今週末、後輩がジューンブライドです
入社した時から、ずっと僕の下について、周囲の激しいプレッシャーに耐えて、仕事を覚えてくれた可愛い後輩です
僕が、それなりに出世出来たのも、この子の努力に助けられた部分が大きいので感謝(≡^∇^≡)
週末は、可愛い後輩の結婚式で、盛り上がるのが楽しみです
先輩は、まだマラソンが恋人なので、行き遅れます(笑)
丹後100km ⇒ 室戸ハーフ ⇒ 大阪 ⇒ 岡山 ⇒ 富士山(この前忘れてた)
もし、神戸が当選したら、11月は三連戦になります
同じく、ランナーである後輩も『おかやまマラソン』当選したのですが、神戸も当選したら、どちらかに絞るという贅沢な選択(^▽^;)
昨年100km走るまでは、二週連続フルマラソンなんて考えられなかったけど、今は三週連続なら行けそうと感じるから、自信と継続は力になりますね
さて、鷲敷町史跡巡りもいよいよラストです。
本日ご紹介するのは、画面の左下に位置する青色囲み部分にある場所。
仁宇谷百姓一揆供養塔。
1819年(文政二年)に、時の藩主である蜂須賀斉昌公が、仁宇谷地区まで巡察に訪れました。
殿様が動くと、なぜか莫大な費用が必要になります(><;)
供回りや警護、その他贅沢費諸々…
いつの時代も、そんな資金が無いのに、お役人は先にやっちゃいます。
結果、ツケを払わされるのは民・百姓になります。
この莫大な費用も、なぜか訪れた仁宇谷地区の百姓に強制的に分担するように命じられました。
僕がこの地区に住まう民であれば、到底納得できませんが、この時代の人たちは、抗ってもムダだと割り切っています。
ただ、一気に支払うのはムリなので、分割にしてほしいと役人に頼みます。
しかし、役人はそんな願いを無視します。
この時期、阿波では飢饉も重なり、百姓は自らの命を繫ぐはずの田畑を売り、目先の生きる資金とする者まで出るほど厳しい状況で生きていました。
そのため、仁宇谷地区の五十八ヶ村の代表である村人が、一揆を呼びかけて、約二千名にも及ぶ民が集まり声を上げます。
突然の民の声に驚いた那賀郡代官や役人は、藩主の耳に届くことを恐れ、一度は分割払いを認めます。
しかし、役人としてのメンツを潰されたことに腹が立ったのか、二年後にこの一揆の首謀者である百姓を捕えて、ろくな取り調べも無く、徳島市の鮎喰川の河原で斬首します。
首は那賀町阿井の河原で、さらし首とされます。
その他の者も、永久投獄など残酷な処罰を科されます。
無念の死を遂げた村の代表者であった勝太郎、兵助らの冥福を祈り、残された百姓たちは阿井の河原に向けて供養塔を立てたと伝わります。
今でもこの供養塔から、故郷である仁宇谷地区の那賀川を見守っています。
たった二百年前のことです。
今はこんなこと許されるはずもありませんが、それは日本基準だからかもしれません。
実際、社会主義国家では、自由を唱えただけで、拘束されたり、非道がまかり通る国があります。
人間が人間であることを忘れた愚かな行為ですね。
でも事実から目を背けて行けないので、こんな残酷な過去があって、こんな愚行を恥じることなく出来てしまう役人には、ならないように反面教師にしないとですね。
賢い役人であれば、民が元気でなくては、国を支えることが出来ず、滅びることを察するはずなので、民は絞っても死なないと非常識な考えで居たのでしょう。
そして、その死なないと思っていた民が一揆を起こすと、それに恐れをなして、意見を翻す…
挙句の果ては、権力を笠に着て、頃合いを見て復讐する…
スカスカの張りぼて役人で、同じ阿波(徳島)で生きていたと思うだけで、ゾッとします(><;)
悪党は必ず滅びる運命だと信じているので、きっとすぐに死んだはず(笑)
命を懸けて権力に抗った地元の名も無き英雄たちと、上に立つ人間が如何に大切かを思い知るエピソードでした。
人間は考えて行動できる唯一無二の動物だと言われます。
自分の命を顧みずに行動した百姓たち。
その百姓たちに、こんな惨い仕打ちをしてしまう張りぼて役人たち。
せっかく人間として生きているので、絶対にこんな役人には、なりたくないですね。。。
この物語を記事にしている時にまさに、BS時代劇で『長七郎江戸日記』をやっていて、ストーリーが百姓を絞って私腹を肥やす悪代官と一味が叩き斬られる内容だったので、ちょっとだけスッキリしました