こんばんは、暇なのでブログ更新して時間を潰しています、ピュレです。

前回のブログで書き忘れていましたが、先に枚挙したアーティストの音楽の数々は、痛みの伝わってくるものばかりです。個人的に。

バンドブームの音楽の多くは青々しさ、心残りな感覚がして、そこから胸が痛んでくるものばかりでした。もちろんこれはあくまで一個人の感想であるがゆえ、あなたの聴く音楽が幸せそうなものに聴こえるのなら、それを明るく解釈しているのでしょう。

…なんだか、ごくごくあたりまえのことを書いていますね。


では、前回の続きに入りたいと思います。この内容、だいぶ昔に書いたような記憶がありますが、今回は角度が違うので、似て非なるものだとしておきます。


浜崎あゆみがセルフプロデュースによる、なんだかベリーハッピーなものへと進み出したちょうどそのころ、たまたま自分は当時流行っていた青春パンクたるものに出会いました。

それらは、モンゴル800だとか、GOING STEADYだとか、ガガガSPだとか、そういうのです。

このジャンルはおそらく、悲しみから開き直ってやっていこうという音楽だと思います。だからこそ、妙に共感できて、数年はハマったのでしょう…


そこから2004年の秋、THE BACK HORNにたまたま出会います。日本三台鬱アーティストと一部で称されていた当時、たまたま銀杏BOYZと対バン…(以下略、過去ブログ参照。 )

というわけで、痛み…生と死をを如実に表現したバックホーンとの出会いは、とても大きなものでした。彼らのライブへは、この2004年秋から、2013年初冬くらいまで、行き続けました。

彼らの今の音楽は、変わっては戻り、戻っては変わるという迷走を繰り返しているように見えますが、なかなかその方向性も面白いものだと思います。青さ、若さゆえの感性からなる、とても繊細なバンドという感じがします。


結局のところ、好きなアーティストというものは、その人たち自身があれこれ紆余曲折を繰り返すというアクションに比例して、一般的なリスナーが聴いたり聴かなかったりという構図なのでしょう。熱心なリスナーは、たとえどんな音楽へと移行しようと、聴き続けると思われますけども。



結局のところ、過去も現在も、聴き続けているのは、DIR EN GREYだけです。笑
彼らの音楽は今も昔も、痛々しい。この不思議な感覚は、初期の音楽を初めて聴く人も、最新の音楽を初めて聴く人も、分かることではないかと思います。
痛々しいというのは、二分化すると、「うーわ!」という驚愕・衝撃的な痛さと、本気で心に突き刺さる痛さってのがありますが、どちらに捉えられても、印象を与えるという面においては、絶大な効果を与えています。

無理やりこじつけると、食べていて何の後味もないものと、聴いていて何も感想の残らない音楽は、同じようなものです。


だから、己の感情に深く響き渡るものを聴くことは、奥底に存在する感性を磨くことや、心を和ませることになり、いいことです。笑


最後に、今、凛として時雨の音源を7年ぶりくらいに聴いて、過去と今を比較しています。たまたま8年以上前に、小さいハコでのツアーのライブに行くことがあったので、それを思い出しながら…

時の流れは、早いものだなあ。こう至ることこそ、まさに痛々しく突き刺さる感覚だ。笑


なんだか分からなくなってきたので、今日はこのへんで。






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こんばんは、ピュレです。


かつて書いたかも知れないけど、今日は、自分の聴いてきた音楽について書きたいと思います。

もともとは、90年代後半のビジュアル系がルーツです。LUNA SEA…THE YELLOW MONKEY…

心の痛み、叙情や、儚い愛や、爆発させきれない感情を、旋律に乗せて唄っている曲が多かったように感じます。


ここがブームとなり、挙句、どこぞやの力により前向きに進んでしまい、1997~1998年くらいにかけて、SIAM SHADEの1/3の純情な感情、PENICILLINのロマンス、L'Arc-en-CielのWINTER FALLのような曲が産まれました。


すなわち、X JAPANやLUNA SEAが築き上げてきたものを、壊した。

BREAK OUTというビジュアル系音楽番組が台頭しだしたのも、この頃だと思います。
この番組の看板であった、SHAZNAのブレイク前、インディーズからのシングルカットされた、Melty Loveがその前兆だったのかも知れません。
当時まだ16くらいだった自分が、SHAZNAのミニアルバム、Raspberry TimeからPromise Eveを聴いたときに得てしまった、なんだか違う感覚が、

