今日は、本来JR東日本の駅からハイキング&ウォーキング「山手線駒込駅周辺の人気スポットを歩く」に参加する予定日でした。
 天候は良く晴れていて、ウォーキングに良い日だと思います。
 しかし、以前に書いた様にドクターストップがかかっている今。参加する事ができません。
 では、どう言う所をウォーキングするのだったか、次に紹介します。

$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-2010.12.11コース案内
 駒込駅をスタートして、「六義園」「妙行寺(お岩さんの墓)」「紙の博物館」「渋沢史料館」「旧古河庭園」等を回って来るのですね。

 それぞれどう言う所かを紹介します。
・「六義園」
 六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園である。元禄 8年(1695)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約 2万 7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、 7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を現出させた。
 「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来している。六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、その設計は柳沢本人によるものと伝えられています。
 元禄15年(1702)に庭園と下屋敷が一通り完成すると、以後将軍綱吉のお成りが頻繁に行われるようになる。その回数は記録されているものだけでも実に58回もあり、吉保の寵臣ぶりもさることながら、この庭園自体が当時にあっても天下一品のものと評価されていたことがうかがえます。
 柳沢家は次の吉里の代に甲府から大和郡山に転封となるが、六義園は柳沢家の下屋敷として幕末まで使用された。時代が下るにつれ徐々に荒れはしたものの、江戸を襲った度々の火災で類焼することもなく明治を迎えました。
 明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施され、このとき周囲が今日見る赤煉瓦の塀で囲まれました。その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、昭和13年(1938)には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった(有料)。東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、昭和28年(1953)に特別名勝に指定されています。
 六義園は躑躅の花が特に有名で、地元では「駒込と言えばツツジの花の咲く街」と謳われるような象徴的な存在となっています。また庭園入口近くにある枝垂桜も、 3月末に枝いっぱいの薄紅色の花を咲かせる名木として有名で、この枝垂桜の最盛期と紅葉の最盛期にはライトアップもされ綺麗です。芝生の整備も行き届いており、都内を代表する日本庭園として名高く、海外からの観光客も多い。
(Wikipediaより、一部改訂及び加筆)

・「妙行寺(お岩さんの墓)」
 妙行寺(みょうぎょうじ)は、東京都豊島区にある法華宗陣門流の寺院で山号は長徳山。本尊は大曼荼羅です。
 1604年(慶長 9年)日善の開山により麹町清水谷に創建されたのにはじまる。1624年8寛永元年)四谷鮫河橋南町に移転、現在の西巣鴨の地に移ったのは、1909年(明治42年)のこととなります。
 この寺には、鶴屋南北(1755年~1829年)の歌舞伎「東海道四谷怪談」で知られる於岩(お岩さん)の墓や、元禄赤穂事件で有名な浅野長矩の正室瑤泉院の供養塔、明治時代の常磐津の名人の林中(りんちゅう)の墓があります。一度参拝してみるのも、面白いかも知れませんね。
所在地:東京都豊島区西巣鴨四丁目 8番28号
(Wikipediaより、一部改訂及び加筆)

・「紙の博物館」
 明治6年王子村に渋沢栄一によって抄紙会社が設立され、日本の製紙工業の先駆的な役割を果たしました。紙の博物館は、昭和25年にレンガづくりの製紙工場の建物を使い、開館したのがはじまりです。紙に関する資料は50,000点以上に及びます。イベントなど詳しくは紙の博物館のサイトをご覧ください。
公益財団法人紙の博物館のサイトは、こちらになります。 http://www.papermuseum.jp/
《入館料》一般300円,小中高100円
     団体扱い(20名以上)一般240円,小中高80円
 駅からハイキング&ウォーキング「山手線駒込駅周辺の人気スポットを歩く」に参加者は、団体扱いになっています。
所在地:東京都北区王子一丁目 1番 3号(飛鳥山公園内)

・「渋沢史料館」
 東京都北区西ヶ原にある渋沢栄一の生涯と事績に関する博物館(登録博物館)。飛鳥山公園内にある「飛鳥山3つの博物館」の一つ。展示室のある本館のほか、渋沢栄一の旧邸として大正期に建てられ重要文化財に指定されている晩香廬(ばんこうろ)と青淵文庫(せいえんぶんこ)を公開している。
 「飛鳥山3つの博物館」とは、「紙の博物館」「渋沢史料館」と「北区飛鳥山博物館」の3つです。
 今回の駅からハイキング&ウォーキング「山手線駒込駅周辺の人気スポットを歩く」では、この3つ全部を廻る事になっているのですね。
所在地:東京都北区西ヶ原二丁目16番 1号(飛鳥山公園内)

・「旧古河庭園」
 東京都北区にある都立庭園である。1917年(大正6年)に古河虎之助男爵の邸宅として現在の形に整えられました。現在は国有財産であり、東京都が借り受けて一般公開している。国の名勝に指定されています。
 明治期の当地は陸奥宗光の邸宅であったが、宗光の次男潤吉が古河財閥創業者である古河市兵衛の養子となったため、古河家に所有が移った。
 その後、1917年(大正 6年)に古河財閥3代目当主の虎之助(市兵衛の実子)によって西洋館と庭園が造られ現在の形となりました。洋館と洋風庭園は、戦前に亘り多くの洋風建築を手掛けたジョサイア・コンドルにより設計された。また、日本庭園は近代日本庭園の先駆者として数多くの庭園を手掛けた小川治兵衛(植治)により作庭された庭園です。
 1926年(大正15年)に虎之助夫妻が牛込市谷船河原町に転居した後は、古河家の迎賓館として使用されました。 第二次世界大戦中は陸軍に接収され、南京国民政府成立前には、汪兆銘が匿われていた事もあったといわれます。
 終戦後は連合軍に接収され、イギリス大使館付駐日武官の宿舎などに利用されました。
 財産税の物納で国有財産になった後は東京都に無償で貸し出され、1956年(昭和31年) 4月30日に都立公園として開園した。その後も洋館は半ば放置された状態で荒廃が進んだが、1982年(昭和57年)から1989年(平成元年)まで7年をかけた修復工事により現在の状態まで復元された。2006年(平成18年)には、大正時代初期の形式をよく留める庭園が評価され、国の名勝に指定されました。
所在地:東京都北区西ヶ原一丁目27番39号
(Wikipediaより、一部改訂及び加筆)

 これらの場所を調べてみると、駒込駅を中心として近所のお散歩(?)という感じでも有りますね。それでタイトルが、「山手線駒込駅周辺の人気スポット・・・」なのですね。
 駒込付近には、いろいろな所が有るのだなと思いました。他の所も調べてみると、面白いと思います。膝が治ったら、今回参加する予定の友達から地図を借りて一人でウォーキングをしてみようかな?と、思っています。







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