いつでも5年間のLast Run

何人かの先輩諸氏が「最後の60歳までの5年間はあっというまだぞ」と言っていた。「ならば、今こそなのだろう」後進のために、伝えるべきものを伝え、残すべきものを残してゆこう。と思ったのです。
それが「5年間のラスト・ラン」を思いい立ったきっかけでした。


テーマ:

ビジネスセミナー 

ピーター・ドラッカー 基礎講座

<成果を目指すマネジメントの基本と原則>


を 4月30日(土)に、栃木県小山市で開催させていただきました。


そこで今回はその後記です。



このセミナーのテーマは、「部下を持つリーダーがその役割をどのようにとらえ、いかに真の貢献をして成果をあげるか」であり、ピーター・ドラッカーのマネジメント論をベースにした、組織のリーダーが組織に貢献し成果をあげるための基本と原則を取り上げました。


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ドラッカーは、


・マネジメントとは事業に命を与えるダイナミックな存在である。マネジメントこそ企業が持ちうる唯一の意味ある優位性である。彼らのリーダーシップなくしては生産資源は資源にとどまり生産されない。彼らの能力と仕事ぶりが事業の成功、存続さえ決する。


・ビジネスマンが常に最初に問うべきは、目的は何か、何をなし遂げようとしているのか、何故それを行うのかでなければならない。


と語っています。



これは、ドラッカーのマネジメント論で語られている語録の中で、私が最もベースにおいているものであり、様々な局面において、結局はこの二つに行き着くのです。



またドラッカーは、「真摯さなくして組織なし」として、

次のように語っております。


・厳しいプロは、高い目標を掲げ、それを実現することを求める。誰が正しいかではなく、何が正しいかを考える。頭の良さではなく、真摯さを大切にする。つまるところ、この真摯さなる資質に欠ける者は、いかに人好きで、人助けがうまく、人つきあいが良く、有能で頭が良くとも、組織にとっては危険であり、上司および紳士としては失格である。


・真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。それはまず、人事に関わる決定において象徴的に表れる。真摯さとは、とってつけるわけにはいかない。すでに身についていなければならない。ごまかしはきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは、二、三週間でわかる。


・真摯さの定義は難しい、だが、マネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如を定義することは難しくない。


① 強みよりも弱みに目を向ける者をマネジャーに任命してはならない。できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、やがて組織の精神を低下させる。


② 何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネジャーに任命してはならない。仕事よりも人を重視することは、一種の堕落であり、やがては組織全体を堕落させる。


③ 真摯さよりも、頭の良さを重視するものをマネジャーに任命してはならない。そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常なおらない。


④ 部下に脅威を感じる者を昇進させてはならない。そのような者は人間として弱い。


⑤ 自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジャーに任命してはならない。そのような者をマネジャーにすることは、やがてマネジメントと仕事に対するあなどりを生む。



・信頼するということは、リーダーを好きになることではない。常に同意できることでもない。リーダーが言うことが真意であると確信を持てることである。それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である。


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セミナーでは、成果をあげるための意思決定の秘訣、その基本と原則についても、ケーススタディをもとに、各参加者が自らの考えを述べながら確認をいたしました。


その中である受講者に意見を求めると、その方は「問題解決のために正しい意思決定をし、高い目標を掲げて課題達成を目指すためには、最後には『勇気』が必要です」と語ってくれました。


それは、自らの体験に基づいた誠実な発言であったと私は思っています。



ドラッカーは意思決定の秘訣の最後に、


・これでいよいよ、決定を行う準備は整った。とうとうここで、決定には判断と同じくらい勇気が必要であることが明らかになる。薬は苦くなければならないという必然性はない。しかし一般的に、良薬は苦い。決定が苦しくなければならないという必然性はない。しかし一般的に、成果をあげる決定は苦しい。


と語っております。



そして、「自らの成長に責任を持つ」ということについては、


・成長するということは、能力を修得するだけでなく、人間として大きくなることである。責任に重点を置くことによって、より大きな自分を見られるようになる。うぬぼれやプライドではない。誇りと自信である。一度身についてしまえば失うことのない何かである。目指すべきは外なる成長であり、内なる成長である。


と語っております。


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なお、このセミナーを主催していただいた倉本浩二さんが、下記のとおり、ご自身のブログにて開催の結果をご報告しておりますのでご確認ください。


http://ameblo.jp/kenny2555-0527/entry-12155584386.html


今回はここまでです。最後までお読みいただきありがとうございました。



今日が大事、今日が大切。


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おはようございます。 一人のヴィアトールです。



4月30日に開催する、ビジネスセミナー「P・F・ドラッカー基礎講座」の大切なポイントのひとつは、


ドラッカーが、


「意思決定についての文献のほとんどが、事実を探せという。だが、成果をあげる者は、事実からスタートできないことを知っている。誰もが自分の意見からスタートする。」


と語り、さらに


「意見をもつことを奨励しなければならない。そして、意見を表明した後、事実による検証を求めなければならない。仮説の有効性を検証するには何を知らなければならないか、意見が有効であるにはどうあるべきかを問わなければならない。仮説は論ずるべきものではなく、検証するものである。」


「こうしてわれわれは、どの仮説が有効であって真剣な検討に値し、どの仮説が検証によって排除 されるかを知ることができる。」


と語っていることです。



またドラッカーは、


「成果をあげる者は、意図的に意見の不一致をつくりあげる」


として、次のように語っています。


「そうすることによって、もっともらしいが間違っている意見や、不完全な意見によってだまされることを防ぐ。意見の不一致は、もっともらしい決定を正しい決定に変え、正しい決定を優れた決定に変える。」


「一つの行動だけが正しく、他の行動はすべて間違っているという仮定からスタートしてはならない。『自分は正しく、彼は間違っている』という仮定からスタートしてはならない。そして、意見の不一致の原因は必ず突き止めるという決意からスタートしなければならない。」


「もちろん、ばかな人もいれば、無用の対立をあおるだけの人もいることは承知しておかなければならない。だが、明らかに間違った結論に達している人は、自分とは違う現実を見、違う問題に気づいているに違いないと考える必要がある。『もし彼の意見が、知的かつ合理的であると仮定するならば、いったい彼は、どのような現実を見ているのか』と考えるべきである。」


「成果をあげる人は、何よりもまず、問題の解決関心を持つ。誰が正しく、誰が間違っているかなどは問題ではない。」



先にあるのは「事実」ではなくて、

関心に基づいた「仮説」


人は、強い関心や「仮説(意見)」に基づいて、「事実」を具体的な次元でとらえるということです。 頭の中に知りたいと思う強い関心や判断の基準がなければ、目に映っているその事象の中に、 具体的な意味のある「事実」をとらえることはできないということです。



「事実」は何か?


