いつでも5年間のLast Run

いつでも5年間のLast Run

何人かの先輩諸氏が「最後の60歳までの5年間はあっというまだぞ」と言っていた。「ならば、今こそなのだろう」後進のために、伝えるべきものを伝え、残すべきものを残してゆこう。と思ったのです。
それが「5年間のラスト・ラン」を思いい立ったきっかけでした。

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人生は螺旋階段のようなもの③

私は、「人間学」を学ぶ目的のひとつは、「順逆を超える」ことにある、ということを学びました。

「順境にいても安んじ、逆境にいても安んじ、常に坦蕩蕩として苦しめる処なし。これを真楽というなり。萬の苦を離れて、この真楽を得るを学問のめあてとす。」
                                                                              中江藤樹

です。

つまり、成功の絶頂にあっても決して傲慢にならず、感謝の心、恩と敬の心を忘れない。逆に逆境にあっても、泰然自若として少しも動じることがない、という心境です。

しかし、これは実に難しいことです。少なくても、私は自分の螺旋階段的人生のかつての周回では、これが中々できていませんでした。「順境」で有頂天になり、うぬぼれていた時もありました。「逆境」では、なんでなんだ!と、何かを怨んですっかり精神が疲れていた時もありました。

しかし、人生は捨てたものではありませんでした。その間でも、天は私にとって必要なことを授けてくれていたということです。そして、そのようななかで、螺旋階段の再チャレンジの周回がまた何度か巡ってきてくれていたのです。

かくて私は、どうやらようやく、「順境」にあっては恩と敬と感謝を忘れることなく、「逆境」にあっては、ひたすら「下学して上達す」と、コツコツと自分が為すことに専念できるようになったように思います。

それは、ずいぶん長い道のりの螺旋階段でした。


論語に

「子曰く、仁遠からんや。我仁を欲すれば、斯に仁至る」

とあります。

「仁」の思いやりや敬の心は、自分と離れて遠くにあるものではなく、もともと自分の中にあるものであって、それをすっと引き出してその心で日日を過ごそうと思いさえすれば、その「仁」はしっかりとおもてに表われてくるということです。

そのことに気づいて、チャンスをとらえてはその都度それを行う。そして、そうできなかった自分については、「吾日に吾が身を三省す」(論語)という姿勢が、理性をもった人間としての自己修練(修身)ということなのでしょう。


ロープウエイできた人は、登山家と同じ太陽を見ることはできない。

                            アラン(仏の哲学者)


人生とは、自分だけにしか歩めない、しかもたった一度しか歩めないかけがえのない登山道を、コツコツと上るようなものです。

もちろんその道は自分だけの力で上っているのではありません。様々な人と出会い、その支えを杖にして上っているのです。

そして、その登山道は人それぞれに別であっても、上り切ってしまえば、そこに見える景色(求めてきた心境)は、誰もがきっと同じようなものなのだろうと、私は思うのです。


シリーズでお伝えしてきた 「あと5年だな」の声が聞こえるは、ここでおしまいです。

お読みいただきありがとうございました。

 

 

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生は螺旋階段のようなもの②

論語に

「天を怨まず、人を尤(とが)めず、下学して上達す。

我を知る者それ天か」

とあります。

その我を知る「天」の眼差しは、常に不変です。

天の私に対する評価は、人間の評価のいかんにかかわらず変わることはありません。しかも、私の心の中にある「仁や誠」も「自己中心的な欲」もすべてお見通しです。

ですから、人からどんなにちやほや褒められたとしても、天はそうは見ていない。天の言葉は「有頂天になるな、うぬぼれるな!」だと思うのです。逆に、どんなにひどい批判や非難を受けたとしても、天はそこまで悪くは見ていない。天の言葉は「大丈夫だ、勇気を持て!」だと思うのです。

