
ほとんど、全員が即死だったようです。

しかし、協力した事によって、天皇の命と天皇制存続は守られ、
蓄財した莫大な財産は没収されずに済んだのでした。
731細菌戦部隊は秘密にされ、これも一切の罪に問われませんでした。
     ↓ 
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/243.html
 



昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」  





一部に、日本が満州において極秘裏に原爆製造に成功して、
それが、ドイツのUボ-トを経由して、アメリカの手に渡ったとか、
原爆投下したのは、エノラ・ゲイではなかったというトンデモ情報は、
日本人の反米感情を抑える為のプロパガンダだと思います。
無論、裏でやっているのは、カルト宗教CIAの謀略部隊でしょう。
 




http://ameblo.jp/nastukawa-shakespeare/entry-10987424494.html
日本の降伏が決定的となった8月11日、
「陸軍特種情報部」は、すべての「証拠隠滅」を指示された。
「書類は焼けたら、灰を粉にせよ!」と。
指示された人は、終戦日まで、資料を燃やし続けたという。



体を張ってでも、B29を落とそうとしたパイロットは、 
終戦66年目にして、初めて、
「軍が、5時間も前に原子爆弾を積んだB29が来ることを把握していた」
という事実を知らされた。

彼は言う。

「それが、日本の姿ですかね。
 また起きるんじゃないですか?
 そんなことを許していたら・・・。」




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