優れた問題解決者は、同時に優れた質問者であることが多いといえます。


組織として妥当な決定を下すために、我々は、「その仮説(意見)を裏付ける事実は何か?」という質問を、互いに要所でタイムリーに向け合う事を大切にしなければなりません。


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このたび、栃木県小山市在住 倉本浩二さんの主催により、添付のブログ及び下記のとおり、ビジネスセミナーを開催させていただくことになりました。


参加申し込みは、下記の添付ブログから倉本氏(マカロニGGさんこと)あてのブログメッセージにて、ご氏名、年齢を明記のうえ参加の表明をお送りください。


http://ameblo.jp/kenny2555-0527/entry-12133425334.html


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ビジネスセミナー
ピータードラッカー基礎講座
<成果を目指すマネジメントの基本と原則>



●講師:一人のヴィアトール事務所 西城達也


●開催日時: 2016年4月30日(土)  

         13:30~16:00予定 (13:00受付開始)


●参加費: 3000円(当日払い) 


●会場:栃木県小山市立生涯学習センター 第一セミナー室
      JR小山駅西口 シネマロブレビル6F(小山駅西口からすぐ)


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このセミナーのテーマは、


「部下を持つリーダーがその役割をどのようにとらえ、

いかに真の貢献をして成果をあげるか」


です。


取り上げるのは、ピーター・ドラッカーのマネジメント論をベースにした、

組織のリーダーが組織に貢献し成果をあげるための基本と原則であり、


その主な内容は


「成果と貢献について」

「成果を改善する方法」

「意思決定の基本」

「WHAT・HOW・DO・CHECKのサイクル」


などです。



ドラッカーは次のように語っています。


「マネジメントとは事業に命を与えるダイナミックな存在である。マネジメントこそ企業が持ちうる唯一の意味ある優位性である。彼らのリーダーシップなくしては生産資源は資源にとどまり生産されない。彼らの能力と仕事ぶりが事業の成功、存続さえ決する。」


「ビジネスマンが常に最初に問うべきは、目的は何か、何をなし遂げようとしているのか、何故それを行うのかでなければならない」


「成長するということは、能力を修得するだけでなく、人間として大きくなることである。責任に重点を置くことによって、より大きな自分を見られるようになる。うぬぼれやプライドではない。誇りと自信である。一度身についてしまえば失うことのない何かである。目指すべきは外なる成長であり、内なる成長である。」



組織のリーダーとして、単なる中間の歯車としてではなく、置かれた立場立場で、本当の自分らしさを発揮しながら自己成長を計り自己実現を目指す。


「たった一度の人生を、その時時で自分が自分なりに生きて、ほんとうの自分を発揮しなかったら、人間として生まれてきた甲斐がないじゃないか」


といった思いを大切にしたい。



このセミナーの内容は、組織リーダーのそのような思いに応えるための、「組織リーダーの自己実現へのガイド」でもあります。



●次のような組織のリーダーには特にお薦めです、ぜひご参加ください。


・組織のリーダーとして真に組織に貢献しながら、さら自己成長したい人。

・ブレない判断と行動の基準、および自己評価の物差しを持ちたい人。

・不満やストレスの状況であっても、自分を活き活きさせたい人。

・周囲に影響を与える立場になり、ここから何が大切なのかを改めて考えてみたい人。


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                                    以上です。



今日が大事、今日が大切。

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このたび、栃木県小山市在住 倉本浩二さんの主催により、添付のブログ及び下記のとおり、ビジネスセミナーを開催させていただくことになりました。


参加申し込みは、下記の添付ブログから倉本氏(マカロニGGさんこと)あてのブログメッセージにて、ご氏名、年齢を明記のうえ参加の表明をお送りください。


http://ameblo.jp/kenny2555-0527/entry-12133425334.html


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ビジネスセミナー
ピータードラッカー基礎講座
<成果を目指すマネジメントの基本と原則>



●講師:一人のヴィアトール事務所 西城達也


●開催日時: 2016年4月30日(土)  

         13:30~16:00予定 (13:00受付開始)


●参加費: 3000円(当日払い) 


●会場:栃木県小山市立生涯学習センター 第一セミナー室
      JR小山駅西口 シネマロブレビル6F(小山駅西口からすぐ)


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このセミナーのテーマは、


「部下を持つリーダーがその役割をどのようにとらえ、

いかに真の貢献をして成果をあげるか」


です。


取り上げるのは、ピーター・ドラッカーのマネジメント論をベースにした、

組織のリーダーが組織に貢献し成果をあげるための基本と原則であり、


その主な内容は


「成果と貢献について」

「成果を改善する方法」

「意思決定の基本」

「WHAT・HOW・DO・CHECKのサイクル」


などです。



ドラッカーは次のように語っています。


「マネジメントとは事業に命を与えるダイナミックな存在である。マネジメントこそ企業が持ちうる唯一の意味ある優位性である。彼らのリーダーシップなくしては生産資源は資源にとどまり生産されない。彼らの能力と仕事ぶりが事業の成功、存続さえ決する。」