だとすれば、その天の眼差しの如何にかかわらず、謙虚で誠実に、平常心で自分を見つめる姿勢があってこそ、初めて本当の自分のことが分かり得るということなのでしょう。

そしてそのことで、他者の評価に対して自分を解放し、心が揺れることも少なくなるということなのでしょう。

また、謙虚にして誠を尽くす心を伴った自己解放の心境は、「順逆を超える」心境に結びつくのだとも思います。

私は、「人間学」を学ぶ目的のひとつは、「順逆を超える」ことにある、ということを学びました。

「順境にいても安んじ、逆境にいても安んじ、常に坦蕩蕩として苦しめる処なし。これを真楽というなり。萬の苦を離れて、この真楽を得るを学問のめあてとす。」
              
                                                                中江藤樹
です。

つまり、成功の絶頂にあっても決して傲慢にならず、感謝の心、恩と敬の心を忘れない。逆に逆境にあっても、泰然自若として少しも動じることがない、という心境です。


今回はここまでです。

 

 

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人生は螺旋階段のようなもの

私は人生はまるで螺旋階段のようなものだと、自分の人生を振り返ながら実感しています。

つまり、表だって日日巡り逢うことは違っても、その底にあるものは同じようなものと思える人生の道程を、螺旋階段のように何度もぐるぐると回りながら、少しずつ高みに上ってきたように思うのです。

ただし、子供のころからを通してみれば、周囲の環境や精神の成熟度が段階的に違うわけで、その底にあるものは一貫して同じと受けとめることはできません。しかし、各年代で分けてとらえれば、まったくそうなのだと思うのです。つまり、年代ごとで螺旋階段のテーマが違うということなのでしょう。

そして、もし天の見えない力があるとすれば、その年代ごとに、その天の力は私がして欲しいと願ったことを叶えてくれたのではなく、いつでも、私にとって必要なことを、その都度授けてくれていたのだとも思えるのです。

かくて、その螺旋階段を年代年代で何度も回りながら、私の判断と行動の基準、つまり人格は変化してきました。

そのなかでも、自分で自覚できる一番大きな変化は、「心の満足」の基準の変化でした。

自分を認めて欲しい、良く思ってもらいたいとずっと頑張ってきた私が、いつからか、他者の評価という、自分ではコントロールしようのないものに「心の満足」を頼るということが、すっかり少なくなったということです。

考えてみれば、そのように自覚できるようになったのは、55歳から始めた「5年間のラストラン」の半ば以降になり、更に泰然として事に向かうことになってからのことでした。

他者の情動をよく推し量りながらも、しかし自分の言動は基本的にはそのことに左右されないといった、他者から自分の心を解放するといった心境です。

そうすると、心の中の不安、そこからくる他者へのへつらい、あるいは不満、まして敵意などを持つことも無くなったように思うのです。そしてそのことで、自分の心を本当に安定して穏やかに保てるようにもなりました。

と同時に、それぞれの人を、その人が生きてきて身につけた、その人固有の人格を持った一人の人間として、自分と同じように認め、尊重できるようにもなりました。

論語に

「天を怨まず、人を尤(とが)めず、下学して上達す。

我を知る者それ天か」

とあります。

その我を知る「天」の眼差しは、常に不変です。


今回はここまでです。続きは次のブログで・・・。
 

 

父への感謝

2011年の12月に私は還暦となり、55歳で思い立った5年間のラストランを走り終えました。

その間、それは色々あったな・・・、ということになるわですけれども、しかしそれは、何人かの先輩が言っていたとおり、まさに「あっという間」だったというのが実感です。

また何よりもその5年間は、本当に充実した日々で、精神修養、実践修練の日々でもあり、有り難かったな・・・、というのが色々な思いのなかで一番強い実感です。

そしてそのラストランがゴールする数か月前から、私はしきりと父のことを思い浮かべるようになっておりました。考えてみれば、父のことをそんなにも深く考えたのは、60年間生きてきたなかで初めてのことでした。

それは5年間のラストランのゴールが見え始めて、それまでが充実した日々であったことと、それまで歳を重ねてきたお陰で父の有り難さがようやく身に染みて分かったということでした。遅かったということかもしれません。

そしてそのころに、故里の妹の声が聴きたくなり、久しぶりに電話をしてみました。そこで私の近況も少し伝え、妹にはラストランのことやブログのことも伝えてあったので、次のように言いました。

「もうじき5年間のラストランが終わる。お陰でお兄は毎日充実していた。だからお兄には悔いというものはない。それで最近よく父ちゃんのことを考えるようになった・・・」。そしてそこまで話すと、妹が「そうだよねえ~、父ちゃんは、いつもお兄いに、あと5年だなと言っていて、そのたびにお兄はムキになって色々と言ってたもんねえ~」 と言いました。

