本日テレビを見ていると、陣内孝則さんが来年度から行う、舞台公演の話が告知されていました。
その内容は…
『舞台 本願寺(Honganji)』
サブタイトル『闇の魔王 信長 VS 光の聖者 顕如』 ⇒ パッと見ただけなので、少しニュアンスは違うと思いますが、明らかに信長が悪者で、顕如押しの舞台っぽいです
と言うか、こんな舞台をして観客が集まるような世の中になったんですね(^▽^;)
そちらに驚きましたσ(^_^;)
さて、そんな本日は、しばらく前に訪れた海部城記事を少しアップしておきたいと思います
ちなみに過去に一人で石碑と場所だけは確認していたのですが、今回は縄張り大好きな友達を連れて行ったため、海部城の登頂まで行いましたので、まずは前半です
この海部城ですが、後編で書きますが、登頂を是非にもお勧めします。
下から見ただけでは分からないのですが、登頂すると遺構が垣間見れます(≧▽≦)
徳島では、徳島城の石垣・櫓跡、一宮城の石垣、茶臼山城の石垣など一部しか残っておらず残念になりますが…
少ないながらも、往時のイメージが分かる礎石や曲輪跡が残っています。
木々が生い茂っているため、下からは全く見えません
本日紹介する海部城跡は、海部川のまさに河口に位置します。
まずは全体図から。
赤丸囲み部分が海部城跡のある場所になります。
ちなみに石碑は、黄色囲み部分にあります。
青囲み部分にかつての陣屋跡石碑が残されています。
【海部城解説】 ※別名:鞆城
築城年:元亀二年(1571年)
築城者:海部友光
城郭形態:山城
海部城跡の石碑が残る小山を登ると、すでに太平洋の絶景が見渡せます
一旦、山を下りて、鞆浦漁港方面に向けて歩くと、海部城(山城)全貌が見えてきます。
最近、津波避難用として、築かれた非常階段を上ると、大海原に出港する漁船が見えます
ヤバい!釣りに行きたくなります
非常階段を下りてきて、いよいよ海部城登城口の方へ向かうと、突き当りが陣屋跡になっています。
この陣屋跡を過ぎるとすぐに、非常階段と同じ鉄筋式の階段が約10mほどの高さまで築かれています。
しかし、それ以降は、山城の景観を壊さないような配慮がされているためか???
地道になっており、在りし日の海部城が想像できるようになっていました
続編と、海部城の歴史については、次で記載します
たぶん県南では、一番遺構が残っており、徳島では数少ない史跡と言える場所だと思います。
残念なのは、木々が生い茂って、冬でも景色は期待できない・・・って、ところですね
・・・続く・・・