「ビジネスマンが常に最初に問うべきは、目的は何か、何をなし遂げようとしているのか、何故それを行うのかでなければならない」


「成長するということは、能力を修得するだけでなく、人間として大きくなることである。責任に重点を置くことによって、より大きな自分を見られるようになる。うぬぼれやプライドではない。誇りと自信である。一度身についてしまえば失うことのない何かである。目指すべきは外なる成長であり、内なる成長である。」



組織のリーダーとして、単なる中間の歯車としてではなく、置かれた立場立場で、本当の自分らしさを発揮しながら自己成長を計り自己実現を目指す。


「たった一度の人生を、その時時で自分が自分なりに生きて、ほんとうの自分を発揮しなかったら、人間として生まれてきた甲斐がないじゃないか」


といった思いを大切にしたい。



このセミナーの内容は、組織リーダーのそのような思いに応えるための、「組織リーダーの自己実現へのガイド」でもあります。



●次のような組織のリーダーには特にお薦めです、ぜひご参加ください。


・組織のリーダーとして真に組織に貢献しながら、さら自己成長したい人。

・ブレない判断と行動の基準、および自己評価の物差しを持ちたい人。

・不満やストレスの状況であっても、自分を活き活きさせたい人。

・周囲に影響を与える立場になり、ここから何が大切なのかを改めて考えてみたい人。


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前回のブログに、


「1時間のウォーキングでは、姿勢を正してあごを引き、目線を5メートルほど先の路面にぼんやりと落とし、ひたすら速足で歩き続ける。


その時、頭の中ではあれこれと色んなことを考えている。この考える時間がなんとも小気味がいい。『小気味がいい』というくらいだから、この1時間のフリーな思考の中では、不思議に悲観的な思いや悔やみごとは思い浮かんでこない。」


と書いた。



その状況をもう少し説明すれば、ウォーキング中の頭のなかでは、ひとつのことに思いが留まって深く考えることはなく、色んなことがとめどなく思い浮かび、留まることはないといった感じなのだ。


たとえば、なんとなく気にかかる事柄が頭に浮かんでも、そのことについて悲観したり悔やんだりして心が沈んでしまう前に、その思いが消えてしまうのだ。そして次に、新たな事柄に対する何となく前向きな思いが浮かんでくるのである。



歩き続けるという「動」の状態と、座り続ける座禅の「静」状態は真逆なのだが、もしかすれば、私のウォーキングのときの頭の中の状態は、座禅の時の「無心」の心境に少し似ているのかもしれない。


座禅をすると無心になるというが、無心とは心にどんな感情も思いも“ない”ということではない。色々な感情や思いは浮かぶ。しかしそれが留まることがなく、浮かぶままに、消えていくままにまかせる。座禅で無心になるとはそのような心の在りようのことなのだ。



それはそれとして、ものごとをどのように受けとめるか、その受けとめ方はものごとの「意味づけ」の仕方に通じる。



現在ただ今のことでも将来のことでも、ある状況を妄想的に悲観したり、つらいと受けとめてしまうと、その思いは心の中に沈殿して深まりを増す。負の気持ちがさらに負の精神状態に引きずり込み、負のスパイラルに陥ってしまう。


であれば、つらいしんどいというところに心を止めず、視点や受けとめ方を変えてみることである。あるいは、自分の意思で思い通りにならないことは、そういうものとして受けとめ、納得してあきらめることだ。そして為せることを見極め、そこから具体的に、かつ着実に行動を起こす。



ものごとの受けとめ方、受信の仕方は発信の仕方にも通ずる。



ある書物に次のようにあった。


「あなたが発信するものが、将来あなたが受けとめるものを決める。なぜなら、あなたが出しているものを受信した人が、引き寄せられるからだ。


あなたが幸せや友情、喜びを発信し続けていると、しばらくして時間差で同じようなものが返ってくるであろう。逆に、イライラや憎しみや怒りを表現していると、同じように世界はそれに呼応して、憎しみや怒りを反してくる。


ふだんの発信をより楽しいもの、ワクワクすることに変えてみよう。そうすれば、それと同じ分だけ、あなたが実現するものが少しずつ変わってくる。


これには、想像以上の時間差がある。途中、「あれ、全然変わらないな」と思いあきらめず、ぜひ続けることだ。


あなたがどういうものを得たいのかを考えて、そういう世界を発信してみるのだ。」



なるほどそうなのかも知れない。


「これには、想像以上の時間差がある」というところに、いくつかの意味がありそうだ。



ということで、今回はここまでです。


最後までお読み頂きましてありがとうございました。


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ヘビースモーカーを卒業し、禁煙してから1年半になる。そのせいか、少し体重が増えた。


なので最近は減量をめざし、連れて出てきた腹をへこまそうと、ほとんど毎日、午前と午後に1時間づつウォーキングをして1万4千歩ほど歩いている。



ウォーキングは気軽にできて足腰が鍛えられる有酸素運動ではあるが、ネットで調べてみると、さらにダイエット効果を期待するならば、  1日2時間は歩く必要があるとのこと。そのことを知って以来、ならばということでその2時間を歩き続けている。


通算で2時間であればよいとのこと。ただし、ウォーキングでカロリーを消費するのは、歩き始めて20分を経過してからということなので、1回で最低30分ぐらいは歩く必要がある。通算2時間であれば、30分4回あるいは、40分3回や1時間2回になるのだが、私は午前と午後の決まった時間帯にそれぞれ1時間と決めて、1日の流れのリズムを作っている。


ちなみに、かなりの速足でコンスタントに歩き続けないと、1時間で7千歩(2時間1万4千歩)にはならない。速度もカロリーの消費量に大きく関係するのである。もちろん速足であればあるほどカロリー消費量は高い。