しかし実は、私がこの取り組みに自分で5年間のラストランと名前をつけた時には、父がそう言っていたことはまったく意識には浮かんではいなかったのです。何人かの先輩が言っていた「いいか、  最後の5年間はあっという間だぞ!」という言葉だけが強く意識にあったのです。


かくて、「あっ!これって、ドンぴしゃりに、おやじが言っていた『あと5年だな・・』のことだっ!」と、思ったのは、数か月経ってからのことでした。その時にはものすごく感動したというか、嬉しかったのを今でもはっきりと覚えています。

そんな私には、天から「達也、あと5年だな・・・」と言う父の声が、今でも聞こえて来ます。

そしてこの「あと5年だな・・・」は、生涯続いていくことになるのだと思うのです。


今回はここまでです。

 

 

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ここ一番のエールのメッセージ

今回は、5年間のラストランの「おはよう!」メールで、ここ一番という時にくり返し伝えていたエールのメッセージをご紹介します。

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     今この瞬間をのがさず、つかみとれ。
     あなたにできること、そして、
     頭に描いたイメージは、
     すぐ実行しよう。

     勇気を出せば、天分も目ざめ、
     力と魔力が体の内にわいてくる。
     まず行動に熱中せよ。

     そうすれば、心も次第に熱くなる。
     まず始めよ。そうすれば仕事は、
     いつか必ず完成する。


                       ゲーテ


     知恵は無限
     

     なすべきことをなす
     という勇気と、人の声に私心なく
     耳を傾けるという謙虚さがあったならば、
     知恵はこんこんとわき出て
     くるのである。

                      松下幸之助


完全な仕事
 

紀元前440年頃、ギリシャの彫刻家フェディアスはアテネのパンティオンの屋根に建つ彫像群を完成させた。だがフェディアスの請求書に対しアテネの会計官は支払いを拒んだ。「彫像の背中が見えない。見えない部分まで彫って請求してくるとは何事か」それに対してフェディアスは答えた「そんなことはない。神々が見ている」。
                                P・F・ドラッカー
 

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今回はここまでです。
 

 

5.「途切れることなく、まとまった長い時間を費やす」ことも、
「継続は力」 の大切な切り口②


かつて私は何かのレポートや報告書を作成する場合には、決まってその報告日の10日以上前に、たっぷりとまとまったしかも誰にも邪魔されない時間をつくり、構想しているそのレポートの原案を一気に作成するようにしておりました。

もちろんこれは原案です。つまり、その後の10日間で気にかかる部分を何度か見直し、修正し、最終稿を完成させるのです。もちろんその加筆修正に費やす時間はわずかな時間で済むのです。そうすると、最初の原案とはかなり違った、しかしより納得できる最終稿になるのです。

 

この方法が私のパターンになった理由は、それより以前に多くの悔いと反省を繰り返してきたことによります。

 

それは、報告をした内容に対し、もともと気にかかっていても作成のための時間切れで手を抜き見切り発車をしたことへの指摘があったり、本当ならばおさえておくべき事柄で抜けていることへの鋭い指摘があったり、あるいは何も指摘がなくとも、その内容では本当の成果には十分に貢献できず、自分自身では不本意な部分を残して報告をしてしまったことが何度もあったからであり、さらに、そのような悔いの残るレポートの作成のために多くの無駄な時間を使ったという悔いと反省でもありました。私はそのような悔いを繰り返しことなく卒業したかったのです。

 

ドラッカーは、著書「経営者の条件」の中で次のように語っています。

「仕事のほとんどは、わずかな成果をあげるためでもかなりのまとまった時間を必要とする。細切れでは意味がない。何もできず、やり直さなければならない。」

「成果の上がらない人は、第一に、一つの仕事に必要な時間を過少評価する。すべてがうまくいくものと楽観する。だが誰もが知っているように、うまくいくものなど一つもない。予期しないことが常に起こる。しかも予期せぬことはほとんど常に愉快なことではない。したがって成果をあげるには余裕をみなければならない。第二に急ごうとする。そのために更に遅れる。成果をあげる者は時間と競争しない。ゆっくり進む。第三に、同時にいくつかのことをする。そのため手がけている仕事のどれ一つもまとまった時間を割けない。いずれか一つの問題にぶつかるとすべてがストップする。」

