【感謝御礼】ブログ開設3周年~出会いと別れ


            wantonのブログ


ブログ開設して、ちょうど3年目が過ぎました。

何とか、ここまでやって来れたのは、皆様のおかげです。

ブログ仲間の皆様に、心より感謝申し上げます ヒマワリ 。



2009年の第一号の記事です。


愛犬 ラッキ-の思い出   2009-10-24

わんわん

ブログって一体何やって感じで始めたのがきっかけでした。

当時、そのブログっていう言葉が妙に頭にこびりついて

しまった事件があったのを記憶しています。


「今日も火事」 メラメラ って記事をたびたび記事にして人気があった

可愛い女の子のブログでしたが、携帯で火事の様子を撮影し、

自分の顔 ニコニコ もアップにして記事にしていたようですが、

どうやら、自分であちこちに火を点けていたようです ガーン 。


どうもおかしいという事になって、とうとう、現場を押さえられたのか、

警察に捕まってしまいました。

その女の子曰く、「刑務所で大事な青春を過ごしたく無い」って

泣いていたそうで、彼女のお父さんは、「出来る事なら代わってやりたい」

と、子供可愛さで悲嘆に暮れていたとテレビで報じていました。

多分、女子校生だったと記憶しているのですが、違ったかな。


何とも、勝手な人達ではありますが、妙に憎めない感じがしました。

火を点けられた人の身にもなって見ろって話なんですけどね。

今、どうしているのでしょう、まだ22~24歳だと思いますが・・・


まあ、私をブログに導いた一つの事件だったという訳です。

しかし、開設当初は、記事も簡単なものでして、今見ますと、

何やら感慨深いものがあります。




この3年間、出会いと別れが随分とたくさんありました。

「なう」で、腹減った・・・という一言を残して消えた人もいました。


2010年に入ると、サムライさんと出会いました。

アメブロ政治経済で、上位におられた方です。

御記憶の方もおられると思います。

もみじ

空の神兵   Samurai

.

あの当時、私の目標にしていた人でした。

しかし、今は主のいない漂流船のようなブログと化しています。

かなり、信念を持ってやっておられましたから、途中で挫折する事は

考えられず、恐らく、もう存在されていないのではと消沈しています。

政治ブログをやっている人には、何となく解かってもらえると思います。


2010年の7月16日に更新がストップしています。

そして、それから1ヶ月半後の9月1日に、最後の記事となっています。

私には、あの記事が、読者の皆さんへの最後のお別れのように感じました。

今現在、政治経済ランキング523位となっています。

記事の背景もリンク切れで剥げ落ち、寂しいブログとなってしまいました。

私もいつか、あんな感じになるのでしょうか・・・。





ここ最近では、


 天然あっこ

ヒマワリ

天然あっこさんも、どうしちゃったんだろう。

今年の7月9日を最後に更新が途絶えたままです。

http://ameblo.jp/hirokazuakari/entry-11297877385.html

メモ

毎日、5件以上の記事を掲載されて頑張っておられましたが、

御無理をされているのではないかと心配していました。

神奈川県の方ですが、安否がとても気になります。

ペタも毎日のように来ていたのですが、他の方との交流は、

あまり無かったようです。

チューリップ赤

記事の更新が無理でも、せめてペタしたり、なう に投稿していれば、

存在を確認出来て安心出来るのですが・・・

ペタ や なう も、そういったところに大きな意味があるんですね。

私は、更新の途絶えた人の事が気になって仕方ありません。

御健在であれば、良いのですが、確認のしようがありません。

これが、ブログの悲しい一面なのでしょうか。

ただただ、御無事でいてくれる事を心より願うばかりです。



私の場合は、漂流船ブログと化すよりも、

ブログサイトそのものを閉鎖される可能性のほうが、高いですが、

脅迫などもあるように、身の危険もありますが、

命ある限り、更新を続けていくつもりです。


もし無事でいられるなら、最後の更新になる時には、

必ず、皆さんに御挨拶しますので、宜しくお願い致します。


みんな、いつか必ずそんな時が来ますからね。

いつしか、知らない間に、ブログ村の家族なんだよね。


私は、一度、何等かの関係が出来た人の事は、

決して忘れ去る事などはありません。


正直、私は別れというものが一番つらいです。

皆さんは、どうでしょうか。
人とのつながりが如何に大切かって事を最近しみじみ感じています。





おみやさんのブログも去年のクリスマスから停止したままです。

最後に、更新の途絶えたおみやさんの記事を御紹介します。



星空 みんな夢でありました

http://ameblo.jp/zchmop/entry-11116169512.html


あの時代は何だったのですか
あのときめきは何だったのですか、
みんな夢でありましたみんな夢でありました悲しいほどに
ありのままの君とぼくがいる

ぼくはもう語らないだろ、
ぼくたちはもう歌わないだろう、

みんな夢でありましたみんな夢でありましたなにもないけど、
ただひたむきな
ぼくたちが立っていた、

キャンパス通りが炎と燃えた、
あれが雨の金曜日、
みんな夢でありましたみんな夢でありました
目を閉じれば、
悲しい君の笑い顔が見えます、 
川岸の向こうにぼくたちがいる
風のなかにぼくたちがいる
みんな夢でありましたみんな夢でありましたもう一度やり直せるなら、
どんな生き方があるだろうか、

森田童子

中学高校と友だちだった山本広樹がガンで死んだときいた、

柔道部で一緒だったが、喧嘩して、奴は部を辞めた、
あの日以来、口を聞いていなかった、

ぼくは嫌われ者だった。
不良グループの上の者から睨まれた僕は、いつの間にか人から遠ざけられ、
その寂しい気持ちが人との正常な付き合いを忘れさせ、僕は怯えに怯え、
だれかれとなく喧嘩し、しまいには誰からも相手にされなくなった。

つらい高校時代の記憶
そんな僕にも優しくしてくれた広樹が、貸してくれた森田童子、

立て続けに人が死んでいく、

ただ、悲しいとは思わない。

申し訳ないと思う。

正月、田舎に帰り、広樹の眠る安眠の場で、森田童子を歌う。

別の生き方なんかない、

比較するものがおかしい。

学生運動の敗因、

今度は、命がけだろう、

みんな夢でありました
みんな夢でありました
そして、向こう岸にいた君と僕が、いま、ここにいる、

そこには暖かい日差しが指していて、
暖かい家族がいて、
複数いて、、

60年代の僕の田舎にぼくはいる。

ぼくは、歌うだろう、
喜びを持って歌うだろう、

あの頃の悪い記憶が消えて、

僕は、田舎の海で、何度でも、森田童子と亡き広樹を思い出しながら、
森田童子を歌うだろう、

広樹へ、

すまん、

静かに眠れ、

あの時代も、この時代も?

みんな夢ではないのです、

だから、死ぬまで頑張るのです、

みんな夢でありました
みんな夢でありました
だけど、もう一度だけ闘う世界の人々がいるのです、

みんな夢でありました
みんな夢でありました
そうです!
みんな叶う夢であります、



森田童子「ぼくたちの失敗」

http://www.youtube.com/watch?v=KF77sQz1hIQ&feature=related


みんな夢でありました 森田童子

http://www.youtube.com/watch?v=N4RaoKh7K2w&feature=related


森田童子「たとえばぼくが死んだら」

http://www.youtube.com/watch?v=7xDMgOQygmQ




$wantonのブログ

                 http://www.innerpeace-coach.com/?p=1623