さらには、筋トレで筋力をつけ筋肉量を増やすことで基礎代謝を高めることも、ダイエットには大事なことだ。


1日の消費カロリーの約7割を占め、生命維持に使われる基礎代謝は筋肉の量に比例する。そしてその筋肉量は年齢とともに自然に減ってくる。だから適度な筋トレでその減少を防がないと、摂取カロリーに対して消費カロリーが少なくなり、その分内臓脂肪がついてしまうことになるのだ。


筋力の衰えが進むのは40代後半からであるが、鍛えることで、80歳になっても筋肉は増やせるとのことだ。



食事の量と内容を気遣うことももちろん大事である。



1時間のウォーキングでは、姿勢を正してあごを引き、目線を5メートルほど先の路面にぼんやりと落としてひたすら速足で歩き続ける。


その時、頭の中ではあれこれと色んなことを考えている。この考える時間がなんとも小気味がいい。「小気味がいい」というくらいだから、この1時間のフリーな思考の中では、不思議に悲観的な思いや悔やみごとは思い浮かんでこない。


1時間2回のウォーキングは、足腰を鍛えながらダイエットを目指すだけではなく、脳の活性化にも役立っているということになる。



もちろん、脳の活性化つきウォーキングも、筋トレも、続けることが何よりも大事である。「継続は力、徹底は強さ」である。



今回はここまでです。

最後までお読み頂きましてありがとうございました。


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おはようございます。 一人のヴィアトールです。

前回は、人間が変化するということを「学び」との関わりで書いてみましたが、今回はその続きです。

ただし、直接 「学ぶ」 ということについて考えてみる前に、今回は 「人生の3つの出会い」について触れてみたいと思います。何故ならば、この3つの出会いは、人生のその時時におけるその人のものの考え方、関心事の次元や対象、学びの姿勢と密接に関わり、そしてまた、自らの人間性や人格の「変化」への強い引き金となるものでもあるからです。


今回は、前回まで3回に渡って紹介してきたかつてのブログの続きで、以上の書き出しで始まるものを多少集約修正して改めてご紹介いたします。


人生の3つの出会い

まず、過去の記事 「最初にお伝えしたいことの続き」(プロローグ2) 2011年11月26日 投稿 からの抜粋です。

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何年か前(私が最初の5年間のラスト・ランをスタートした後で)に、NHKのラジオ番組、「ラジオ深夜便」の中の「心の時代」に、致知出版社の社長である藤尾秀昭氏がゲスト出演し、その中で藤尾氏は「人生には3つの出会いがある。一つ目は人物との出会い。二つ目は良書との出会い、そして三つ目は自分との出会いである」と言っておられました。

私はそれを聴き、それまで歳を重ね巡り合って来た様々な出来事の中で、そのことを素直に実感し、心底そう思うことができたのです。

更に、人物との出会いについて、「人は出会うべき人に、一瞬も遅くなく一瞬も早くなく、出会うべくして出会う」と、更に「そのように実感できるには、急場しのぎの間に合わせではない心の準備(人間としての修業、人格の形成)が必要だ」とも言っておられました。

また、「人は誰でもこの世に生を受けたときに、天からの『封書』を授かる」とも言い、「その『封書』に、50歳を過ぎ人生の晩年になってでも気づき、開封することができた人は幸いである。しかしその存在に気づかずに人生を終えて行く人があまりにも多い」とも、言っておられました。

私はこれらを聞いた時に、私の5年間のラストランとは、こういうことを求めているんだな、と思ったのです。

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過去の記事の抜粋は以上です。


55歳にして思い立った私の最初の「5年間のラスト・ラン」では、目的的にかつ主体的に、しかも常にぶれずにそのことに徹して実践し続けたことにより、「人物」とも、「良書」とも、そして新しい「自分自身」とも、それまでの人生の中で最も強いインパクトをもって出会うこととなり、併せて、「自己実現欲求の満足」という心の内なる有りようも、初めてしっかりと実感するに至った、まったく貴重な5年間でもありました。


人物との出会い

自分のこれまでの人生に照らして考えれば考えるほど、

「 人は出会うべき人に、一瞬も遅くなく一瞬も早くなく、出会うべくして出会う 」

と、私もそう思うのです。素交の朋友も、師も、今となって思えば、心に残る出会いについては、すべてがそう思えるのです。


人と人との交わりについては、純粋な心の交わりの「素交」と、時の権勢につく交わりや損得を考えた交わりといった、利による交わりの「利交」があります。

私は年代年代で、いつも多くの人々と共にいながら様々な人々と交わってきました。もちろんその時時で利交の人たちとも共に過ごしました。しかしその中にあって、素交の朋友とその年代年代に出会い、利交の人たちとは違う次元の事柄を何度も語り合った記憶こそが、今でも強く心に蘇るのです。

そして、これらの朋友とは、自分の認識の変化の次元に応じて響き合い、その時時の絶妙なタイミングで出会って来たように思えるのです。

また、 「師」 として私を導いて頂いた方々とも、有難いことにその年代年代にめぐり合えたわけですが、この出会いについても、特に30代半ば以降は、自らのものの考え方や関心事の変化に応じ、不思議なように絶妙なタイミングで新しい出会いがあったように思うのです。


これらのことは、もちろん最初の5年間のラストランの期間にも、まったく当てはまる事なのです。


良書との出会い

これも、まさに「出会い」なのだと、私は実感するのです。

書物の読み方には、多読乱読、あるいは再読を重ねた熟読など、いくつかの方法があるわけですが、人格の修養や、あるいは何かの技能をしっかりと身につけようとして選び抜いた良書は、幾度も幾度も読み込むことによって、最初には分からなかった作者の深い意図や言わんとする真意にまで思い至るような読み方が必要ではないかと思います。

つまり、そこに思い至る気づきによって、何かについて「分かるの扉」が開いて会得するということが、その人の本当の変化なのであり、私は、渡辺和子さんやドラッカーの著書との長い付き合いによって、それを強く実感するのです。