「このバンドはくる!」という感覚が、

たまたま彼らのブレイクを予知してしまいました。

新しい音楽へと移行するために、あらゆるアーティストが出てきたものです…
その中の一つ、T.M.Revolutionも、SHAZNAと同じ匂いがしました。そして、新たな一面へと繋がりました。

当時読んでいたB-PASSという音楽雑誌、そこから大きく取り上げられていた彼のデビューシングル、

独裁~monopolize~…

凄く大きく取り上げていて、その当時のこれまた違う初めての感覚が、今も鮮明に残っています。



結局、イロモノバンドやアーティストの流れがしばし続き、2000年を過ぎて、自分はビジュアル系の音楽を聴くことから、離れました。

ただ、2002年までは、ビジュアル系と並行して聴いていた音楽もありました。1997年当時、偶然にも出会ったのが浜崎あゆみ。うたばんで突然流れた、poker faceの光景に関しては、今でも忘れられない人がいると思います。


彼女は、このブログの冒頭に上げた心の痛みに加え、それを鮮明に前向きに表現しました。そした、若者たちの心を一瞬に掴んだ、時代の寵児だったのではないかと思います。それも、ソロプロデュースに至るまで…

あらたなブームのためにやりたい音楽を選ぶか、時代の欲する音楽を踏襲するか、そこはアーティストが決めること。それは常に、アーティスト一人一人の行く末を左右することになるのは、気のせいではないだろう…
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DIR EN GREY 2015年活動のあゆみ

テーマ:
・1月5日、大阪府某所にて

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ドラムス、やもちゃんのサイン会でした。


せんとくんを書いていただきました。

若草山ネタからトークを切り出し、そこは何ていう(夜景)んでしたっけ?と聞いてみると、

心夜くん「新日本だいさん…あっ。」

と、噛んでしまわれたので、含み笑いが止まらなくなってしまった自分でした。

これを聞くにいたったのは、某FC限定日記のところに誤変換があったから…ここに気づいたからでした。彼は、新日本何夜景なのか、わかっていないのかも知れませんね・・・


・1/6~7 大阪府某所にて

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新年初ライブでした。

このツアー参戦4本目、安定の一人です。

参戦の感想については、Twitter @pyure42から漁ってみてください。
どこかにあると思います。


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パノラマにすると、凄いもんだよなあ。


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1/7のライブは、ともかく熱いライブでした。京くんが何度大阪ー!と煽ったことか。これは、後の新木場でも起きなかったことでした…

まとまりの大阪と、激しさの東京という二極化があるのかも??

そのライブの終わりしなに、心夜くんのペットボトルを、いただきました。


・1/10~1/11 東京都某所

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ツアーファイナルは、東京。激しかったです。ここは、柵があまりないから、何処からでも進撃の虜ができるので…

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新木場スタジオコーストは、ケータリングの車が入れる仕組みになっていて、二日間でラーメン→オムライスと、軽トラックでお店屋さんが出店していました。


せっかくだから、2日目のお昼はオムライスに。トマトソースとデミグラスソースの半々のやつを買って食べてみました。


うますぎたので、Twitterで宣伝させていただきました。お兄さん、ありがとう。


ライブは、ARCHEリリース後初めてのツアーファイナルということもあり、激しかったです。アンコールののちにand Zeroをやったのが印象的でした。

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このオムライスの日の終演後、、ツアーファイナルでも、心夜くんからお土産をいただきました。1/7と同じ場所で見ていたからなのかもしれないけど、ペットボトルを取ったのは60数本目のうち初めてで、今年早くも二つ目ってのが、もはや個人的には驚きでしかありません。

その日のライブを思い出せるものが手元に残っていると、懐かしむことができるので、なんか嬉しいです。本当に、ありがとうございます。

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というわけで、今回のブログ終わり。


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伏見稲荷と四条。初詣と回顧。

テーマ:
どうもこんばんは、ピュレです。

みなさま、2015年をいかがお過ごしでしょうか?

新年気分は、払拭できましたか?

正月を平穏に迎えられなかった身としては、日本の新年の伝統、初詣という概念が薄れかけていました。


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埼玉県は川越市の象徴的な櫓を潜った奥ある、小さな社に行ったことがそれだったのかな?と忘れるくらいに、慌ただしかった。

ただ、それは1.17を超えて、ようやく収まりつつあるような気がした。

なので、初詣に行かないと行けない衝動に駆られた。思い出した。

数日前から、行くべきは伏見稲荷、と、ふと浮かんだ。

身近な場所。若い頃を過ごした大学の近場にあったのに、在学中は数度しか行ったことがなかった。
したがって、10数年ぶりに参拝することになったのは言うまでもない…

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四条大橋・南座。

幾度、この景色を見てきたんだろうか。かつては、四条大橋の西・河原町側のビルの上に、電球表示の、温度計があったよね…ある日の帰り道、阪急に乗ろうとした時、それが突然無くなった。
今でも疑問に残っています。

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祇園四条駅。

時代の波に飲まれ、駅名変更してしまった元四条(川端)駅。地下鉄烏丸線にも存在する、四条駅と間違える人が多かったのかな?特に、海外からの旅行者さんからののクレームが…と予想されます。
これで、市営地下鉄の四条駅も、今阪急での駅名変更ブームによる烏丸駅→四条烏丸駅へと同様の変更になってしまったら、京阪は…うーん切ない。

四条駅は、姿を消す日が来るのかな?