「私の観察では、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。時間が何に取られているかを明らかにすることからスタートする。次に時間を管理すべく、時間に対する非生産的な要求を退ける。そして最後にそうして得られた自由になる時間を大きくまとめる。」


つまり、「自由なまとまった長い時間を断続的に必要とするもの」については、まずそのことがそのような性質の事柄であることを知り、次に、自分に与えられた時間をいかに管理し、そのような時間をどのようにして作り出すのかということが、何よりも先に必要だということです。

いずれにしても、ビジネスマンが自らをマネジメントするうえにおいては、「時間の管理」は最も重要な基本であり、原則であるということです。


今回はここまでです。

 

 

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5.「途切れることなく、まとまった長い時間を費やす」ことも、

「継続は力」 の大切な切り口

 

通常、組織のリーダーは与えられた勤務時間のなかで、自分の意思でまったく自由になる時間はとても少ない状態にあります。例えば社外からの突然の電話、社内の誰かからの相談や問い合わせ、上司からの急な要請、ミーティング、会議・・・、といった具合にです。

 

しかしリーダーには、そのような時間的制約の中にあっても、うまく時間を管理し「自由になるまとまった長い時間を費やす」ことが必要な課題があります。

 

このことは、ある目的をもって長い時間そのことにだけに集中するという意味においては、意思をもって「続ける」ということであり、しかも私はこれはとても重要なことだと思っています。

 

それは、例えば一つのまとまった事柄を構想し、そのレポートや報告書などを作成するような場合です。

 

自分の経験からも言えますが、私はこれらについては、途切れずにしかも誰にも邪魔されないまとまった時間を、結構長い時間でしっかりと割り当てることが必要だと実感しています。

 

何時間か完全に、誰にもどんなことにも邪魔されず、精神を集中できる自由な状態に身を置き、断続的に時間を費やし、最初の原案をとにかく最後まで作ってしまうということです。何故ならば、それをせずにいくつかの機会のわずかな時間の中で何回か案を作ったとしても、それらは結果的にはあまり役には立たず、すべてを最初からやり直すことが多く、その意味で、そのことに費やした時間のほとんどが無駄になってしまうからです。

 

かつて私は何かのレポートや報告書を作成する場合には、決まってその報告日の10日以上前に、たっぷりとまとまった、しかも誰にも邪魔されない時間をつくり、構想しているそのレポートの原案を一気に作成するようにしておりました。もちろんこれは原案です。つまり、その後の 10日間で気にかかる部分を何度か見直し、修正し、最終稿を完成させるのです。もちろんその加筆修正に費やす時間はわずかな時間で済むのです。そうすると、最初の原案とはかなり違った、しかしより納得できる最終稿になるのです。


今回はここまでです。

 

 

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4.ドラッカーと私③

 

ドラッカーの本の翻訳者の上田惇生さんはドラッカーの本の「プロフェッショナルの条件」のあとがきに、次のように書いております。


「ドラッカーには、根底に人間の喜び、苦しみ、悲しみという血がかよったものがある。社会的存在としての人間への愛がある。マネジメントの「師の師」の域などははるかに超えている。ドラッカーの世界では、すべての鍵は、一人ひとりの人間にある。関心の中心は、常に自由で責任ある社会における人間の位置づけ、役割、尊厳にある。組織の機能というものを、社会の機関としてだけでなく、一人ひとりの人間の成果と貢献と自己実現の手段と位置付けている。」 

 

ドラッカーはその「プロフェッショナルの条件」の、「自らの成長に責任を持つ」の項の中で次のように語っています。

 

「成長するということは、能力を修得するだけでなく、人間として大きくなることである。責任に重点を置くことによって、より大きな自分を見られるようになる。うぬぼれやプライドではない。誇りと自信である。一度身についてしまえば失うことのない何かである。目指すべきは外なる成長であり、内なる成長である。」

 

 

ドラッカーが説くのはHOW・TOWではありません。学者学者的な理論でもありません。現実の経営を通じた深い洞察に基づいたマネジメントの考え方の基本と原則です。

 