「読書」について、森信三は次のように語っています。

「我々の日常生活の中に宿る意味の深さは、主として読書の光に照らして初めてこれを見出すことができるのであって、もし読書をしなかったら、いかに切実な人生経験といえども、真の深さは容易に気づき難いといえる」

そして、

「書物に書かれた真理を平面的とすれば、『師』を通して学びえた真理は立体的である」 

と語り、更には、

「真理は現実の只中にあり、本というものは有力な手引きや媒体でしかない」 

とも語り、そこで、二宮尊徳の 「活眼をひらいて天地不書の経文を読め」 という言葉を挙げています。

しかし、この示唆は、「良書」を読み、深く何かを身につけて悟る体験を重ねてこそ、ただ観念的な解釈ではなく、現実の事柄に照らしてようやく具体的に理解できるものなのでしょう。


自分との出会い

「 人は誰でもこの世に生を受けた時に、天からの 『封書』 を授かる 」

様々な出会いや体験を重ね、この「封書」の存在に気づくこととなる前提は二つあり、その一つは、その時までに培った人間性、あるいは人格性であり、一つは、生まれながらにして授かった本当の自分の強みを見い出せたか否かであると、私は考えています。

更にいえば、この「封書」に気づいて以降、歳と共にその「封書」の意味することの解釈が変化し、生きることの意味づけや、打ち込まんとする事柄の次元が変化して行くことももちろんあるわけであり、いずれにしても、この天からの「封書」に関わることには、一時、呼び水的に外部の環境が影響することはあり得るとしても、しかし、本質的には、そして最終的にも、すべてが自分の判断と選択の問題であり、課題であるといえるのでしょう。


偶然ということはあり得ない

私は、「人物」との出会いにも、「良書」との出会いにも、まったくの偶然はないと思っています。

それらの出会いは、自らのその時時までに培った人格をベースにしたその時時の中心欲求や関心事に呼応したものであり、その上で敢えていえば、私には、天の見えない力がその時の「自分にとって必要な」出会いを用意し差し伸べてくれているようにさえ思えるのであり、もしそうだとすれば、それらの出会いは「必然」なのかもしれません。

なお、ここでいう「自分にとって必要な出会い」とは、例えば人物との出会いでいえば、価値観を共有できない「人物」との苦悩と試練を伴った出会いも含めてです。

天の見えない力は、自分が欲しいと思う出会いではなく、その時時にあって、その人の成長のために必要な出会いを用意してくれるのかもしれません。


そして、この3つの出会いを人間性、人格性の変化と結びつければ、「人物」と「良書」との出会いはその変化を導く触媒となるものであり、新しい自分、つまり「未見の吾」との出会いこそが、表面的ではないその人の本当の変化といえるのです。


今回はここまでです。

最後までお読み頂きましてありがとうございました。


今日が大事、今日が大切。

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おはようございます。 一人のヴィアトールです。

「 マネジメントとは、事業に命を与えるダイナミックな存在である。彼らのリーダーシップなくしては、生産資源は資源にとどまり、生産されない。彼らの能力と仕事ぶりが、事業の成功、さらには事業の存続さえ決する。マネジメントこそ、企業がもちうる唯一の意味ある優位性である。」

                                P・F・ドラッカー


このドラッカーの主張を前提に、前回と前々回でご紹介したかつてのブログでは、「真摯さ」について、組織人によるマネジメントの切り口から捉えてみました。


その内容をドラッカーの言葉によってふり返ると、

厳しいプロは、高い目標を掲げ、それを実現することを求める。誰が正しいかではなく、何が正しいかを考える。頭の良さではなく、真摯さを大切にする。つまるところ、この真摯さなる資質に欠ける者は、いかに人好きで、人助けがうまく、人づきあいが良く、有能で頭が良くとも、組織にとっては危険であり、上司および紳士として不適格である。

リーダーたる者にとって最も基本的な資質は、「真摯さ」である。信頼するということは、リーダーを好きになることではない。常に同意できることでもない。リーダーが言うことが真意であると確信を持てることである。それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である。

真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。


そして、「真摯さの定義は難しい、しかしマネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如を定義することは難しくない」として、真摯さが欠如するリーダーの価値観や行動を具体的に5つあげ、もしリーダーがそのように真摯さに欠如する者であれば、その組織では、やがてマネジメントと仕事に対するあなどりを生み、組織の精神を低下させ、そして組織全体を堕落させて行く。

としています。


今回は、さらにかつてのブログでのこの続きを、以下ご紹介いたします。


そのあなどりや精神の低下、堕落は、目的的な本来の成果、ないしはそれぞれの責任に応じた貢献課題から目をそらすことによって先ず現れ、他にも様々な判断や決定において、企業がもちうる唯一の意味ある優位性であるべき「マネジメント」の機能に自らブレーキをかけることによって進行し、そして諦め感の漂う中で多くの人が目先の仕事に忙殺され、ある人はその事にしらけ、ある人は自らの生存に意味を見出し、そしてそれが常態化し、その惰性と共に深耕して行きます。

冒頭のドラッカーの主張の中の、「彼らの能力と仕事ぶり」の「仕事ぶり」が組織を堕落させるということです。

では、もう一方の「能力」とは何か。ドラッカーは次のように語っています。

成果をあげる人のタイプなどというものは存在しない。成果をあげる人に共通するものは、成果をあげる能力だけである。仕事や成果を大幅に改善するための唯一の方法は、成果をあげるための能力を向上させることである。そしてそれは習得できるものである。成果をあげることはひとつの習慣である。習慣的能力の集積である。習慣的能力は常に習得に努めることが必要である。習慣的能力は単純である。習慣になるまで反復しなければならない。

以上が前回と前々回の要約です。


ここでは、人間のもつ「真摯さ」を組織のマネジメントの切口から捉えていますが、実際の組織にあっては、成果をあげる能力を身につけた上で真摯さを備えた人もおり、欠如した人もおり、一方、真摯な人の中には、成果をあげる能力を身につけた人も、そうでない人もいるというのが現実であり、そして、それがあるがままで自然なことといえるのでしょう。