どちらとも、離れ離れ。もしも、この二つの駅が近くにあれば四条駅は四条駅として、共存出来たのになあ…

余談だけど、祇園四条駅の、黄色い帯は昔はもっと薄かった記憶があります。もしかすると、標示を替える時に、帯ごと丸ごと替えてしまったのでしょうか?



道中の新たな気付きは、四条駅だけで済んだ。

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伏見稲荷の駅の周りは、さほど変わり映えしないもので、安堵でした。お隣のJR奈良線は、いつまで帯つきのウグイス色を使うのだろう…と思いつつ。
もっとも、これはアーバンネットワークにおいては、ここだけの話ではないか。笑



それでは。

鳥居タイムに入ります。
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その数に唖然とするしかなかったです。参拝はしたことはありましたが、山へは足を踏み入れたことはありませんでした。10数年前、こんなとんでもないところの近くに通っておきながら、それに気づかなかったのは、若気の至りだなあ…と悔やみました(笑)

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さて、ひたすら階段やら山道やらを登り続けても、到達点が見えてきません。何処までも上りたくなる、それがこの鳥居たちの成す、魅力なのでしょう。

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見晴らしのいい、ところまで来ました。四ツ辻という箇所です。
四つに分かれた交差点なのか、四合目の地点なのか、よく分かりませんが、ここが登山ルートの中間地点的な地図標示がありました。そこを画像に残せてないのは、汗だくで今後どうしようか、二択に迫られていたからです。

下りるか、上がるか。

ここで引き返すのは、恰好が悪いなあ。ということで、しばし時間をとってから、先へと進む。

その後は、三ノ峰・ニノ峰とスムーズに進み、気が付けば一ノ峰に至れました。道中、女に縋り付く疲れ果てた男を追い抜き…
彼は、「山を舐めていた」と悲鳴が上げていたのかも知れませんね。山と向かう時は、精神をそちらに向けないといけないのだと思いました。

一ノ峰…社の画像を撮らせていただきましたかが、添付枚数の都合と、貼れるようなものではないので、貼りません。しかし、あの場所しか感じ得ないであろう、神妙な空気が流れていました。

傍の木の枝に泊まっていた、鴉が実に溶け込んでいました。

まさか…ここにあのような社や、様々なとのがあったなんて。というのが、正直な感想です。

余談ですが、果てた彼らは、その状態のまま、社を素通りして、去っていきました。


そんなわけで、このブログを終わります。




1.17から20年

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あの頃は、中2だった。

まだ眠っていた。

揺れた、そしてまた眠った。

起こされた。


これが20年前の1.17の5時46分からの記憶。

両親に起こされ、全く何があったのか、外を出てラジオを聴くまで、分からなかった。

ヒビの入った壁紙、一回転して倒れた棚。

自分は、生きていた。

阪神淡路大震災。

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あれから20年。
2015年の1.17、三宮へ。

通称パイ山、さんきたアモーレ広場には、無数の花が咲いていた。

これを見たのち、花時計前からゆめかもめに乗り、兵庫区のノエビアスタジアムへ。

神戸チーム対日本チームが対決するサッカーのチャリティーマッチを見に行って来た。


湧き上がるスタジアム、響く歌声。




神戸の街は、元気だった。

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三浦知良選手。
震災の7年くらい後だろうか、地元神戸のサッカークラブに移籍してきた。まだまだ現役である。

その彼が、この試合でゴールを二つ決めた。


いつだって変わらないものは、何かを興せば、希望を与えられるということなのだと感じさせられた。

ノエビアスタジアムのビジョンの背景に映る三宮の街が、とても印象的だった。

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チャリティーマッチに参加してくださった全選手、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。

明日からも何か出来ることはないか、考えながら生きます。


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帰り道は、ノエビアスタジアムから新開地まで、歩いて帰りました。
道中の兵庫運河の夕日が綺麗だったので、絵に撮っておきました。

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ありがとうございました。