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謎の多い祖父の戸籍、沈黙が隠した家族の過去。すべての家庭の床下には、戦争の記憶が埋まっている。新宿角筈『翡翠飯店』クロニクル。
新宿にある中華料理店・翡翠飯店を営む藤代家の三世代に渡る年代記。
”逃げて”生き続けたある一家の物語です。
物語の始まりは祖父の死。
普通の家とはどこか違うと感じていた自分の家
祖父母の代から突然発生したような一家。
祖父母はどこで生まれ、どこで出会い、何故こんな都心で中華料理屋を開けたのか。
祖父の戸籍にあった、あまりにも沢山の知らない人の名前。
そしてこの祖父の死がきっかけで、良嗣は祖母と叔父と共に祖父と祖母が出会った異国の地・中国・長春への旅を始める。
それと並行して戦時中、祖父と祖母が満州で出会い、逃げ、良嗣の父親・慎之輔や太二郎らが生きた戦後高度経済成長期、そして良嗣が生きる昭和の終わり~平成までが描かれていきます。
藤代家一家のお話を読んで、やっぱり親子なんだな、血が繋がっているってこういうことなんだな、と感じずにはいられませんでした。
人間は一人一人違う。
だけど良くも悪くも、家族である限りその根底には同じ血が流れているのだと。
日本から満州に行き、満州で出会った祖父・泰造と祖母・ヤエ。
満州で必死で生き、必死で逃げ、恋も愛もわからぬまま子供を産み、一緒になった二人。
日本に戻ってきても帰る場所なんてなかった二人が始めた翡翠飯店。
学もなく、何を羨むでも恨むでもなく、ただただ時代に流されながら生き延び過程を築いた。
この二人が必死で”逃げた”からこそ、今の藤代家がある。
しかし逃げることで生き続けた二人は、子供たちにも逃げることしか教えてあげられなかった。
泰造もヤエも何も悪くない。
むしろ必死で生き延びたことはすごいことだと思う。
もし自分が彼らの立場だったとしたら。彼らのように必死に逃げて生き延びられた自信はない。
”逃げる”というのは言葉はすごく悪いかもしれない。
だけど彼らが”逃げた”のはすごく勇気がいることで、それを負い目に思って生き続けた二人が不憫に感じてしまったりもしました。
そして時代は変わる。戦争は終わり、高度経済成長期。
泰造とヤエの子供・慎之輔や太二郎、今日子、基三郎らの時代。
もう戦争で死ぬなんてことはない。食べ物がなくて飢え死ぬこともない。
そんな時代、慎之輔はただ現実から”逃げる”。
正直慎之輔の根無しはちょっと呆れてしまいます。
だけど現実から逃げて逃げて逃げたからこそ、沢山失敗も後悔もし、そして自分の道を見つけたのかもしれない。それは決してすばらしいものではないかもしれない。だけどきっとそれが”普通”であり”幸せ”なことなのかもしれません。
学があって慎之輔よりよっぽど将来が明るそうに見えた弟達。
いつ何が起きて躓くかわからない。逆にいつ何が起きて成功するかもわからない。
でもきっとそれが”生きる”ということ。
そして泰造・ヤエの孫であり、慎之輔の息子である良嗣が生きる現代。
何かを自分から積極的にやりたいと思ったこともなく、ただただ流されるように生きてきた良嗣。
そしてこんな自分の性格、消極的な適応力は藤代家全体のものではないかと感じる。
三世代、生きる時代が違う。
そしてその時代時代の生き方や考え方がある。
藤代三世代は見事にその時代に生きた人間が描かれています。
それでいて、彼らにはやはり同じ血を感じる。やっぱり家族なのだと。
彼らのなんともふらふらした軽くて適当な感じが良くも悪くも似ているのです。
この時代の変化と家族の描き方が見事。
翡翠飯店は、藤代家は決して皆が居心地がいいと思っていた家ではなかったかもしれない。
むしろその逆だったかもしれない。
だけど、自分たちには帰る場所がなかった泰造とヤエが、逃げ続けた二人が
誰もが逃げ帰ることのできる場所を作りあげることに成功したのではないでしょうか。
普通の家とは違ったかもしれない。
だけど何が普通で何が普通じゃないなんて基準はどこにもない。
根がなければ作ればいい。
後悔はしてないけど、悪かったと思うことはある。というヤエの言葉は重く心に響き、
ヤエに、あなたの生き方は間違っていなかった、何も悪くない、
そう言ってあげたくなりました。
大きな事件が起こるわけではない、ただただある一家の物語が語られていくだけです。
だけどとてつもなく壮大な物語を読み終えた感じがしたのも事実。
また私、今まで”逃げる”というマイナスの言葉が嫌いでした。
だけどこれを読んで、”逃げる”ことも時には必要なのではないか、悪いことばかりではないのではないか、そう思えるようになりました。
★★★★