そこで繰り返せば、

リーダーたる者にとって最も基本的な資質は、「真摯さ」である。

信頼するということは、リーダーを好きになることではない。常に同意できることでもない。リーダーが言うことが真意であると確信を持てることである。それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である。


「真摯さなくして組織なし」

真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。それはまず、人事に関わる決定にいおて象徴的に表れる。真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間でわかる。


となるのです。


なお、「真摯さ」とは、その人を信頼に足ると確信できる人格的な特性であり、それは、虚構性のない誠実な心のことであり、そして事に向かうに当たっては、そのひたむきな誠実さを、常にその思いと行動の起点とするような精神であるといえるでしょう。


ところで、折に触れて私が使う言葉 「分かるの扉が開く」 とは、何かを学び、自分に照らして何かに気づき、そしてそれがいつも心に残る具体的関心事となり、時に応じてそれを何度も実践して行く中で、ある時、「ああ、そういうことなんだなあ・・・」としみじみと実感してその真意を会得するようなものだと、私は決めています。

つまり、「分かるの扉」とは大なり小なりに「悟る扉」であり、したがって「変化」の関所的扉なのです。


学ぶことと人間の変化について

ここで、今までに何度か記事にしてきましたが、「学ぶこと」と、「変化」について改めて考えてみます。


学問は人間を変える

学問は人間を変える。人間を変えるような学問でなければ学問ではない。その人間とは他人のことではなくて自分のことである。他人を変えようと思ったらならば、先ず自分を変えることである。

                                   安岡正篤


佳書と出会う

不幸にして佳人には会わず、佳山佳水に会わずとも、佳書にだけは会いたいものであります。佳書によって、我々はしみじみと自分自身に話すことができるのであります。天地が壊れる時も、ああ天地が壊れると語れるのであります。これこそ天地の外に立つのであります。

                                   安岡正篤

我々の日常生活の中に宿る意味の深さは、主として読書の光に照らして初めてこれを見出すことができるのであって、もし読書をしなかったら、いかに切実な人生経験といえども、真の深さは容易に気づき難いといえる。

                                    森信三


ここで決定的に重要な事は、何かを学んで「知識」や「意識」が変化しても、実際には、その段階では何も変化はしていないということです。

変化とは、「具体的な何か」を変えようとする行動でしか起こらないのです。意識の中の「変わるの希望状態」や、「良き意図」ほど当てにならないものはないのであり、「目から落ちたウロコ」でさえ、何もしなければたいがいは三日で戻るのです。


加えて認識すべきは、人間は自分を変えることは可能であっても、他者を自分の思うように変えることは、およそ不可能であるということです。そもそも、人は自らの動機や中心欲求によって物事を聞き、読み、知覚するのであり、極端にいえば、それ以外のことは自分とは無関係な雑音として聞き流すか、そうでなくとも直に記憶から消え失せてしまうのです。


人は、何か具体的な事柄に出会い、それによって「未見の吾」を求めてより良く生きようとする自らの起爆エンジンに自ら点火をすることによってこそ、変化に立ち向かい始めるのです。


今回はここまでです。

最後までお読み頂きましてありがとうございました。


なお、次回も更にこの続きのかつてのブログをご紹介したいと思います。


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おはようございます。 一人のヴィアトールです。


リーダーたる者にとって最も基本的な資質は、「真摯さ」である。

信頼するということは、リーダーを好きになることではない。常に同意できることでもない。リーダーが言うことが真意であると確信を持てることである。それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である。
                                 P・F・ドラッカー

これは先回の記事からの抜粋です。

「そこで今回は、このドラッカーの主張を足がかりとして、「真摯さ」とマネジメントの関わり、すなわち組織に成果をもたらす能力との関わりについて、更にドラッカーの著書を引用しながら、私の思う事を書いてみます。」


今回は、以上の書き出しで始まるかつてのブログを、以下多少集約修正してご紹介いたします。


ドラッカーは次の様にも語っています。

私は、成果をあげる人のタイプなどというものは存在しないことにかなり前に気づいた。私が知っている成果をあげる人は、気質と能力、行動と方法、性格と知識と関心などあらゆることにおいて千差万別だった。

外向的な人もいれば、超然とした内向的な人、中には病的なほど恥ずかしがり屋の人もいた。過激な人もいたし、痛ましいほど従順な人もいた。太った人も痩せた人もいた。心配性の人も、気楽な人もいた。酒飲みも、酒嫌いもいた。魅力的で温かい人も、魚のように冷たい人もいた。

通俗的なリーダー像どおりの、目立つ人たちがいた。逆にその存在も気づかれないような、何の特色もない人もいた。学究肌の人もいれば、ほとんど文字も読めない人もいた。幅広い関心を持つ人もいたし、逆に、狭い領域以外のことに関心を持たない人もいた。利己的ではないにしても、かなり自己中心的な人もいた。心の広い人もいた。仕事に生きている人もいれば、地域や教会の仕事、漢詩の研究、あるいは現代音楽など、仕事でないことに関心を持つ人もいた。

                             「経営者の条件」より


ドラッカーがここで言う 「成果をあげる人」 とは、組織の中の人ということが前提であり、職制上のリーダーであれ、そうでなかれ、意思決定を行い、リーダーシップを発揮して人を動かし、そのことによって成果をあげる人のことを言っております。

その上でドラッカーは、 「リーダーたる者にとって最も基本的な資質は、真摯さである」 とした上で、その真摯さを定義することは難しい、だが「マネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如を定義することは難しくない」 と語り、その内容を具体的に、かつシャープに語っているのです。 (前回の記事参照)

ドラッカーは、敢えてここでは「真摯さ」を定義せず、「マネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如」を定義したのでしょう。

