阿波城跡探訪 ~吉野城編(No287)~ | 歴史男子(半ちゃん)が語る日常と歴史ロマン記

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またまた放置で、すみませんあせる


城跡記事は、池田大西城くらいしかネタが無くなった(あんなにあったのにあせる)ってものあります(^▽^;)



平日は、仕事で6~22時あせる

その後、ランニングして、寝るぐぅぐぅ


何一つとして、余裕の無い日常・・・


週末は、セカンドストーリーの漫才見て、笑って、ほっこりして月曜に備えるサイクルでしたが・・・


今週はちょっと頑張りました音譜



土曜日に朝6時スタートで、徳島市内から約2.5時間掛けて、高知県との県境にある海部郡海陽町へ車

今回は4城を巡り、その後15時過ぎに帰宅して、25km走って走る人


20時から、八年お世話になった先輩の送別会。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

入社からほぼ同じ道を辿り、製品開発研究 ⇒ 製造(量産化)と業務を経験し、先輩でありながら、自分の部下として言い辛いことも耳を傾けてくれた優しい方でした。。。


ただ、本当に優しい・・・いや優し過ぎる先輩でした。


自分が強引に上位方針で、政策を推し進めて反発を買った時も・・・

『上に立つ人間の苦労は、年齢問わず下には分かってあげられん。代わりに厳しいことを言ってツライ時は、年上の部下に相談すれば良いよ』


この先輩は、自分は手放したくありませんが、これも上位方針です(くそったれ(笑))


とまあ、こういう想いがあったので、普段はコップ半分のビールで酔うくせに、ビール二杯にカシスオレンジ六杯ビールワイン

その場に居た役職者は、自分だけでしたあせる


それだけ、現場の人たちは役職者を嫌っている証拠です(><;)


洒落にならないですね(^▽^;)



そんな中、自分の下戸ぶりを知っている後輩から・・・

(後輩)『○○さん、ハイペース過ぎる、ヤバいですよあせる

(自分)『大切にしていた人を上司の横暴で外されるのに、ヤケにもなるわ(怒)』

↑昨日は本当にヤバかったですあせる


で、呑める方からすると、それだけではてなマーク

と、言われるこの量で、ノックアウト(笑)


結局、先輩も二次会に行かないとのことで、送って貰いました(^▽^;)


最後まで迷惑で、どれほども現場改革を出来ない、不甲斐ない後輩で申し訳ないですあせる



その翌日・・・(本日)

朝、10時まで寝ていましたあせる

非常に珍しいというか何年ぶりかなぁ・・・


その後、セカンドストーリーのイベントがあったので、3時間行ってました音譜


帰宅後、一気に15km走り、さらに最近Facebookで繋がった、徳島市内のランナーさんと一緒に合同練習走る人


ちょっと生き急ぎ過ぎですかね(笑)


あっと言う間の週末でした・・・



そんな週末の楽しみ第一弾を記事にします音譜




久しぶりの阿波城跡記事です。


本日紹介するのは、海部郡海陽町吉野にある吉野城跡になります。

まずは全体図から。

赤丸囲み部分が吉野城跡のある場所になります。





【吉野城解説音譜】 ※別名:愛宕山出城

築城年:永正年間(1504~1521年)

築城者:藤原持共

城郭形態:平山城





有名なのは、四代目の海部友光ですね音譜









【吉野城とその歴史音譜

場所は徳島県を南北(鳴門~徳島市~小松島市~阿南市~美波町~海部郡)に貫く、国道55号線が海部川に合流するポイントから、海部川沿いに約3kmほど上流に登ったところになります。


一帯は、水田地帯ですが、ここにかつては、藤原持共の居館である里城跡がありました。


まさに石碑の後方に聳えるのが、吉野城の山城部分に当たり、両方をして、吉野城と呼ばれていました。


この日は時間がなく、山城まで登城は出来ませんでしたが、山城部分には空堀跡、直径10cm程度の丸い瓦礫などが残り、おそらく外敵に対しての弾丸攻撃に用いた武器であったと伝わります。


海部友光がこの地に城を配してから、約13年目の1571年に、土佐の長宗我部元親がいよいよ阿波侵攻を本格化させてきたため、友光は居城をさらに太平洋に近い海部城へ移し、長宗我部家の侵攻に備えることになります。


次回は、その海部城記事をアップ予定です音譜