日本の経営学の第一人者、一橋大学の野中郁次郎名誉教授は、
「ドラッカーの経営論の根底には人間に対する深い洞察がある。その実践知が、多くの経営者を魅了して止まない」と語っています。

 

 

私は、もしドラッカーがいなかったら、企業人は今より暗い世界に住んでいることになっていたのではないかと思うのです。

 

 

今回はここまでです。

 

 

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4.ドラッカーと私②

 

私は学生のころ、ゼミでマーケティングを専攻していましたので、ドラッカーの本はそのゼミのテキストとして読んだことはありました。

 

それ以降、社会人になって久しぶりに読んだのが26歳の時で、会社の社員資格登用の筆記試験のテキストとしての「現代の経営」でした。私は試験に合格したくて、ひたすら読んで覚えました。

 

しかし、結局は学生的に頭で理解するだけで、自分の仕事に結びつけて現実の事として考えることはできませんでした。

 

そして、30代前半で本社の教育部門で仕事をするようになり、またドラッカーの本を読むことになったのです。そして何冊かの本を何度も読むこととなり、そのあと業革部長や店長になっても少しずつ読み続けながら自分の仕事に当てはめて考えてきました。

 

そして、40代の半ばを過ぎたころから、 ドラッカーが一貫して言っている、「成果」と「貢献」の意味がようやく分かるようになって来ました。

 

その後イオンファンタジーに転勤をして、2年目の春に当時の社長から幹部のみんなで読書勉強会を毎月一回やろうという提案があり、私にその事務局のお鉢が回ってきて、その勉強会の最初のテキストが、社長が指定したドラッカーの「明日を支配するもの」の第一章でした。

 

私は鬱で5か月会社を休み、その後回復する一年間を除き、この勉強会の事務局を退職するまで11年間毎月かかさず続けてきたのですが、そのなかで他の本の合間を縫ってドラッカーの本をテキストとして4冊取り上げ、期間を置いてそれぞれ4、5回参加者のみんなと勉強してきました。 

 

その時は私も事務局ですからそのたびに真剣に読みましたし、勉強会のためでなくても何度も読み続けて、実際の仕事にあてはめて考え、実行もしてきました。

 

かくて、勉強会ではその実例を具体的に話し、その後に、それをドラッカーのマネジメント理論の 「基本と原則」に結びつけ、要はこういうことだと話すことが随分できるようになったわけです。 


 

今日はここまでです。

 

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4.ドラッカーのマネジメント理論 (ドラッカーと私)

 

「マネジメントとは事業に命を与えるダイナミックな存在である。マネジメントこそ企業が持ちうる唯一の意味ある優位性である。彼らのリーダーシップなくしては生産資源は資源にとどまり生産されない。彼らの能力と仕事ぶりが事業の成功、存続さえ決する。」

 

「チェンジ・リーダーの条件」 P・F・ドラッカー著 上田惇生編訳 ダイヤモンド社 より

 

 

「ビジネスマンが常に最初に問うべきは、目的は何か、何をなし遂げようとしているのか、何故それを行うのかでなければならない。」

 

「プロフェッショナルの条件」 P・F・ドラッカー著 上田惇生編訳 ダイヤモンド社 より

 

 

この2点がドラッカーのマネジメント論のなかで私が最も基本に置いている考え方です。そしてやはり、ドラッカーも次のとおり「継続は力・徹底は強さ」であると語っています。

 

「仕事や成果を大幅に改善するための唯一の方法は、成果をあげるための能力を向上させることである。そしてそれは習得できるものである。成果をあげることはひとつの習慣である。習慣的能力の集積である。習慣的能力は常に習得に努めることが必要である。習慣的能力は単純である。習慣的になるまで反復しなければならない。」

 

「プロフェッショナルの条件」 P・F・ドラッカー著 上田惇生編訳 ダイヤモンド社 より


 

ドラッカーのマネジメント論と私の関わりは、ずいぶん長いものでした。そしてどうやら、その意味することを実践において随分適用できるようになったように思います。それは私にとって、正に「継続は力」を実感できる価値ある体験でした。


 

今回はここまでです。続きは次のブログで・・・。    

 

 

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