つまり、ここでは「真摯さ」そのものを定義することは重要でなく、要は、真摯さに欠けた人物を見極める判断の基準を知り、そのことによって、現実の組織にあってそのような人物をその組織の「長」として任用しなければ、健全(まとも)な組織の大前提を保つという、現実的に重要な事の用は足りるということです。



いずれにしても「真摯さ」を定義することは難しいのですが、それは、特定の気質や性格にはかかわらない、何かに対するひたむきな心なのだと思います。

しかしその「真摯さ」は、リーダーにとって必要十分条件ではありません。最も基本的な資質ではあっても、それだけでは成果を安定的に生み出す力にはなりません。

そこで、成果をあげる能力とは何かということになります。


成果をあげる人に共通するものは、つまるところ成果をあげる能力だけである。

ドラッカーの著書 「経営者の条件」には以下の様にあります。


成果をあげる人に共通するものは、つまるところ成果をあげる能力だけである。企業や政府機関で働いていようと、病院の事務長や大学の学部長であろうとまったく同じである。いかに聡明、勤勉、創造的、博識であろうと、成果をあげる能力に欠けるならば成果をあげることはできない。

言い換えるならば、成果をあげることはひとつの習慣である。実践的な能力の集積である。実践的な能力は修得することができる。それは単純である。あきれるほどに単純である。7歳の子供でも理解できる。しかし身につけるには努力を要する。掛け算の九九を習ったときのように練習による修得が必要になる。6、6、36が何も考えずにいえる条件反射として身につかなければならない。習慣になるまで何度も反復しなければならない。

私は小さい頃、ピアノの先生にこういわれた。「残念ながら君はモーツァルトをシュナーベルのように弾けるようにはなりません。でも音階はシュナーベルと同じように弾かなければなりません」。もうひとつ、おそらくあまりにあたり前のことだったためであろうか、彼女が付け加えなかったことがあった。それは、偉大なピアニストたちでさえ、練習を重ねなかったならば、あのように弾けるようにはならなかったということである。

いかなる分野においても、普通の人であれば実践的な能力は身につけられる。卓越はできないかもしれない。卓越するには特別の才能が必要である。だが成果をあげるには人並みの能力があれば十分である。音階が弾ければよい。


「 5対5 」 が、最もバランスが取れていて、成果も大きい

ところで、特に私がかつて携わってきた人間産業としての小売サービス業でいえば、そのマネジメントのあり方は、右手に愛や思いやりという温かい心を持ち、左手にシャープな論理性を持ち、そのウエイトが5対5であることが最もバランスが取れた状態であり、成果も最大であるといえます。

つまり、5×5=25であり、1×9や9×1はいくら頑張ってもそのアウトプットは最大で9でしかないのです。もちろんこれは25センチの面積のことを言っているのではなく、正方形のバランスを保ちながら両辺を更に研ぎ澄ませ、ということです。


人間は「知」「情」「意」の総体であり、従って、「情」と「意」を修練させるための「人間学」と、時の務めを全うになす「知」を身につけるための「時務学」の両方について、研鑽を積まなければならないということです。


生身の人間にとって、「知による論理の力」だけが一人歩きすることはあり得ないし、そうしようとしてもそれは所詮無理なことなのです。




一言・人を誤る

人間の本当の正しさは、ちょっとした日常の挨拶や振る舞いにあらわれ、何でもない行動に、案外人間内容やその背景を知ることができるものです。

昔からよく言うように「一言・事を破る。一言・人を誤る」で、ついうっかり言った言葉、ちょっとやった行為がその人の人間を決定します。

                                    安岡正篤


つまり、ドラッカーがいうところの、「真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間でわかる」 ということなのでしょう。


そしてもう一つ、決定的に心すべき事は、

「継続」 は人間力の「力」の源泉であり、「徹底」 は人間力の「強さ」の基盤である。

ということです。


「ひたすら考え、ひたすら学び、ひたすら実践で検証する」という、「実学」の3点セットを回し続ける。

知識は、単なる「教養知」ではなく、徹底して「実践知」にしなければならないということです。


今回はここまでです。

最後までお読み頂きましてありがとうございました。


なお、次回も更にこの続きを改めてご紹介してみようと思います。


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おはようございます。 一人のヴィアトールです。


考えてみれば、企業の組織人としての私の長いビジネスマン人生にあって、特にその後半になってからの私の強い関心事は、ますます「人と組織」となって行ったといえます。

その「人と組織」に対する強い関心事は、P・F・ドラッカーの著書を何度も読み返し、実務に適用し続けることで、私の具体的で確たる判断と行動の基準となって具現化されていきました。


今回は、以上の書き出しで始まる表題のかつてのブログを、以下多少集約修正してご紹介いたします。


「 マネジメントとは、事業に命を与えるダイナミックな存在である。彼らのリーダーシップなくしては、 生産資源は資源にとどまり、生産されない。彼らの能力と仕事ぶりが、事業の成功、さらには事業の存続さえ決する。マネジメントこそ、企業がもちうる唯一の意味ある優位性である。」

                                 P・F・ドラッカー

このドラッカーの主張こそが、「人と組織」に対する私の考え方を支える、中心の主張です。


マネジメントとは、組織のあらゆる階層のリーダーに求められる基本的機能であり、かつその機能は、組織の一員として一個人が自らを律する基本的機能でもあります。

更に、このマネジメントの機能を、企業組織の本来の目的に向けて健全に機能させるもの、それは「知識」ではなく、「真摯さ」であると私は考えています。


リーダーたる者にとって最も基本的な資質は、

「真摯さ」 である。

ここで、かつてのブログ記事 「 『真摯さ』 ということについて 」 (2012年7月7日投稿)に記した、ドラッカーの著書からの引用をご紹介いたします。

「プロフェショナルの条件」

厳しいプロは、高い目標を掲げ、それを実現することを求める。誰が正しいかではなく、何が正しいかを考える。頭の良さではなく、真摯さを大切にする。つまるところ、この真摯さなる資質に欠ける者は、いかに人好きで、人助けがうまく、人づきあいが良く、有能で頭が良くとも、組織にとっては危険であり、上司および紳士として不適格である。


