自分と向き合う。 | 俺様の「好きにやらせろ!」 Ⅱ

自分と向き合う。

 

昨日に引き続き、
本日も、良く晴れています。
 
そんな中、午後から、
鎌倉・ 長谷寺 に行って来ました。
 
以前から、少し興味のあった
写経 」にチャレンジするためで、
 
写経会場の弁天堂で、
「般若心経」を書きしたためました。
 
と書くと、大袈裟なのですが、
写経用紙は、裏返すと
経文が透けて見える仕組みになっており、
それを一字一字、なぞっていくわけです。
 
初め、慣れない筆を使うよりは、
と筆ペンで始めたのですが、
かすれたり、筆先が微妙に崩れたりと、
かえって使い辛く、
 
堂内にいた、
お年を召された奥様方に、
ご指導を仰いで、墨をわけて頂きつつ、
毛筆に変更いたしました。
 
習字なんて恐らく中学生以来、
普段ももっぱらPCや携帯メールが中心で、
文字を書く習慣が薄れている中、
 
「あれ、この書き順でよかったかな??」
「おい!こんな文字書いたことないぞ」
「画数多すぎで、真っ黒文字!」
と悪戦苦闘しながら、
 
一文字約1.5cm四方の漢字を連ねながら、
筆を進めること、実に1時間40分、
 
やっとの思いで、
なんとか、写し終える事が出来ました。
 

 

なかなか、手本どおり写す事が出来ず、
どうしても「自分流」の文字になってしまう事、
 
明らかに、後半の集中力が切れてしまった事、

など、反省仕切りの中、
一点だけ、驚くべき成果を確認できた事が。
 
用紙の最後に、
自らの住所と氏名を書き記す事になっており、
 
そこは、もちろん「写し」ではなく、
自分の力で書く訳ですが、
 
普段から、何度となく、
一生の中で一番回数を重ねて、
書き慣れてきたはずの住所と氏名を、
 
恐らく、
過去に例を見る事のない程の「出来」で
書き記すことが出来たのです。
 
これには、ちょっと感動すら覚え、
誰もいない堂内で
「おおっ!」っと口にしてしまいました。
  
また、同じく文末に、
「願意」を記すスペースもあり、
 
経文中に何度なく登場し、
一度として思い通りに書くことが出来ず、

(ほんっと、難しいんです!)
 
そんな中で、
「全てはここから始まるものなのかなぁ」
と、今の自分に問いかけるキッカケとなった、

「無」


という文字を、
今回は記しておきました。
 
特に、信仰する宗派があるわけでも、
仏門に興味があるわけでもなく、
 
今回の有休のテーマでもある、
「自己を見つめる」の一環として、
チャレンジした「写経」でしたが、
 
心を落ち着けて、
写経用紙に向かう集中力は、
 
自己を高める精神鍛錬としては、
「あり」と思えましたので、
 
これから、何度か繰り返し、
実施していきたいと、思いました。
 
願意に記した「無」が、
今後、どう変化していくか、も
楽しみだったりします。
 

完成した「写経」は、
ご宝前にて毎朝読経され、
 
「写経清浄会」で浄められた後、
経蔵に末永く納められるとの事です。
 
その後、
観音堂で、「 十一面観世音菩薩(長谷観音) 」様を参り、
 
(正面からは八面しか確認できず、堂の方に尋ねると、
 正面からは見えない背後に三面あるそうです。)
 
一石一字経にて、
(般若心経が順番にめくられるカードに合わせて、
 一石に一字ずつ、書き記す)
 
「度一切苦厄(全ての苦しみ災いを救いたまふ)」
の「切」を記した石を納めて参りました。
 

 

また、身代わり観音として有名な長谷観音様が
観世音菩薩として、我々衆生にお示しになる
「有求必応(求むるあれば必ず応ず)」の大慈悲心を象徴した、
しあわせの宝鈴「みがわり鈴」を購入。
 
仕上がりの軽い、焼き物でできたシンプルな形と、
涼やかな、高い鈴の音色が、
ご利益をしのばせるお守りです。
 
また、先ほどの写経が納められるという、
経蔵内にある、
一回転させると一切経を読んだのと
同じ功徳があると言われる、
回転式書架(輪蔵) 」も、廻して来ました。
 

 

昨日 読みきった、
須藤元気くんの「幸福論」に感化されて
御心に触れるべく訪れた長谷寺でしたが、
 
思いのほか、自分自身と向き合う機会を
現実のものとさせてくれました。
 
その出会いを与えてくれた、
元気くんに感謝。
 
これも、また「必然」という事でしょうか??
 
WE ARE ALL ONE & ***