1944年の東南海大地震は米軍の地震兵器だった









市民たちの戦争 封印された大地震




秋田は蒸し暑いです。


お盆なのでどこも混雑しておりますが、事故などに遭わないように気をつけてお過ごしくださいね。




☆「封印された大震災~愛知・半田」

http://www.dailymotion.com/video/xkgfxg_20110810-yyyyyyyy-yy-yy_news




トーマさんのメルマガ「精神世界の鉄人」から転載させていただきます。


3月11日の大地震から、11日で、ちょうど、5ヶ月ですね。

興味深い動画を、見つけたので、紹介します。



「NHK総合 8/10 午前0:15~0:40 証言記録 市民たちの戦争 封印された大戦争」

からの動画です。

番組内容は、太平洋戦争終盤、愛知県を、M7.9の大地震が、襲ったのですが、当時、


日本の国家は、大地震の被害を、徹底的に“封印”したようです。

番組では、その真相を、近年発見された資料から、初めて、解明しています。

その頃は、まだ学生だった、土屋嘉男さんという男性が、

「数日たったら、B29が来て、ビラを、まいていました。そのビラを、拾ってみたら ショックだった。


毛筆で、地震の次は 何を、お見舞いしましょうかって、書いてあった」

と証言しています。



「人工地震なんて、そんなもの、あるわけがない」

と嘲笑されている人が、まだ、多いようですが、このNHKの番組は、何が、言いたいか、わかりますか?

終戦直前に、愛知県で、大地震があり、米軍が、

「地震の次は、何を、お見舞いしようか?」

とB29から撒いたビラで、恫喝したということです。

「まさか、当時、地震を、米軍が、引き起こしたとでも、言いたいのか?」

と再度、嘲りの声を、上げる人も、多いかもしれませんが、

そのとおりなのです。

1944年12月7日の東海地方の地震は、米軍が、日本の軍需工場を、壊滅させるために、


引き起こした「人工地震」と思われ、土屋嘉男さんは、それを、証言したのです。

「人工地震」なんて、65年前に、完成した、旧式の陳腐な大量破壊兵器みたいです。

当時、M7.9の地震で、おきた人工の津波で、数千の日本人が、なくなり、


日本の軍用機生産拠点であった三菱重工業と中島飛行機の工場が、壊滅的打撃を、受けたようです。


当時の日本国政府は、なぜ、この地震被害を、「密封」したのでしょうか?

政府は、それが「米軍による人工地震」であったと、知っていたのです。

事実、その地震直前の読売新聞の記事には、

「米軍は、地震兵器で、日本を、攻撃しようとしている。笑止千万」

といった内容のストックホルム発の記事が、掲載されています。



「第二次世界大戦で、日本は、広島と長崎に、原爆を、落とされた」

と、私たちは、学校で、教えられましたが、

実際には、数十発の模擬原爆が、日本の各地に、落とされて、この爆発でも、たくさんの方が、


亡くなっています。

さらに、この愛知県半田市を、襲った大津波も、愛知県沖の海底で、原爆が、爆発した可能性が、


大きいようです。

今回の3月11日に、宮城県沖で、やられたのを、まったく同じことを、65年前にも、日本は、


やられていたようです。

さらに、65年前にも、日本の政府は、ほとんど、救助活動を、やっていなかったみたいです。

「歴史は、くりかえす」


と、よく言いますが、本当に、人間のやることは、まだまだ、遅れていますね。



戦後、66年以上たって、ようやく、真実の歴史が、どんどん、暴かれてきています。

今こそ、戦争についての正しい知識が、必要な時期だと、思います。

これ以上の悲劇を、繰り返さないためにも…


転載元は匿名希望です。





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