all or nothing
全か無か
つくしがよく言うのです。
自分はなんでもゼロか百かで考えてしまう、と。
その間のどこかでは納得がいかない、ということでもあります。
わりとなんでも「まあいいか。」「しかたないや」「結果よかったから、別にいいよね」と考えることの多い私とはずいぶん違うのです。
これは完璧主義にもつながる思考で、ちゃんとできなければやらないほうがいい、という極端な考えや行動、またやるからには完全にやりとげねばならない、という強迫的な思考にもなりやすいのです。
本人にとってはそうしたくてしているわけではなく、自然とそういう方向にとらわれていってしまうので、ストレスを抱えやすく、しんどいことになります。
情緒的に落ち着いている時はいろいろと考えることができて、思考にも幅がもちやすいのですが、うつの気分の時にはそれでなくても視野も思考も狭くなっているので、思い切り極端な考えになってしまいます。
さらにうつというのはなんでも悪い方にネガティブに考えるし、自分への否定をしてしまうので、なんでも自分のせいだ、私なんかいない方がいい、私がいなくなれば周りのみんなが幸せだ、となってしまいます。
一度そう考えるとたしかな根拠があるわけでもないのにその結論にとらわれ、そんな思考ばかりを繰り返して考え続けます。
あとで落ち着いたときに考えると、それがおかしな思考と結論だとわかるのです。しかしその間に考えたことや言ったこと、行動についてはとても後悔してしまいます。これがまたしんどい。
そして、こうした思考は、一度結論までいってしまうと、しばらくして同じようなことが起こった時にはパターンのようにほんの一瞬で以前考えていたことも同じ結論まで達してしまいます。
「一度は思い直していたけど、やっぱりそうなんだ。」と強化されてしまうことも少なくありません。
このような思考は、他の人に対してはしません。あの人はこれこれこういうふうな理由でこうしてるんだなあ、とかこういう性格だからこうなるんだよねえ、とか考えて納得できるからです。
しかし自分について考えることは、すごくすごく、難しい。
彼女の何にでも真剣で、誰のことでも一生懸命に考えて助けたいと思う、素晴らしい人間性が、苦しみを深くします。
なぜなら、そうした思考は一生懸命考えれば考えるほど、陥りやすい考えだから。
また、自分の子供のことや、精神障害のこと、医療や福祉のことなど、自分の愛情や想いが強いことであればあるほど、そうした思考は想いは強くなるからです。
そして落ち着いて考えられるようになった時に、その間に考えていたこと、言ったり行動していたことについて、強く後悔をします。これもまたとてもしんどいことです。
そうしたことを、日常的に繰り返し乗り越えて、生きています。
このことは私はやはり、彼女が幼い頃からずっと受け続けていた母親からの虐待のせいだと思います。
母親の言うことが絶対で、言う通りにできなければ激しい暴言暴力が飛んでくる、何もしなくても飛んでくる。
自分の希望やわがままや意見は全く聞いてもらえません。
非常に高い緊張感の中で、言われたことに反応し、顔色を伺いながら、瞬時に判断して言動をしなければならない。
そうした中で彼女は生き延びてきました。
それは大人になってからも多かれ少なかれ続いていきました。
続きます