「リーダーたる者にとって最も基本的な資質は、真摯さである」

信頼するということは、リーダーを好きになることではない。常に同意できることでもない。リーダーが言うことが真意であると確信を持てることである。それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である。

「真摯さなくして組織なし」

真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。それはまず、人事に関わる決定にいおて象徴的に表れる。真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間でわかる。

真摯さの定義は難しい、だが、マネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如を定義することは難し
くない。

①強みよりも弱みに目を向ける者をマネジャーに任命してはならない。できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、やがて組織の精神を低下させる。

②何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネジャーに任命してはならない。仕事よりも人を重視することは、一種の堕落であり、やがては組織全体を堕落させる。

③真摯さよりも、頭の良さを重視する者をマネジャーに任命してはならない。そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常なおらない。

④部下に脅威を感じる者を昇進させてはならない。そのような者は人間として弱い。

⑤自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジャーに任命してはならない。そのような者をマネジャーにすることは、やがてマネジメントと仕事に対するあなどりを生む。


以上がかつての記事の中で取りあげた、ドラッカーの著書からの引用です。


ここでドラッカーが語っていることは、言い方を変えれば、

大木にあって、多くの枝葉を従える幹となるところ(幹部)には、利につく人や勢いにつく人ではなく、義につく人をつけなければならない。

ということになるのでしょう。

しかし、諸般の事情によって、そうとは言い難い組織となっている場合があるのが現実であり、であるとすれば、それらの組織は、目的に沿った本来の成果から、ないしはそれぞれの責任に応じた貢献課題からも目をそらし、他にも様々な判断や決定の局面において、企業がもちうる唯一の意味ある優位性であるべき「マネジメント」の機能に対して自らブレーキをかけてしまうこととなるのでしょう。


変化は真理である。

ところで・・・、

人は誰でも、潜在的にはその人の成熟に向かって自らを前進させようとする力を持っているものです。ですから、適切な心理的条件や環境にあれば、自らを成長させようとするその潜在的な芽は、現実の思いや行為となって表れてくると、私は思っています。

したがって、企業組織の中のおおよその人間は、いつの時にか、いずれかの場所のいずれかの位置で、主体的なる静かな改革者であった経験を持っているのではないか、とも思っています。

ここで認識すべきは、「時」というものは止まったり逆戻りすることはなく、刻一刻と前に進み、しかも、一時も全く同じ状態にあるということはあり得ないということです。つまり、一回性の連続と変化はこの世の真理なのです。

かくて、その真理の中で生きている私たちは、外部から刺激を受け、刺激を与え、その過程のなかで変化していくのであり、そのような人間に変わらないことを要求することは間違いであり、決めつけてしまうことももちろん間違いなのだと思います。

人はそれぞれに、その時時に出会う人と事柄に自分らしく応じ、その繰り返しによって自分の人格を形成していくのです。

であればこそ私は、巡り来るその時時の事柄に唯々順応して生きていくのではなく、自分の人格を刻んで判断し、選択するぶれない基準を身につけ、それを更に深耕させ、そのようにして変化
しながら前に向かって行きたいと思うのです。

人生の螺旋階段上のレールの上で、刻一刻と前に進む未来に向かって少しでもより良く変化しながら、しかし、変わらない何かを自分のものにしたいのです。


ドラッカーの著書「プロフェッショナルの条件」の最後の章である「自己実現への挑戦」には、

成長するということは、能力を修得するだけでなく、人間として大きくなることである。責任に重点を置くことによって、より大きな自分を見られるようになる。うぬぼれやプライドではない。誇りと自信である。一度身につけてしまえば失うことのない何かである。目指すべきは、外なる成長であり、内なる成長である。

とあります。


それにしても、とってつけるわけにはいかない「真摯さ」とは、どのようにして芽生えさせ養うことができるのでしょうか。それをいかにしたら一度身につけてしまえば失うことのないものとすることができるのでしょうか。これは、人間として全うに生きて行く上で、まったく重要なテーマです。


今回はここまでです。

最後までお読み頂きましてありがとうございました。


なお次回は更にこの続きを改めてご紹介したいと思います。



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おはようございます。 一人のヴィアトールです。



私が「論語」に親しみ共感もするようになったのは、50歳を幾つか過ぎたころからでした。私はそれを遅くはなかったと思っています。もしかすれば、早すぎずによかったのかもしれません。


そこで今回は、前回、前々回の内容に関連して、私が人生の道しるべとしている論語の章句を4つ選んでご紹介いたします。



学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。

朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。



人知らずして慍らず、亦君子ならずや。



天を怨まず、人を尤めず、下学して上達す。

我を知る者それ天か。



人知らずして慍(いきどお)らず。

天を怨(うら)まず、人を尤(とが)めない。
我を知る者それ天か。


自分の意思で切り開いてきた人生の中で、順境にあっても逆境にあっても、その人の人生は常に天の意思と結びついていた。あるいは順境逆境に応じたその時その時の人の評価がどのようなものであっても、天は常に別の次元で私を一定に評価している。


そのように思えば心は解放され、冷静に自己をみつめながらも心が穏やかになれます。



日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、

と交わりて信ならざるか、習わざるを傳うるか。



言ったことは必ず真心を込めて行ったか。信の友に対して、真心を尽くしてことを行ったか。自分が実習をせずただ頭だけで知って口先だけで人に教えてはいないか。


日に何度も、ことあるごとに自分を振り返ってみる基準を持っていたいものです。



子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。

四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。

七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず。



今の私にとっては、五十にして以降が大いなる道しるべです。



今回はここまでです。



最後までお読みいただきましてありがとうございました。



今日が大事、今日が大切。
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