今朝の秀直さん記事は、『世襲批判』関連になっている。
(世襲制限)「コンクリートの天井」を破る資格を有するのは、自らの特権身分を放棄するもののみ

世襲批判は無意味だ。
さらに、秀直さんの自意識というか... キレイ事... それらが表す今どきのどーしょもない大人たちの発想と共通する部分にも、大変に残念に思う。

自分が苦労して積み上げてきたものを子供にリレーしたいと思う気持ちは、親という人間として当たり前のことだ。


記事のように、秀直さんはそれを“特権”と呼んでしまっている。
確かに、特権なら世襲は批判される。
国会議員になることが特権ならば、その国はもう終わりだ。
どうやら政治家は、ホントにヌルい仕事をしているようだ... 大きく勘違いをしていた。


まあいい、本筋に入ろう。

政治家になるには、そうせざるを得ない環境にいるか、そこに強い動機があることが必要だ。

政治家の定員が足りていない(前回の民主参院や小泉さんの衆院など)ときは、黙っていたって向こうが人手を必要としている。ところが、足りている時はどうあがいたって・・ ロクに枠が空かない。
そうなってくると、「選挙に勝てるかどうか」を希望者間で競わされることになる。バックに大きな組織を抱えているのか... どっかしらからいっぱい資金を持ってくるのか... ハナっから国民に人気があるのか...。

大きな組織だったり、資金だったりを持っている人間は、ハナっから国民の代表としてふさわしくなかったり、そうなるために努力してきた(政治家になることを目標としてきた)人だったり(つまり、そのための手段がまっとうでない可能性は高い)、とてもじゃないが、昭和時代から散々文句を言ってきたような・・ 大変にダークな政治家が増えることだろう。※もちろん、そのようなダークな方々を歓迎しているのなら、まったく問題はない。

タレントのような人気者でない場合、しがらみやコネクションなどを引きずってこそそこにたどり着けるわけであり、当の本人はそれら支援者やしがらみを無視して政治活動を行っていくことなどできない。

また、そうではなく、立派なことを言って入党したり、松下政経塾などで学んで入党する・・ このような一見能力によると思われるルートは存在する。
ところがそれは、わざわざ政治で問われるまでもなく、本来ならば各政党が勝手に行うべきことであり、つまりこれを望んでいるというのならば、そもそも現在の政党自身が問われる内容だ。
そして、政経塾でも自らアピールでもいいんだが・・ それはつまり、政治家になりたいと強く望んでいるということになる。きっと「自分が日本を変える!」と思うくらいの自信も必要だろう。
さあ、どうだ┐( ̄ヘ ̄)┌ とんだ勘違い野郎であろう。
それだけの能力と自信... それで初めて組織のいち議席。
それ以前に、ここは能力より動機の影響が優っているんだ。

政治を変えるには、政治家を変えるんでなく、国民を変えなければならない。これは先日の北朝鮮の話しでも同じことで、金正日を変えるんでなく、国民の支持を変えなければならないというのと同じことだ。

結局、クリーンだ能力だと言っていると、まっとうな道は族議員しか残らない。

能力などというものは、政治家になってから発揮されるものではなく、政治家になるまでに発揮されるもので、能力を重視するということは、人との真っ当な繋がりやルールを軽視し、それを効率的にそして合理的に目指していく時に発揮され、つまりそれは人としてどんどんダメになっていくということだ。

意欲と能力・・・ それが正しい!と主張するのであれば、それは既存政党自身が問われているということだ。
まさか無所属でも可能に・・ と言うんであれば、それは世襲云々の話しではない。
それは、費用も機会(演説会・放送・ネット・掲示等)も皆一律に、しかも公費から出す・・ という選挙制度にすることが先だろう。そもそもホントに能力や人間性のようなものが大事だと主張するのなら、このような選挙制度案などとっくに出ているハズだ。

どんだけユーシューな人を集めようとしてるのか知らない。とゆうか、皆自分のが能力があるとでも思っているようだが...  それ以前に、目的のために手段を選ばないような人間が頭がキレて政治家にもなってしまうようでは、もっと深刻だ。



タイトルと逸れてしまったので、そこを補足する。

大学を出ていきなり政治家になることはできない。
ということは、一旦何かしら社会活動をする。ホントに能力というものが重要だというのならば、その人はきっとその社会生活で成功を収めているだろう。
そして、そんな人は腐るほどいるだろう。その人らはその場所で大変に必要とされ、また意義を感じているだろう。その人たちがわざわざ政治家の道を選ぶには、よっぽど政治家になりたいというインセンティブがなければならない。・・・・この部分だけ取って見ても、能力よりもそれを目指したいという意思がそれを決めていると分かる。
また、そのような奇跡的なめぐり合わせ(有力者と知り合う等)が起きる可能性よりも、自らそんなコネクションにたどり着けるために活動していく人の方が、ずっとそのようなめぐり合わせにたどり着ける可能性が高い。それは、ハナっからそれを志望し、そのために活動している人間ということになる。

この2つを統合してもなお、能力というものが重視されていると考えるのならば、それはどっかしら何かしらの道で名を成した人間が、「その道をさらに進める上では政治と無関係ではいられない」ということで立つ・・ つまり、もう十分な年齢に達している人ということになる。

55で言う能力とは、そのようにどっかしら何かしらの道を極めた人を言う。
それがない上での“能力”など.... それは妄想だろう。
第一、「こいつめちゃくちゃ頭いいな!」と思ったところで、そいつが政治家になるべきかどうかは、微妙なところだ。そいつがもしとんでもない野望を秘めているとしたらどうだ?私たちはむしろそいつを落選させたいだろう。